第84話・仲氏の野望。


尾鷲・熊野街道を見下ろす砦 仲新之丞


 冷気で思わず身震いして目覚めた。あたり一面が朝靄の中で見晴らしが全く効かない。朝靄の向こうに朝日が出ているのが分かるが、この深い朝靄が冬の訪れを告げている。

 やれやれ、山に籠もるのは早々にやめたいものだな。

 だが、今日からだ。

 今日から戦が始まるのだ。


「誰かある!」

「はっ」


「敵の位置は?」

「昨日の夕方に入った曽根城です」

「ならば、今日は進軍してくるかも知れぬ。進軍してくれば戦が始まるのだ、兵には夕食分まで用意させよ」

「はっ」


 曽根城から八鬼峠までは一里半、そこから封鎖地点までは一里足らずだ。朝に曽根城を出ると昼頃には来る。それを周囲からの一斉牽制で身動きならぬ様に封じ込めなければならぬ。夕食を作る時間は無いと思わなければならぬ。


 兵の話し声が方々で上がって、まもなく盛大に炊飯の煙が上がる。朝靄が出るのは晴れる証だ。雨で地面が濡れると山間の移動が難儀だが、今日は幸先が良いぞ。我らが紀伊に名を轟かす初日なのだ。


 小半刻ほどすると、辺りに米の炊ける匂いが充満した。朝靄も次第に晴れてくる。八鬼山に放った物見からは何の報告も無い。榎本・三鬼隊からも連絡が無いのは敵に動きが無いからだろう。


”三鬼隊から連絡、昨日三木城に敵が入りましたその数二百!”

「うむ、掛かったか」

 それは想定内のことだ。空き城に敵の守備隊が入れば敵勢が減るという事だ。敢えて守兵を少なくして敵が来たのならすぐに逃げる手筈だ。つまり二つの城は餌である。


”榎本隊から連絡。昨夕・賀田城に敵二百が入城したよし!”


 これで敵勢は五百か、我ら一千が地の利を生かして四方から挟撃すれば殲滅間違い無しだな。

 山中隊よ、早く来い。滅亡の道に。


「大変です。て・て、敵が!!」


 兵が慌てて飛び込んで来た。

「どうした、何を慌てている。敵を発見したのか?」

「はい、敵が矢浜で朝餉の炊煙を上げています!!」


「そうか、数は?」

「およそ五百です」


「うむ、そうか・・・何処と言ったな?」

「矢浜です。うしろで御座ります、我らの囲みをあっけなく突破されました!」


「何だと!」


 外に走り出た。確かに背後の矢浜に多くの兵がいて大量の炊煙を上げている。


「何故だ・・」


「物見の報告では、街道封鎖の守備兵は全滅と!」

「・・なんと」


 乾坤一擲の策があっさりと破れたのだ。

何という事だ・・・

頭の中が真っ白になった、腰も抜けたようになって力が入らぬ。その場に崩れるように座り込んだ。山中隊はおそらく夜陰に紛れて曽根城からこちらに来たのだ。


「電光石火の山中隊」というどこかで聞いた噂が頭の中に浮かんだ。まさか到着したその足で、逡巡せずに踏み込んでくるとは思わなかった。いや仮にそうであっても街道を封鎖した守備隊が戦っている時には連絡が来るし、来なくともこちらが気付く筈である。


 闇夜に潜んだ敵兵が音も立てずに守備隊百を葬ったのだ。その状況を想像してぞっとした。何という相手だ。

 まさか堀内でも制圧出来なかった那智の汐崎を一兵も失わずに城ごと焼き尽くしたと言うのは本当だったのか・・


 背中に冷たい汗が流れた。

 今の状況は最悪だ。

 曽根城・九鬼城に加えて賀田城・三木城で前は完全に封鎖されたのだ。後には五百の兵がいる。つまり我らは逆に八鬼山に追い込まれて、補給も絶たれたのだ。

食料は兵の持つ僅か二日分だけだ、このままでは飢える。


待て、しっかりしろ。

まだ負けたわけでは無い。何と言っても背後の敵は半数だ。こちらがまだ圧倒的に有利なのだ。

 よし、撃って出よう!

