第89話・南紀・射場の戦い。
山中隊の背後の小山 山中勇三郎
「ほう、徒隊が半減したな」
「五十が三隊、斥候隊に案内されて各城に向かったようです」
俺は杉吉隊の者と一緒に、後方の小山に立って戦見学だ。進軍している騎馬隊に村人が何かを願い、そのあと小勢の三隊が動いた。山本の本城と側近の熊代・田上の城に向かったのだ。それでおおよその事は察っした。
山本は善人面した為政者だ。慎重で狡猾な上に民に厳しく自らに甘い。その横暴に怨嗟の声が広がっている。民が侵入して来た敵勢に願い事をするのはそのせいだ。
百姓から山本の所行を聞いた百合葉は相当に怒っていたらしい。山本の首はもうすぐ体と離れるだろう。百合葉の朱紺の薙刀は大和刀匠の自信作だ、細く強く良く切れる。おそらく本人が自覚したときには首は胴と離れているだろう。
怖いぞ、なみあみだぶつだ。
「しかし、巴御前も思いきった事をやりますな」
「あれは、自分の思い通りに生きる女だ。迷うことは少ない」
「なるほど、生来のものか。それで大将を陥落した」
「ふっふっふ」
南紀西方の攻略は百合葉に任せた。まずは山本領だ。
百合葉は国境周辺に幾つかある砦は無視して、一気に本城の龍松山城に向かって進軍した。その思いきりは素晴らしい。
山中隊には、大隊長の新介を始め・藤内・梅谷・嶋・十市と優れた武将がいるが、実は百合葉もかなりのものなのだ。采配や実力もさることながら、何よりも兵の受けが素晴らしく良い。百合葉のためには、みな必死になって働くのだ。カリスマとも言える指揮官だ。
こういう部隊は強いぞ。ここらでその力を発揮して貰いたい。
誰にも言えない事ながら、この世に不意に現われた異邦人の俺には、不意に消えていなくなるかも知れないと言う思いが常にある。その時の為にも百合葉にはその持てる力を充分に発揮して置いて欲しいのだ。
眼下の山中隊は、戦場とは思えないほど美しい花の陣を敷いている。
この花の陣、強いものは美しいの例えのように山畑・水田と保豊の兵で構成されたこの陣は、ほぼ無敵だ。弓と火縄銃の攻撃には弱いが、この南紀にはそれはいない。
「田辺の目良は、山本の様には行きますまいな」
「そうだな。今のところ兵を集めて打って出るとは思えないな」
「かといって、大将の流された那智勝浦城の顛末を知れば城に籠もるのも躊躇いますな」
「うむ、だが目良がどう出るかは予測できぬ」
「巴御前様はどういう手に出ましょうか」
「それは分からぬが、全ては百合葉の思い通りにさせるつもりだ。この山本の煽りようを見ると期待できるな」
「左様、見事に山本の意表を突いておりますな。なかなかに心理戦に長けてますな・・」
そうなのだ。百合葉がこんなに細かい動きに出るとは思わなかった。
「杉吉は曽根をどう見るな?」
「そうですな。情報の重要さを誰よりも理解しております。経験を積めば良い武将になりましょう」
鮎川山 山本軍本陣
「動かぬな・・」
「動きませぬな」
驚くべき速さで進出してきた山中隊は、内の井川の手前で動きを止めたままだ。麓に陣を敷く稗田と八町の距離で睨み合ったまま半刻が経つ。
後から合流した徒隊は、報告と違って百五十程だった。総勢は三百五十と少ない。なんという事の無い勢力だが騎馬隊が気になる。
我ら南紀には馬の産地が無く騎馬隊などは無く、騎馬隊との戦い方を知らない。馬防柵などは聞いたことがあるが、そんな物を実際に使った事も見た事も無いのだ。
” 敵が動きました!!”
