第77話・秋の収穫。



永禄三年九月


暑い季節が懐かしく感じられるほど朝夕の冷え込みが厳しくなっってきた。昼間の気温も快適で木々が美しく彩り始め、田では米の収穫が一斉に行なわれていた。

 木津は例年の半分ほど、それより北は干魃により碌な収穫は無いようだ。橿原や五條はまあまあの収穫で一安心した。


 河内・和泉の戦闘は、三好勢が優勢で高屋城・飯盛山城ももうすぐ落ちそうな状況だ。楠木勢が中小の国人衆を地道に取り込んでいるのが影響している。畠山らにすれば戦力が減る一方で四面楚歌・ジリ貧の状態だ。


山中が電光石火で関・亀山に拠点を作った事で北勢は大きく揺れて、朝明郡・桑名郡・員弁郡の一部も手中にした。桑名湊の年寄り衆は全員が一千貫文のお詫び料を入れることで山中家に臣従したのだ。それで自由都市・桑名湊の歴史は終わった。今後は山中領として大きく発展するだろう。

これで商いの道が堺から南都・桑名湊まで繋がったのだ。山中領として初めて海を手にした事は大きい。


名張を手中にした柳生は伊賀上野に進出して、北畠も長野・神戸を臣従させて北勢に駒を進めた。領地の事は三家で取り決めはされて、北勢でのこれ以上の侵攻はせずに領内の治政に専念するということだ。

山中も千種や梅戸など近江と密接な国人衆はしばらく放置するつもりだ。



多聞城に、ちょっとだけ異装の一行が訪れた。

 着古した麻の筒衣に獣の半掛、蔓の腰紐に山刀に吊るした野性的な五・六十名もの男たちが十台の荷車を引いていた。


「某、十津川の住人・大滝五郎左衛門で御座る。山中様に一言お礼を申し上げたく出て参り申した」


 その一団は地面に深く伏して身じろぎもしない。


 彼らは奥吉野の山の者たちだ。水害に兵を派遣した礼に出てきたのだ。


 三千の兵を二ヶ月の間派遣して、川の堰を取り除き水位を下げて、住民の仮屋を作り兵糧を与えて、道を新たに高い所に引き直した。

 直接的な見返りを求めた援助では無い。いわば山の民との友好を求めたのだ。また命がけの使命という共通の目的が、新兵と以前からの家臣との溝を一気に埋めて、一つの集団として力を発揮できるようになったのも大きい。



「山中勇三郎だ。顔を上げられよ。そこではこちらが気を使う。こちらに上がってお座り下され」


「とんでもござりませぬ。某ども山のものは山中様に受けた恩義にどうお返しして良いか分からずに、まずはお礼を申し上げに参上した次第でござる。こ度の水害での多大なるお助け誠にありがとう御座います」


“ありがとう御座います”と一同地面に額を付けて唱和した。


「礼の言葉、山中勇三郎、確かに承った」


「ご存じの様に、山では米も作れずまともな税も納められませぬ。せめてものお礼にと山の産物を持参してきました。このような野卑な物は不要と申されるとは思いまするが、なにとぞお受け取り頂きたい」


「野卑な物とはとんでもない。いずれも貴重な産物じゃ。有り難くお受けいたしますぞ。この上は城内に留まりゆるりと南都見物などなされよ。ご一同、まずは湯などを使って旅のほこりを落とされよ」


 野卑な装いをしているが、大滝は山の民を束ねる頭の一人であろう。つまりひとかどの大名と同じ力を持ち誇り高き者達だ。扱いには気を付けねばならぬ。

多聞城には三千ほどの兵が詰められる駐屯地を併設していて、百人程度の者を滞在させるのは造作もない事だ。


「ありがたきお言葉で御座います。ではお言葉に甘えましょう」


 案内の者に連れられて、若者たちが立ち去った。残ったのは大滝と一人の若者だけだった。



大滝五郎左衛門


 今度の水害は大きな被害が出て悲しむ事が多かったが、それにも増して大和の山中からの多数の援助を受けたのは嬉しかった。

実際に何十人もの村人が間一髪で命を助け出されたのだ。また、命懸けで川の堰を切って水位を下げてくれた。

水位が下がるのがもう少し遅れたら、さらに大きな被害が出るのは間違い無かった。十二箇所の堰に六百もの人、統制の取れた部隊である彼らでなければ出来なかった作業だ。

さらに家が流された者には仮屋を立ててくれて食料を与えられた、新たに道を高い所に作ってくれた。どれも困難な仕事だが、我らは与えられるばかりで見返りは何も求められなかったのだ。


