第13話 志乃にこれ以上負担をかけたくない

「す、すいません……。実家で着ていたものをそのまま持ってきたので……」

 言い訳がましく口にすると、語尾を千代に潰された。


「慶一郎……。あなた、ひょっとして結納金を渡していないんじゃないでしょうね!」

 語尾になるほど千代の声は大きくなり、ぴくり、とこめかみに血管が浮く。


「……いろいろと省いたことは否定しませんが」

「まったく、どういう神経をしているの!」

 ぴしゃり、と叱りつけると、まなじりを決して慶一郎けいいちろうを見上げた。


「今すぐ、百貨店に行ってドレスを買ってらっしゃい! ついでに、何枚か、着物を仕立てて……」

「パーティーは二週間後よ? 間に合うかしら」


 アメリアは腕を組み、片足に重心を乗せる。

 そんな姿はまるで男性のようだが、彼女にはとてもよく似合っていた。


「……しかたない……。貸衣装………。いえ、そんなのはダメ!」

 千代が首を横に振って断言した。


「そうだわ! わたくしの服を着ればよろしいのよ」

 ぱちり、と手を合わせて言うが、慶一郎けいいちろうは志乃とアメリアを交互に見比べ、肩を竦める。


「裾を上げて、腰回りを詰めて、袖を直していたら、服を一着作るのと同じ手間だろう」

「ちょっと。その物言いだと、わたくしのウエストがものすごく大きいみたいじゃない」


「ははははははは」

「はは、じゃないわよ!」

 食って掛かるアメリアをあしらい、慶一郎は言う。


「そもそも、洋装は嫌いだ。この国の人間ならこの国の服装をすればいいだろう」

「あなただって洋装じゃない」


「仕事で必要なんだから仕方なかろう」

 うんざりした口調で言うと、ふん、と鼻を鳴らす。


「だいたい、そっちの国じゃ、『服を着た猿』と、わたしたちを蔑んでいるだろ。特に女に対しては、風刺画まで描いて」

「……みんながみんな、そうではないわ」

 途端にアメリアが口ごもる。


「では、わたしの若いころの着物はどうかしら。訪問着もあるとは思うけど、〝お披露目〟というのなら振袖の方がいいでしょうし」

 苦渋の決断で千代が口を開く。「うなあぅ」と水雪が同調した。


「そうねぇ。振袖は外国人に受けるし……。リアル市松人形のようで可愛いかも」

 綺麗にマニキュアを施した手でアメリアが志乃を見やる。


「市松人形って……」

 慶一郎の呆れ声を千代は黙殺した。


「慶一郎。あなた、取引相手に呉服屋はいないの」

「まぁ……。外国人相手に販売もしていますから」


「異国の人も、我が国の着物を着るのですか」

 なんとなく驚いて、志乃は声を上げる。慶一郎が洋装しているように、あちらでも外国人が着物を着ていたりするのだろうか。


「ガウンとして利用したりする場合もあるが……。ほとんど芸術品を扱うようなもんだ。額に入れて飾ったり、分解して衝立にしたり……」

 言ってから、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「ばかみたいに高値で売れる」

「その取引先相手に、すぐ来てもらって。いくつか仕立てて志乃さんの普段着にします」

 ぱしり、と千代が言うから、志乃は飛び上がらんばかりに驚いた。


「いえ、そんな! 仕立てるなど……。この着物があれでしたら、どこか古着屋を……」

 一から仕立てるなど、いったいどれほどのお金がかかるのか、と冷や汗が出る。


「志乃。そんなことを言ってはだめよ」

 アメリアが肩を竦め、ふう、と息を吐く。


「あなたはこの瀧川慶一郎の妻なのよ? それに相応しい格好をしないといけないわ」

 噛んで含めるように言われ、志乃は、おどおどと彼女を見上げる。


「仕事相手に挨拶することも、夫とふたりでそういう場に出ることも、あなたは今後必要になってくるの。そんな格好で慶一郎の隣にいるつもり?」


「別にそんなことをさせるつもりはない」

 慶一郎が言葉を遮るが、じろりとアメリアは睨みつけた。


「こういうのは、最初が肝心よ、慶一郎。あとから、あれもこれも、と言われたら、しんどいわ。妻とはどういうものか、あなた、ちゃんと説明しているの?」


「そうですよ。あなた、どうせわたしの世話をさせようと嫁を貰ったのでしょうが……。志乃さんは使用人でも介護要員でもありません。だいたい、妾はまだしっかりしています」

 白濁した目を慶一郎に向けた。


「志乃さんには、妻らしい役割を与えなさい」

 叱られ、慶一郎はいらただし気に舌打ちをする。がりがりと前髪を掻いたが、ちらりと志乃に視線を向けた。


「早急に、はねむら屋に連絡を取ってこの家に来てもらう。お祖母様に見立ててもらって、必要なだけ用意しろ」


「は、は……い」

 おずおずと頷く。その金額は大丈夫なのか、と思うのだが、慶一郎も千代も金額については全く問題ないらしい。


「外国語なら、わたくしがレクチャーしてもよろしくてよ?」

 アメリアが胸を張って言うが、牙を剥かんばかりに慶一郎がうなる。


「これ以上お前に好き勝手やられてたまるか。それに」

 ぼそり、と告げた。


「本当に、志乃にこれ以上負担をかけたくないんだ。放っておいてくれ」


 その一言に。

 なんとなく、室内にいる女たちは目線を交わした。


 彼なりに、心苦しくは思っているのだろう。


 家事全般を取り仕切り、祖母の面倒までみさせていることを。


「……風呂に入る」

 くるりと背を向け、慶一郎が部屋から出た。


「はい」

 慌ててその後を追う志乃の耳に、盛大なため息とふたりの声が聞こえてくる。


「……ほんと、愚かね。慶一郎」

「我が孫ながら……。気を遣うところが違うでしょう……」

 こちらも自分を気にかけてくれていることに、志乃は心がほんのりと温かくなることに気づいた。

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