「殿、来ましたぞ!」
「うむ」
敵軍がゆっくりと川を渡ってくる。徒隊は馬を守る様に大楯を翳して、そのままの陣形で進んでくる。後方には四台の荷駄が続いている。
近付くにつれて円陣の見事さが分かる。さすがに堀内を下しただけあって陣形はなかなかのものだ。
「そのまま引き付けよ。稗田に逸るなと伝えよ」
「はっ」
馬を捕えるために全軍に弓矢を禁止した。戦いの後に半分の百頭の馬でも手に入れば大変な財産だ。遠征がかなり楽になるだろう。無闇に弓矢で傷付ける訳にはいかない。
円陣は中央辺りで停止した。荷駄が出て来て楯を回収して、徒隊が長い槍を持った。二列になった徒隊が槍を掲げて進んでくる。なかなかの迫力だ、我が兵が動揺してなければ良いが。
「止まりましたな・・」
十間ほどの間で停止して、両軍・声も無く睨み合っているようだ。相手の隙を見ているのだろうか・・
だが、
不意に後方の騎馬が動いた。半数の騎馬が両軍の間に吸い込まれるように動き、濁流の様に駆け抜けた。
迫力がある馬蹄の音はここまで届いてくる。騎馬隊が一周して再び円陣となって停止すると、それに釣られるように我が隊の前衛が突撃した。
「始まったな、我らも動くぞ」
「進軍せよ、敵の右に回り込む!」
予め決められた通り整然と隊が動く、我らが降りれば間違い無く戦況は一変する。その時の様子が目に見えるようだ。
「おお・・・」と兵から溜息のような声が漏れた。
「・・どうしたな?」
「殿、へ・兵が・・」
「兵がどうした?」
「民兵が逃げております・・」
「なに!」
慌てて元の場所に戻って見れば、突撃した民兵の一部が武器を捨てて、敵の左右に逃げている。既に半数の百程の民兵が内井川を越えて固まっていた。
「なんという事だ・・」
「おのれ百姓どもめ、怖じ気づいたか!」
「後で懲らしめてやるぞ!!」
逃げ去る味方に驚いた前衛の足が止まる。すかさず山中隊の一部がその前衛を無視して、稗田隊に突っ込んだ。鋭い突撃だ、稗田隊が大きく崩れている。稗田隊は半数が民兵で本隊は二百五十だ。一度崩されると支え切れまい・・
「稗田隊が危ない。急げ!」
「急げ、とにかく駆け下りろ!!」
全軍がどこそこ構わず一気に駆け下りた。
良いぞ、降りさえすれば我らのものだ!
この勢いで山中隊を突き崩すのだ。
山中隊本隊 曽根弾正
「行きます。陣形を保持して、ゆっくりと進みなさい」
「乗馬。そのまま、ゆっくり前進!」
馬を休ませて待っていたが、どうやら吾作らから合図があったようだ。お方様の命で隊が動き出した。敵の矢を警戒して大楯が掛け回されたが矢は飛んでこない。こちらも弓矢の攻撃は控えていた。目の前の敵の半数は民兵なのだ。弓矢では手加減が出来ない。
ゆっくりと進んで平原の中央辺りに止まる。
「荷駄を前に出しなさい」
「荷駄、前に出よ」
民兵の武器を回収する荷駄を出して様子をみるが、まだ民兵の離脱は無い。それはそうだろう、動くにしても何かの切っ掛けがいる。
「山畑、両軍の間を駆け抜け、民兵を威圧しなさい」
「承知」
「ドッドッドッドッド」と凄まじい勢いで騎馬が動いた。わざと敵の前衛を掠めるように膨らんで駆ける。前衛の体が仰け反り目を見張っているのが見て取れる。
「気勢を上げよ!」
「おお!」
弾かれたように敵の前衛の一部が突撃して来た。それはすぐに全体に広がり
「わああああ!!」という気勢を上げてかけてきた。先頭が武器を荷駄の上に放り投げると我らの陣を避けて後に駆け去る。先頭がそうすると他の者らもそれに続いた。戸惑って立ち止まる者もかなりいるが、敢えて攻撃してくる者はいなかった。
「徒隊、出しなさい。後方の部隊を攻撃」
「徒隊、後の本隊を潰せ!」
「「おお!!」」
徒隊が二列で突っ込み、忽ち敵の本隊を二つ断ち割った。さらにそれを突き崩す。圧倒的な攻撃力だ。戸惑っていた民兵はそれを見て武器を置いて逃げ去った。
「左手に敵襲!」
「後方に敵が回り込もうとしています」
山から次々と兵が駆け下りてきて、我らに突撃しようとするが出来ずに止まった。騎馬隊が陣を組んで微動もせずに見下ろしているのだ。おそらく相当な威圧を感じているに違いない。勢いだけの少数の兵が突撃出来るものでは無い。
その間に、布陣していた敵隊は徒隊の攻撃により壊滅していた。
「弾正、敵はどうしますか?」
「はっ、敵は騎馬隊との戦いを知りませぬが、まだまだ多数で余裕があります。ここを見逃さずに、一気に包み込んでの殲滅を計るかと」
いきなりの問いに、冷や汗を掻いた。だがしごく当たり前なことしか言えぬ・・
「そうですね。ですが、殲滅するのはあちらです」
後方の敵は背後を塞ぎつつある。だがお方様はそれを一顧だにしない。前面の本隊が揃うのを待っているのだ。
殲滅するために、
やがて、敵の本隊五百全てが降りてきて整列した。
その中心にひときわ目立つ甲冑を着けた三人の武将がいる。山本と田上・熊代だ。平原にいた隊が壊滅したことに驚いているようだが、後方にも隊が進出しており余裕のある顔で談笑しているのが見える。
「攻撃します。蜂の一刺しをお見舞いする。弾正も命が惜しくば、妾の後に付いて来るのですよ」
「「承知」」
山畑殿と水田殿が左右に移動し、二筋の騎馬隊が怒れる龍の様に敵陣を襲った。
それをじっと見つめるお方様と保豊殿、某はこれからどうなるかを想像して体がぶるっと震えた。
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