その過大なる恩に少しでも報いようと、山中様に仕えたい若者を募った。大勢の者が手を上げたが、迷惑にならない様に五十名に厳選して連れて出た。


 まず宇智郡に出てみると驚いた。

五條と名を変えたそこは、以前より遥かに活気があって賑わっているのだ。人々の顔が生き生きとして輝き、数千の兵が職人村造りや新田開墾に従事している。


 さらに橿原に来た。

とんでもない大きさで橿原城は築城されている。それに広い街道が北に真っ直ぐ延びている。

 魂消た。

あまりの光景に異国に来たのかと思ったぐらいだ。その街道の賑わいも尋常では無い。異国だ、まさに異国。大勢の人々の笑顔が印象的な異国だ。奥吉野の厳しい環境ではそれほど多くの笑顔を目にすることは無いのだ。


 南都に到着した。

山中様の住むその美しい白亜の城から目が離せなかった。


 実はこの旅には新宮の堀内家の者が三名同行していた。

我らの土地を流れる十津川は、北山から流れてくる北山川と本宮辺りで合流して新宮へと流れるのだ。

故に新宮の者とは縁が深い。木材や産物を川流しして出した時には、そこで少なくない関税を取られるのだ。残った銭で食料や生活物資を購って戻る。そういう関係だ。


ところが天然の要害・山また山の要害が背後にあると思っていた堀内に、水害援助に三千もの大和兵が来たと言う事実は恐怖をもたらした。

堀内の兵力はたかだか二千足らずなのだ。大和から山を越えてその倍もの兵があっさりと来たのだ。


”大和の山中を調べよ”

という命を受けた三人は五條・橿原と見てきて、しだいに無口になった。自領との繁栄の差を見せつけられた気がしたのだろう。それは当然だ、比べることさえ無意味な差がある。多聞城を見た時には青くなって急いで戻っていったわ。


山中様は田舎大名の堀内が対抗心を燃やすような身代では無いのだ。格が違う、全く違う。帰って臣従する算段でもした方が良いわい。

何故だか愉快だ。堀内は水害の折、一人たりとも助けを寄越さなかったのだ。



「これなるは某の次男坊の六郎太でござる。同道して参った五十名共々殿に召し仕えていただきたくお願い申します」


「相分った。精悍な山の者が仕えてくれるのは僥倖だ。六郎太頼むぞ」

「ははっ」


 山中様は思った以上に若く、気さくだった。だが全く隙が無い。恐るべき武術の手練れだというのは本当のようだ。闘将の化身とまで言われていると聞いていた。


「山中様、実は我らに新宮の堀内殿の家臣が同道しておりました」

「ほう、今、何処にいるな?」

「それが、五條・橿原と見てきて、この多聞城を見て青くなって帰りまいた」

「折角来たのにゆっくりしてゆけば良いのにな・・」


 と、横を向いた。すると男がすっと寄ってきて何かを伝えた。どうやら、彼らの状況は把握されているようだ。周囲に相当数の手練れが居る気配を感じる。


「大滝どのの住む所は平谷と言ったのう、そこには高野山からも道が通じているようじゃの」

「はい、参詣の道でもありますが、我らに取っては物資の入る大事な道です」


「小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)と申すそうじゃな。整備はされているかの」

「いえ、必要最小限で何とか通れる程度で」

「それではお参りされる方々も不便であろう。またこの水害で壊れてもいよう、我らで整備をしようか」

「真で御座りますか」


 山中の隊ならばあっという間に良い道に整備するだろう。天辻越えの街道が実に快適に整備されていて驚いたのだ。あれならば馬で駆け抜けることも出来る。道が良くなれば我らの土地も開けて良くなるのだ。


「そう言えば、良い湯が沸いているそうだな」

と、不意に話題が変わった。

「湯泉地(とうせんじ)ですな。かの護良親王も大層お気にいられたとか」


「ほう、護良親王もお入りになったか、儂も奥を連れて行きたいものじゃな」

「是非、お越し下され」

「うむ、少し寒くなればまいろうかの」

「お待ちしております」

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