第78話・参道整備の奉納。


永禄三年十月

 大和橿原から一千の兵が五條から奥吉野に入った。街道を更に整備しながら奥吉野の中心地平谷に達すると、その半数が再び北上して高野山に向かう街道整備を始めた。残り半数は、熊野本宮大社に向かう街道整備に南進する。

 熊野本宮大社には、三百貫文のお布施と街道整備の奉納をする旨の書状を送っていた。


「百合葉様、わたくし、まるで夢のような心持ちです」

「妾もそうよ。こうやって殿や咲月さんと旅ができるなんて夢みたいです」


季節は晩秋、街道は木々が織り成す鮮やかな色彩に溢れていた。色鮮やかな街道に、騎乗の百合葉と咲月は喜びを露わにしていた。


「大将、真に良き季節で御座るな」

「おう、浮世の事を忘れるな」


と、十市遠勝と並んで先行する二人の奥方を見ている。二人が着ている質素な色合いの着物が紅葉の彩りの中では逆に華やかに見える。


 先行する百騎、後方にも百騎の護衛、全員が騎乗での旅で五條から湯泉地まで約十三里を一日で到着できたのは地道な街道整備のお蔭だ。目には見えぬが杉吉・保豊二組の斥候隊も前後して同行している。


今回の遠征は、百合葉と話し相手に十市夫妻を誘っての湯治旅だ。同行を欲していた十蔵は多聞城で留守番を言い付けた。幹部揃って領地を空ける訳には行かぬのだ。許せ。


街道整備隊に少し遅れて、山中勇三郎の一行が平谷の手前五里の湯泉地に到着したのはそうした季節だった。


「山中様、お待ち申し上げておりました」

「五郎左衛門、約束通り参ったぞ。宜しく頼む」


 大滝五郎左衛門は、宿舎と湯殿を新調していてくれた。主殿と河原を眺められる湯殿は野趣溢れるもので気に入った。それを囲む兵の宿舎に、兵たち大勢が入る大きな湯漕も気が利いていた。


「山中様、こたびは湯の峰や川湯にも参られると」

「うむ、熊野本宮大社にお参りしたついでにな」


「本宮大社までの参詣道を整備なされるかと」

「うむ、それと小辺路・中辺路も整備して奉納したい」


 五郎左衛門の顔が可笑しさを堪えるように歪む。十市もそうだ。


「那智大社・速玉大社もお参りされるか?」

「うむ、熊野三山と申すでな」


「両大社にも、参詣道整備も奉納される?」

「無論だ。一千の兵を入れて」


「ぷっ」と十市が噴き出した。

「うわはは」と五郎左衛門も笑った。

「ははは」仕方がない俺も笑って応えた。


「新宮をお取りなされるか」

「うむ、協力してくれるか五郎左衛門」

「勿論で御座る。無駄な関税が無くなれば何より」

「関税は無くなっても、山中は儲けに対しての税は取るぞ」

「結構で御座る。それが災害の時に援助を受けられる元手ならば」


 どうやら俺の企みはバレていたようだ。既に新宮には乱派・素波衆を送り込んでいる。でも湯治するのは本当だぞ・


「ところで五郎佐」

 五郎左衛門はちょっと長いで略した。

「平谷に西から流れる川にも湯が沸いていると思うがの・・」

「はて、聞いておりませぬが?」

「夢でな、毘沙門天がそう言ったのじゃ、良い湯があると」

「・・ならば人をやって探してみます」

「うむ」



 十日ほど湯泉地で過した。

体がツルツルになったと女らは喜んでいる。

まだ娘の様にも見える咲月どのは既に二人の子供を産んでいる。実はそれでも百合葉の一つ年下なのだ。

咲月どのは今回の旅のために、百合葉を師として馬に乗る稽古をひと月もしていて、まさに姉妹のように仲が良い。

 俺たちの毎朝の稽古にも遠勝共々参加して、鋭い気合声を上げている。


既に十月も下旬になっていた。朝晩の冷え込みが増してきた季節だ。

熊野新宮大社までの道整備が終わり、俺たちは湯泉地をたって平谷に一泊して、峻険な果無山脈を越えて熊野本宮大社に向かった。


「これは山中様、この度のお布施と奉納、真にありがとう御座りました」


俺たち一行を大社の神職が勢揃いして迎えてくれた。その顔が何処かぎこちないのは仕方がない、宿場に隣接している野小屋には先行して道整備を終えた一千の兵が駐屯しているのだ。


 野小屋とは組み立て式の屋根と少しの壁がある小屋のことだ。熊野参詣に五百・一千という人数は珠にある。しかしその人数は門前の宿舎には泊められないので、そういう時に建てるために用意されている。


「宮司どの、本宮大社に参拝できて気持ちがすっと致した。那智大社・速玉大社にも参拝したい。お布施と参詣道整備の奉納も同じ様にしたい。ついてはご宮司どのに口添え願いたい」


