第87話・朱色の女武将。
南紀龍松山城 山本忠朝
大和宇智郡から十津川を越えてきた山中という者が熊野道の整備を始めた。高野道から本宮大社まで繋げて那智大社・速玉大社まで整備するという。それが中辺路・本宮大社からこちら側まで及んできた。今まで聞いたことの無い名前だが、山中という者はよほど信心深いのだな。
こちらとしては真に結構な事だ。
熊野三山の参詣道が良くなれば、参詣者も増えてこちらの懐も潤うというものだ。ひとたび帝の御来行でも叶えば数百貫文の利が出るのだ。
新宮の堀内が山中に臣従したと言う噂が聞こえてきた。
何かの間違いだろう。堀内と言えば新宮の虎と恐れられて、一代の間に所領を三倍にした豪の者だ。大和の名も知らぬ勢力の傘下に付くような男ではない筈だ。
ところが噂は本当らしい。
何でも、百騎ほどの精鋭を率いて山中に挑み、敗れて傘下に付いたのだという。
「堀内も馬鹿な男よ。これだから力自慢の武辺者は始末に負えない。強い相手と見れば見境無く挑み、おのが力を誇示しようとする。自領に引き込んで包囲して壊滅という手すら考えないのだ。そうは思わぬか田上」
「如何にも左様で御座ります。山中などという何処かの馬の骨など、殿ならば一触で蹴散らしましょう」
山中めは堀内を下して調子に乗ったかか、儂にも臣従するか戦うか選ぶようにゆうて来た。
山本家は都にも聞こえた由緒正しき家柄である。名も知らぬ者の傘下に加わることはありませぬと、送って返した。
「馬鹿めが、長い歴史の在る我が山本家が無名の成り上がり者に臣従などする筈が無いだろうが。のう、熊代」
「まさに左様、山中の方が治部少輔様の傘下に付きたいというのが本筋でありましょうに」
” 申し上げます。山中の兵がこちらに向かっている模様です!”
「来たか。どのくらいの数だ?」
” 先頭は二百ほどの騎馬隊。その後には三百程の隊がいる模様”
「騎馬隊とな・・総勢五百か、取るに足らぬ相手だが、ここは全力ですり潰そう。田上・熊代、領内の国人衆にありったけの兵を連れてすぐに来いと触れ回るのだ!」
「「はっ」」
「山中隊の先頭はどの辺りだ?」
” 位置は不明。十八日には御城下に到着すると言われております”
「十八日か・明後日だな。となると小広峠辺りだな。山中隊は小広峠をもう越えたのか?」
” 位置は不明です。すべて民の噂で御座いますゆえ”
「左様か、山中隊を見た民が知らせてくれたのか、これも儂の善政のしるしだな。となると民はもう避難を始めたか」
” いえ、民に避難する様子はありませぬ”
「ふむ、民も我が方の勝利を信じて疑わないと言う事か、ふっふっふ」
「真に左様で御座りますなあ」
「「ふはっはっは」」
翌日、
山中隊を待ち受けるために山本は射場に進出して、稗田三郎率いる五百の兵を布陣させた。自らは射場を見下ろす鮎川山に兵五百で本陣を敷いた。
射場は弓の調練にも使う広い草原で龍松山城に程近く、大軍を展開する広さのある場所だ。
“ 対岸の下府山に玉置図書殿ら五百が入りました!”
「よし、そのまま待て」
「敵は滝尻に来ていると報告がありました故、こちらに来るのは明日ですな」
「うむ、小勢だといって抜かりの無いようにな」
「はっ、ところで山中を討った後は新宮に遠征されますか?」
「うむ・・・そうなろう」
「ならば山中隊の馬が欲しいですな。馬があれば遠征は楽で御座りまする」
「む、そうだな。ならば出来るだけ馬を傷付けぬように全軍に伝えよ。弓は使うな」
「畏まりました」
翌朝は霧が谷間を覆った。山での朝晩が冷える時期になった。朝が冷えると霧が出る。この霧は我らの味方なのだ。土地に慣れぬ敵の眼を覆い行動を止める。
ところが、その霧の中に複数の馬のいななきが聞こえる。
(敵が来たのか・・)
思ったより早い。半刻から一刻ほどかかる朝霧が晴れてから移動すると思っていたわ。見通しの効かない霧の中を移動してくるとは敵も不用心だな。
山中とは思っている以上に粗忽者なのか・・
“山中勢が来ました。内井川の向こうです ”
「うむ、我らは慌てる事は無いが、戦場に駆けつけられるように用意して待て」
「はっ」
(さて、どう出るか。成り上がりの粗忽者め)
四半刻ほどで風が出た。すると谷間を覆っていた霧が揺らいで山へと登った。
「敵が視認できました。騎馬隊およそ二百!」
「徒隊はいないのか?」
「騎馬隊だけしか見当たりません!」
なんと、騎馬隊だけを先行させのか。何を考えている、騎馬隊には徒隊の支援が必要ではないのか?
それとも足の速い騎馬隊を先行させて街道の安全を確認させたのか?
「後方に徒隊が来ております!」
「やっと来おったか。大将はどこにいる?」
「先頭の騎馬隊の将が全軍を指揮しているようです」
「何、大将自らが先行して来たというのか。間違いないか?」
「間違いありません。朱色の見事な胴当てを着けた・・おお、なんと!!」
「・・なんだ、どうした?」
「女です。髪の長い女の・・姫武将です!!」
「なに・・」
目を凝らしてみた。確かに敵の騎馬隊の中心に、ひと際目立つ朱色の者がいる。
「我が隊の兵もそれと気付いたようで、動揺しております」
「山中隊に女武将がいると知っていたか、それとも山中とは女なのか?」
「いいえ、某は山中の事など何も知りませぬ・・」
くっ、儂も知らぬ。何も知らぬ。
山中と言う者の出自・顔や性格、そして治政や戦のやり方から勢力や家臣の事など何も知らぬ。
分かっているのは、大和から重々たる山を越えて本宮に来てあっという間に堀内を家臣につけたことだけだ。
それが兵を率いて今目の前にいる。
だが、本当に山中は女なのか、
解らぬ、いったいどうなっているのだ。
・・だが、構うまい。
所詮は成り上がりの粗忽者よ。
戦場でこんな無謀な行動に出ているのがそれを裏付けているわ。新宮の虎を破る多少強い兵がいるというだけでは、この儂には通じぬ。
女の武将なら生け捕って弄んでやるわい。さぞ愉快であろう。考えただけでも興奮するわい。
女武将を弄んで本宮、新宮と領地を広げる。熊野三山の利は莫大だ、そうなれば目良も安宅も圧倒できる。南紀は儂のものだ。
ついに儂にも大きな機運が巡ってきたのだ。
「敵は力攻めするだけの猪武者よ、引き付けて囲い殲滅する。稗田に進軍せずに敵を引き付けよと伝えよ」
「はっ」
「対岸の玉置に、先頭がぶつかったのなら背後に回り込めと伝えよ」
「はっ」
「我らは右に回り込んで敵の側面を突く。女武将は傷付けずに生かして捕えよ!」
「ははっ」
「女武将を・・殿の悪い癖が出ましたな」
「何を申す熊代、お主らも同じ様に考えていたろう。儂の後で番を廻すぞ」
「ぐへへ」「たまりませぬな」
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