第16話 素材が良いと、飾り甲斐があるな

 二週間後。

 ごとごとと揺れる馬車の中で、志乃しのは緊張しきっていた。


「そんなにかしこまることはない」

 慶一郎けいいちろうは呆れた様子で、背もたれに上半身を預けている。


「し、承知しております」

 膝の上に置いた拳に力を籠める。それなのに、じわりと広がったのは冷たさだ。完全に血が通っていない。


「外国人だけのパーティーじゃない。こちらの国の業者や商人もたくさんいる。言葉のことは気にするな」

 淡々と話す慶一郎を横目で見る。


 夜の闇を切って馬車は走るが、窓から差し込む街灯に照らされ、慶一郎の姿は比較的はっきりと見える。


 今夜の彼は、タキシードだった。

 ブラックタイが白いシャツとグレーのシングルベストによく映えている。


(な……、何を着せても本当にお似合いに……)

 思うと余計に緊張してくる。


「もたれられないのか?」

 声をかけられ、志乃は強張った顔のまま頷いた。


「飾り結びをしてくださっているので……。崩れたら……」


 はねむら屋が反物の見本を持参する際に、志乃の着付けを手伝ってくれたのだ。


 出来るだけ豪華に。

 なるべく華やかに。

 うちの嫁が一番美しいのだ、と周囲に見せつけるように。


 千代の命令の元、はねむら屋だけではなく、化粧師、理容師がやってきて、志乃は朝から泣きたい気持ちになっていた。


 慣れない振袖に、慣れない化粧。慣れない髪型で、美麗な慶一郎の隣に並ばされる。


 そう思うだけで、腰から力が抜ける。


 お美しいですね。

 きれいな肌で、化粧が映えます。

 おや、これはお千代さまの振袖ですか。やはりいいものは年代を問いませんね。

 嫁御様にもよくお似合いで。お顔が小さいから、ほら、このような洋風の髪型が本当にお似合いだ。


 いくら褒められても、志乃自身は鏡を見る勇気が出なかった。


(……きっとみんな、お世辞で言っているんだわ……)


 家に来て志乃を着飾らせたのは、アメリアが紹介した職人たちだ。

 一流で、しかも今流を知る職人たちだったが、志乃は、「いま、きっと自分の顔は、おかめ」と思い込んでいた。


(……こんな妻ですいません……)

 もう、何度心の中で謝ったか知れない。


「……しかし、あれだな」

 ぼそり、と慶一郎が言い、眼鏡を取って、じ、と志乃を見た。


 ひい、と志乃は肩を竦める。


 どうやってもぶさいくは、ぶさいくだな。


 そう言われる。


 縮こまっていると、するりと手が伸びてくる。

 顎をとらえられ、ゆっくりと慶一郎の方に向かされた。


「素材が良いと、飾りがいがあるな」


 鳶色の瞳が近づいてくる。

 気づけば、唇が重なっていた。

 がたり、と馬車が揺れ、わずかに離れる。


「しまった」

 慶一郎の声が唇を撫でた。鳶色の瞳がすぐ間近だ。


べにをひいてるんだな」


 苦み走った声で言うのに、彼はまた、ぐい、と口づけた。

 緩く唇を噛まれ、そっと開くと、彼の舌が入ってくる。おそるおそる舌先を近づけると、味わうように慶一郎が絡ませてきた。


「……ん……っ」


 小さく声を漏らし、ぎゅと、すぐそばの慶一郎の腕を掴んだ。さっきまで体中が冷えていたのに、今は指先まで熱い。


 長く、執拗な口づけに、「あ」と志乃がこらえきれずに唇を離す。あえぐように首を逸らして息をすると、その首筋に慶一郎の口づけが落ちてくる。

 だが。


「……………。最悪だ。このまま、家に帰りたい」

 言うなり、慶一郎はいきなり身体を離し、どさりと上半身を背もたれに預ける。


「あ、あの……」

 何か不興を買ったのか、と怯えていると、小さく舌打ちされる。


「押し倒して襲いたい。くそ。なんで飾り帯だの化粧だのしてるんだ。手が出せないじゃないか。洋装させておけばよかった」


 言って、がしがしと前髪をかきむしる。かきむしってから、「しまった」とまた不機嫌そうに撫で付け、眼鏡をつける慶一郎をぼんやりと見ていたが。


 嫌われたわけではないのだ、とわかってほっと力を抜き、ついでに彼の発した内容に顔がまた真っ赤になる。


「……もうすぐ着くな」

 窓の外を眺めた慶一郎はポケットからハンカチを取り出すと、乱雑に、と自分の唇を拭う。


 ついでに、まだ真っ赤なまま硬直している志乃の顔を覗き込み、「よし」と大きく頷いた。

 化粧が崩れていないのを確認したらしい。


「胸を張って堂々としていれば問題ない。お前はわたしの妻だ」


 はっきりと言われ、志乃は、すとん、と自分の腹に何かが落ちた気がした。

 それが自信となり、ぐらぐらしていた自分をどっしりと支える。


「はい」

 志乃はぐい、と顎を引いて頷いた。


 馬車は、とある邸宅の門をくぐった。


 そこから、次第に速度を落とす。

 志乃は子どものように馬車の窓枠にしがみつき、外を眺める。


 大きな庭だ。しかも、志乃が今まで見たことのない様式の庭が、門から邸宅まで続く。


 馬車回しの側には噴水があり、かがり火を受けて黄金色の水を宙に放っていた。順番に、規則正しく馬車が止まり、さまざまに着飾った紳士と淑女が出てくる。その合間に、何度か人力車が止まり、老紳士や貴婦人がゆっくりと降りたりしていた。


 ただただ、見惚れていた志乃だが、自分たちの番が来たらしい。


 馬車が止まり、外から扉が開かれる。


 先に慶一郎が降り、手を伸ばしてきた。

 教えられたように彼の手を取る。


 ゆっくりと降りると、すぐそばには、洋装をした使用人の男たちが数人いた。


 いらっしゃいませ、と告げて頭を下げる彼らに目礼し、慶一郎はポーチを歩く。志乃はただただ、彼の腕に捕まって付き従う。


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