「・・・・承知仕った」

 堀内の事を思ったのだろう、宮司の目が白黒していたが気にしない。新宮を支配する堀内は熊野三山の別当である。宮司らの身内であるが、神職である彼らはお布施・奉納を拒否する事は出来ないのだ。


翌日から一千の兵の七割が本宮から南の那智大社に向かう参詣道整備に向かい、残り三割が本宮から西の紀伊田辺に向かう中辺路の整備に向かった。南が多いのは新宮の堀内氏に攻撃される恐れがあるための備えだ。


秋が深まり、いっそう湯が恋しい季節になった。

道整備が一段落するまで俺たちは、本宮近くの川湯という温泉場で湯治だ。本宮大社から小山を越えた所にある湯の峰の湯もなかなか良い湯だが、狭い山間にあるために護衛の兵を駐屯させるのが難しかったのだ。


未明に起きて湯に浸かる。それから半刻ほどの稽古をして朝食、午前は書見などをして午後は軽く歩いたり馬に乗ったり、気が向けば兵と調練をして夕方にはゆっくりと湯に浸かって晩酌だ。傍には片時も離れない百合葉の嬉しそうな顔がある、まさに夢の様な毎日だった。

「咲月様のように、わたくしにもお子を」とせがんでくる百合葉の、滑らかで暖かい人肌も恋しい季節だ。




新宮城 堀内氏虎


山中が来る。


 あの水害の時に何千もの兵が不意に現われて、十津川沿岸の者らを助けた。そしてふた月もの間いたかと思うとすっといなくなった。

 儂らは驚き慌てた。

奥吉野の重々たる山々は、我が領地の背後を固める城壁そのもののであると思っていたのだ。無論多くの山の者が住んでいるが、彼らは平野に進出して来ない者達だ。ところがそこに突如大軍が現われたのだ。


 儂は大和の山中の事を調べさせた。

それまで名を聞いたことも無かったのだ。最初に送った者達は泡を食ったような顔で、まるで異国のような恐るべし国だと口を揃えた言う。だがどうもよく解らん。

それで信頼出来る者を送った。

儂と同じく熊野大社の別当家に繋がる九鬼春宗だ。まだ若いが色々な知識や道理を知り、情報や知略に優れた儂の信頼する男だ。


「民は明朗活発で、街はまるで異国のように整備されて栄えている。巨大な城には無数の兵を養い、日々の調練と国の仕事に働いている」

 と、春宗は今の大和の国の概要を表現した。とんでもない内容だ。


「・・どのくらいの兵がいるのだ?」

「計りかねますが、国力にして数万はいるかと」


「山中とはどういう男だ」

「数年前までは旅の武芸者だったようです。それが松永の麾下となり、頭角を現わしたのは今年初めからです。周辺の国人衆を切り従えて興福寺を麾下にして大和を制圧、その勢いには根来寺・高野山も機嫌を取り、つい先頃には北勢の桑名湊を併呑したよし」


「今年からだと、なんと破天荒な・・」

 開いた口が塞がらないとはこの事か・・、話を信じればどだい儂如きが相手できる勢力では無いということだな。


「堀内が戦えばどうなる?」

「瞬時に滅びましょう。山中は常に半数ほどの兵で他勢力を圧倒してきたようです。おそらく畿内では最強でしょう」


「国は栄えて兵は最強か・・なぜ都に出て行かぬ?」

「公方様の御傍衆の松永弾正殿の麾下でありますれば」

「松永・三好はそれ程の力を持っているのか」

「はい、三好殿は実質畿内の覇者です」


山中の派遣した兵は、そう日が経つ事無く高野山道を拡張して小辺路の本宮大社までの整備を終えた。そして山中本人が本宮に訪れ、那智大社・速玉大社へのお布施と参詣道整備の奉納を伝えてきたと言う。


 つまり山中が新宮に来るのだ。それが確実となった。


「儂はどうしたら良い?」

「臣従するか戦って滅ぶか、殿がお決めになる事です」


「その二択しかないか。他の参拝者と同じく単に参拝して帰るのでは無いか」

「そうでないことは殿がご存じでしょう」


 うむ、山中には臣従するか戦って滅ぶかしかない、という噂は既に領内に広く知れ渡っている。国人衆らの動揺も半端ではない。既に内応している者もいるかも知れないし、召集しても兵は半分も集らぬかも知れぬ。


 そういう事は解っておる。

いや最初から解っておったのだ。あの重々たる山をあっさりと越えて、何千もの救援を送ってくる勢力に抗うにはまだまだ力不足だと。

だが苦労して勢力を伸ばして、やっとここまで来たのだ。顔も考えも知らない相手に臣従するなど嫌だ。


「山中は何処にいる?」

「おそらく川湯かと、警備が固く近寄れませぬ故に」

「兵は?」

「那智への参詣道整備に七百、滝尻王子方面に三百。今までの動きから山中の護衛に二百はおる事が判明しております」


「一千二百か、それも皆強力な兵か・」

「はい、全て常に厳しい調練している精兵です」


「春宗、信用おける腕達者を百名集めよ。腕試しに本宮に行く。お前も来るのだ」

「はっ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る