れいあうと

絵之空抱月

前編—不良

第1話「赤パン女」


 暑い。非常に暑い。マジで暑い。

 どうして日本の夏と言うのはこれほどまでに暑いのだろう。少しくらい太陽も休憩する時間があっても良いんじゃないかと思う。

 土手で寝っ転がっていると元気満点の太陽が見て見てー、と言わんばかりに主張してくる。勘弁してほしい。

 これでは本もゆっくり読めない。

 折角の平日の正午。元々人通りの少ない場所を選んではいるが、静かで寝たりするには丁度良いのに日光だけが騒々しい。

 湿気が少ないのがせめてもの救いだ。湿気があったら何処かのカフェにでもお邪魔する。

 そんなこんなで結局、俺は開いた本を顔の上に乗せて寝転がっているだけだ。

 通行人がいたら間違いなく寝てると思われるのだろう。だが、俺は寝ていない。こんなクソ暑い中寝てられるか。

 腹の虫も活動を再開し始めているので昼飯でも食べに行こうとすると、声が聞こえてきた。

 

 「うわぁー、すごーい…」

 

 気の抜けた女の声。良く言えばほんわかしていて、悪く言うなら馬鹿っぽい。

 この辺に見て凄いと言える物はない。恐らく俺のバイクを見た感想だ。

 昼飯行こうと思っていたのに…これじゃ起き上がりにくいな…。

 そのまま狸寝入りを続けても良かったのだが、女の声が若そうなのでどんな奴か気になる。 

 顔を覆う本を下にズラして目を出す。ずっと光を遮断していたから目が痛くなる。

 しかし、それもあっという間に慣れ、バイクの方向に目を向けた。

 バイクを舐めるように眺めていたのは見覚えのある白い制服を着た女だった。

 どうやら俺が起きていることには気付いてないらしい。

 ここからどう声を掛けたものか。そんな悩みを抱えながら眺めていると丁度俺の真上くらいの位置にやってくる。

 おっ!?

 膝より上のスカートが頭上に来れば当然の如く見えた。

 男でも女でも恋人レベルにならねば見ることが許されない秘境。真っ赤な下着が丸見えだ。


 「おー!モーレツ!!」

 「きゃあっ!?起きてたんですか!?」


 しまった。思わず声を出してしまった。

 俺の声を聞いた女は大袈裟にも体を跳ねさせ、こちらに振り返る。そのジャンプの所為…いや、おかげで再びパンツが見えた。

 

 「大人ぶって真っ赤な下着を履いた女子高生が何か用か?」


 体を起こしながら聞く。


 「見たんですか!?」

 「見えただけだ」


 女は恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めてスカートの前後を抑える。奇しくもパンツの色と同じ顔の色だ。

 そうして、謎の来訪者を良く見てみれば身長はちっこいが、顔立ちは可愛らしく、髪も真っ黒。真面目そうなオーラが漏れ出ている。

 髪の毛に関しては生まれつきもあるから黒髪だから真面目とは一概には言えない。

 しかし、自分と違うのは見て取れる。少なくとも不良ではない。


 「んで?なんだ?」

 「その…バイクに惹かれまして…同じ学校の生徒さんですよね?」

 「そうだな。見ての通りだよ」


 俺は両手を広げて服を見せびらかす。

 学校をサボるにも親にぐだぐだ言われるのが面倒だから平日は基本制服だ。

 

 「平日なのにこんな場所に…不良さんですね?」

 「お前も大概だろ」

 「私は…その……体調不良で早退を…」


 俺に会っている時点で女にもブーメランが突き刺さる。

 そこを詰めてやるとなにやらバツが悪そうにモジモジし始めた。さては体調不良は嘘だな?