 全勢力を持って背後の山中隊を潰す。それしか生き残る道は無い。


「榎本・三鬼に連絡せよ。すぐに降りて来られよ。敵は半数、一気に包み込んで殲滅すると。北村・世古にも同様に伝えよ」

「はっ、直ちに伝えます!」


「よし、我らも降りるぞ。出発は小半刻後だ、急いで飯を食え、夕食の用意などいらぬ、決戦なのだ。余分な荷はおいて行け!」

「はっ」



 半刻後、我らは街道に降りた。すると全滅だと報告があった街道封鎖の守備隊は、七割ほどが小屋に押し込めらた状態で無事だと分かった。暗闇から突然弓矢が飛んできて見張りがやられて白刃を突きつけられたと言う。怪我をしてはいないが彼らの怯えは強く隊に加えると士気に影響する。そこでそのまま解放した。


我らに続いて佐古隊・北村隊も降りて来ている。矢浜の手前の矢の川と真砂川が交わる一帯に着くと、山中隊は矢浜の中央あたりで腰を降ろしてこちらを見ていた。奥では調練のように動いている隊もいる。


 矢浜は一辺が一町(110M)ほどの四角い土地だ。手前を矢の川、奥を中川に鋏まれ左は山で右は尾鷲湾だ。千の兵が戦う広さは充分にある。


「背後から三鬼隊と榎本隊が降りてきます!」

「よし、彼らの来る場所を空けよう」


 佐古隊、北村隊が山裾に沿って少し前進して、三鬼隊・榎本隊が矢の川沿いに並ぶ。丁度我が隊を中心にして両翼が直角に翼を広げた形だ。

それに対して相手は、奥の山裾よりに一隊と中央寄りに一隊が固まっている。白地に山と書かれた旗を持つ中央が山中隊の三百で、奥の隊は様々な旗が並ぶ国人衆の隊だ。

国人衆の指揮は・・九鬼か、九鬼春宗・堀内氏虎の友で紀伊の英知と言われる男だ。三鬼新八郎が裏切ったのは、その頭脳に嫉妬したからだ。手強い相手だ。


「しかし山中の動きには驚きましたな。仲殿」

と集まって来た六人衆の一人世古が面白そうに言う。剽軽な言い方で取って置きの策が破れた事を流してくれているのだ。良い男だ、ここは儂も剽軽な言い方で返さなければならぬな。


「ああ、まんまと出し抜かれて某も腰が抜けたかと思ったわ。だが、圧倒的に有利なこの状況は、まさに我らが欲していたものだ」

「左様、まさか五百の隊でここまで進出してくるとは思いも寄らぬ事だわ」


 皆も頷いて同意を示している。我らは二百の隊が五つ・総勢一千は相手の倍数だ。このまま翼を広げて包み込んで攻撃すれば殲滅も可能だ。逃げ場は少ない。


「ここは数にものをいわせてじっくりと攻めましょう」

「うむ、背後は川と海だ、山中隊に逃げ場は無い。このままの陣形を維持して尾鷲湾に追い込もうぞ」

「「承った」」


「ドン、ドン、ドン」

と攻め太鼓が打ち鳴らされた。


「よし、ゆっくりと前進!」

「ゆっくり進め!!」

 全軍が敵を矢浜の角に追い込むように動き出した。まさに格好の展開・絶対的に我らが有利な戦いだ。

敵は蛇に睨まれた蛙のように竦んだように動かない。いや我らが到着するのが速すぎて打つ手が無いのだろう。恐らくは防御柵などを作って時間を稼ぎ、賀田城・三木城の守備隊と挟撃するつもりだったのだろう。


だがもう遅い。


電光石火の山中隊をまんまと出し抜いたぞ。

もうすぐ儂の名が紀伊中に轟く、そうなれば九鬼も有馬も堀内も配下にして熊野三山の威光も熊野水軍も儂のものだ。

逆らうものは攻め殺して儂の直轄地とする。各国人衆からは美貌の姫を出させよう。

毎夜忙しくなるな、考えるだけでいきり立ってくるわい。そして儂が生ました子に家を継がせるのだ。



 ぐふふ。


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