第85話・尾鷲衆の壊滅。


 矢浜 九鬼春宗


 深夜に曽根城を出て夜陰に紛れて進み、未明に街道封鎖地点を抜けた。そこには杉吉殿と数十人の兵が並び我らを見送っていた。某は初めて山中の斥候隊を見たのだ。全員が背に刀と弓矢を背負い、獣の皮で作った袖無しを着た屈強な男達だ。


「皆ご苦労だったな。敵さんが来るまでには一刻は掛かろう、それまで朝餉を終えておこう」

 矢の川を渡り矢浜の平原に来た。ここで我らは尾鷲衆を待ち受けるのだ。


 朝餉は半刻も掛からずに終わった。各将が集って十市殿に指示を仰ぐ、その間兵には腰を降ろさせて休ませておく。


「敵は数を頼んで我らを包み込んで来るだろう。当初我らは中央にいる、九鬼殿と曽根殿は奥の山裾に布陣してくれ。我らは中央を基準に三隊に別れてバラバラに動くゆえ、両隊も状況に応じて動いてくれ」

「承知」


 うむ、請川での実戦調練で山中隊の縦横無尽の動きは知っている。尾鷲衆はそれについて行けずに混乱するだろうな。


「それと重要な事だが、山中隊は状況に応じて指揮権が移動する。それを知っておいてくれ。儂が討たれたら指揮は切山小隊長が取る。次には斉藤兵長、三山兵長、九鬼殿、曽根殿となる。これは兵に必ず伝えておいてくれ」

「はっ」


 なるほど、隊長が討死しても速やかに次の指揮者が采配する。隊は崩れること無く戦えると言う訳だ。これは我らには今まで無かったことだな。指揮者が討たれると隊は当たり前の様に混乱して敗北していたな。


「もう一つ。山中隊は相手の兵も領民と見なして、出来るだけ殺さぬように戦う。特に民兵はそうだ。彼らは大事な領民となる者たちだ。竹槍や棒では頭を打たず軽傷になる場所を打つ。とどめをささず逃げる者は追わないなどだ。良いか」

「「「おうっ」」」


「但し、主謀者の仲・三鬼・榎本は必ず討つ。その側近らもだ」


 ふむ、甘いだけでは無い。締めるとことは締めるか、それも決断したら汐崎の時の様に非情なほど容赦が無い。つまりあれは見せしめだったのだ・・


「曽根殿は山裾にいて貰えぬか、某は山中隊の動きを知っておるで、気を見て動こうと思う」

「承知した。某は敵に背後に回り込ませぬ様に山裾を死守しよう」


 我らが連れてきたのは選りすぐった精兵だ。さらに適性をみて動ける者と守る者に分けて半数を曽根殿に託した。残りの半数を連れて動きの調練をする。やや寒いので軽い動きは体を冷やさずに済んで良い。


「敵が来ました!」

 続々と敵が入って来て入り口を塞ぐ様に並んだ。中央が仲隊、右に佐古隊・北村隊、左に榎本隊・九鬼隊だ。数は多いが半数が民兵だ。山中隊の強さを知っている某には何の脅威も感じない。


「ドン・ドン・ドン」と矢合わせも無く、敵の攻め太鼓が鳴って全軍がゆっくりと前進してきた。

 こちらは動かない。山中隊は槍衾さえしない、武器も構えずに只見ている。動くのは敵が中央あたりに来てからだ。次第に接近する敵兵の顔が見えるようになる。どの顔も獲物を前にした獣のような表情をしている。自分たちが勝つ事を信じ切っているのだ。

 配下の国人衆が某を見る。みな体が強張っている、落ち着かないのだ。山中隊の強さを知らぬからな。


「皆落ち着くが良い、この戦いは必ず勝つ。焦ることは無い、合図をするまではそのままで待て。我らが動くのは敵が曽根隊にぶつかってからだ」

「「ぉぉ!」」


 兵たちは多数の敵を前にした緊張で声が出ていない。横にいる尾浜が思わず肩を竦めた。尾浜は本宮まで一緒に連れて行った某の配下の将だ。


「声が小さい、もっと声を出せ!」

「おお!」


「もっとだ、もっと大声を出せ!」

「おおお!!」


「我らは直前の北村隊だけを見ていれば良いのだ。我らは選ばれた精兵で、敵は半数が民兵だ。この戦、楽勝だぞ!」

「「「おおおおお!!!」」」


どうやら尾浜の言葉で兵の緊張もほぐれたようだ。そんな我らを怪訝な様子で見ている敵はすぐ傍まで迫ってきた。


「武器を構えよ!」

 曽根殿の声で前衛が棒を構える。我らは民兵を殺さないために棒を選んだ。


「おおおおお!」

敵左翼の三鬼隊が怒号を上げて山中隊に突撃した。

 刹那、山中隊が三つに割れた。そしてそれぞれが別々の敵に向かって行く。実に鮮やかな動きだ。突撃して来た三鬼隊は敵が目の前で消えて呆然としている。


 我らにも衝撃があった。北村隊が曽根隊にぶつかったのだ。

「出るぞ!」

 横に飛び出し、呆然としている三鬼隊の側面に突っ込んだ。そして掠めて大きく曲がる。そのまま曽根隊にぶつかっている北村隊の側面に突っ込む。


「止まるな、動き続けるのだ!」

先頭は尾浜だ、某の合図で何度も大きく展開して、佐古隊や北村隊に突っ込む。我らは動きを止めないために敵勢を掠めるのがやっとだ。しかし山中隊は見事に敵を断ち割り分断して突き抜けている。


「いまだ、行け!」

真後ろから北村隊に突っ込んだ。それで北村隊に立っている者はいなくなった。停止して振り向けば、敵で戦える者は既に無く山中隊は当初のように中央に並んで止まっていた。


「驚いたな、始まったかと思えばあっという間に終わったわ・・」

 曽根殿が呟く声が聞こえた。



矢浜の戦いは小半時もたたずに終わった。尾鷲六人衆を始め三鬼・榎本など名だたる将は全て討ち取られ、残った兵は武器を捨てて降伏した。

我らは駆けつけて来た三木城・賀田城の守備兵に後を任せると、尾鷲に入り山本山城を接収した。

 この地方に勢力があった尾鷲六人衆が一掃されると、様子見を決め込んでいた周辺の国人衆が臣従のために次々と訪れている。その対応をしているのは某だ。


「大将と北畠様の取り決めにより、矢口浦より東は北畠領になったのだ。その見分けは儂では分からぬ」

と、十市殿に頼まれた。山中様が三野瀬や紀伊長島を北畠に禅譲した形だ。確かに新宮を政の中心に考えると少し離れてはいるが・・


「領地を譲って何をお望みか?」



「いや、それは分からぬ。ただ志摩から九鬼嘉隆という者を引き取るという」

「嘉隆が・・」


「どうしたな?」

「いや確かに九鬼嘉隆は某の従兄弟です。祖父の頃志摩に移ったのですが嘉隆は旧来の慣習に従わず好き勝手やる男でそのせいで志摩衆との紛争が絶えず、志摩では嫌われて厄介者と呼ばれております」


「左様か・・慣習に従わず好き勝手か、大将はそういう男は好きだと思うな。わっはっは」

「そうかも知れませぬな。嘉隆が戻ってきたのなら領地はどう致しましょう」


「うむ、賀田城を与えよう。三木城はそなたが治めよ。もっとも新しい新宮城が出来たのなら海賊衆はある程度はそこに移住するようになろう」


山中隊の大きな特徴は、現地の隊長が殿の裁可を仰がずにこういう事を決められることだ。他の軍では考えられない事だ。

 新城の山中様の描いた縄張り図を見せて貰った。新宮城の対岸に普請中の城のもっとも大きな特徴は造船所である。

豊富な奥大和の木材を使って、巨大な舟を何隻も同時に作れる造船所を建造する。今までに無い大舟を何隻も作るのだ。そんな事を平気でやろうという者は、海賊多しと言え確かに嘉隆以外には思いつかない。

 適任だ。

 その為の領地の委譲だったのか。

 山中様は、一体どこまで先の事を考えておられるのか、儂などでは到底見当もつかぬわ。



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