 とは言えこいつがそう言うのならきっとそうなのだろう。嘘だったとして俺はどうもこうも言える立場じゃないしな。

 そこでモジモジ女は「そ、そうですよ!」と話を切り替える。


 「私はお前って名前じゃないですよ!」

 「そうかそうか、じゃあ名前を言え。佐藤か鈴木なら下の名前。そうじゃないなら苗字だけでいい」

 「なんだかざっくりしてるんですね……福武ふくたけです」

 「じゃあ福武、敬語は禁止。同い年なのに敬語使われんのはなんか嫌だ」

 「そう言うならそうするけど…私はなんて呼べばいいの?」

 

 意外と切り替えが早いのは助かる。こちらが良いと言ったら良いんだから敬語なんて使わないで欲しいのだ。

 

 「俺か?……不良でもヤンキーでもツッパリでも好きなように呼べ」

 「じゃあ、不良さんで。うふふっ」

 

 何故だか福武は俺のことを呼びながらへらへら笑っている。

 

 「不良さんは学校をサボってここで何をしてたの?」

 

 さっさと帰れば良いものの、福武は俺の隣に座って聞いてきた。

 誤魔化すようなことでもないので俺は正直に答えることにする。


 「本を読んでた」


 暑かったから途中までだけどな。


 「何の本読んでたの?」

 「上手いセックスの仕方」

 「えっ!?そ…そうなの……?」

 「いや嘘」

 「なんだ…びっくりした」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような驚愕の表情から一瞬で胸を撫で下ろす福武。スロットマシンみたいに表情が変わる。

 これはどうやら予想通りの大真面目ちゃんだな。俺が読んでいたのはただの小説だ。


 「そんだけか?何も用がないのなら俺はもう行くぞ」


 俺は今から昼食を食べに行くと言う大事な用事がある。福武の下らない興味に応じている暇などない。

 持っていた本をリュックの中に突っ込んでから背負い、目ん玉のデザインが施されたフルフェイスのヘルメットを手に取り立ち上がる。

 しかし、バイクに向かおうとする俺の腕を掴む奴がいた。

 勿論、福武だ。ここには俺と福武以外人影は見当たらない。


 「ちょっと待って!」

 「なんだよ?学校に真面目に行けとでも説教垂れるつもりか?んなこと言っても無駄だぞ」


 振り返らずに福武の言いそうなことを先に言っておく。

 女子と言うのは得てして不真面目さを許さないことが多い。

 合唱コンクールとか掃除とか大好きだからな。小中学時代に「ちょっと男子ー!」とか言われている奴がいたのをよーく覚えている。

 制服で学年が分かるようになっているのに敬語を使ってくる奴だ。相当なお人好しなのは間違いない。

 大体こうやって突き放すような言葉を投げつけてやると引き下がるのだが。


 「だからなんだ——」


 掴んだ手を離そうとしない福武に痺れが切れた。

 乱暴にでも振り解こうと福武側に振り向くと——今にも泣きそうな顔で俺を見つめていた。

 つい、言葉を途中で止めてしまった。

 眉を八の字に歪ませ、ひどく懇願するような悲痛に満ちた表情。今ここで俺が逃げたら死んでしまいそうにも見えた。

 さっきまでの可愛らしい面持ちは何処に旅立ってしまったのか。

 

 「はぁ……じゃあもう少し話し相手になってやるよ」

 

 ここで無視して翌日土左衛門が発見されても寝覚が悪くなる。

 仕方なく、リュックを背負ったまま再び土手に座る。それに釣られて福武もまた俺の横に座った。


 「なんか、悩みごとか」

 「あはは…分かる?」


 単刀直入に聞くと、福武は苦笑いしながら答えた。

 あの顔を見せられて体調不良だと言い張る奴がいたらそいつは漏れなく阿呆か馬鹿だ。


 「聞くぐらいなら出来るぞ」

 「じゃ、じゃあ…その、不良さんは誰かの期待を裏切ったことってある?」

 「現在進行形で」

 「そ…そっか…そうだよね。私はそれがとっても怖いの。今もそう」

 

 期待を裏切るのが怖い。

 詳細が省かれていてよく分からないけど学校サボるのが怖いとなると先生か、親とかの期待なのだろう。

 

 「学校に行かなきゃいけないんだけど…ちょっと行きたくないなって気持ちも出てきて…どうして良いのか分からない。今すぐに家に帰るのもなんだか億劫で…」


 福武の声が震えているのが分かる。もしかすると今回が初サボりなのかもしれない。

 悪い方向に道を外れると大したことでもないのに強い罪悪感を覚えたり、人の期待に応えられない時に不安を覚えるのは基本的に優しい人間だ。

 

 「もしも希望の大学に行けなかったら、不登校になってしまったらどうしよう、とか思ってんのか?」

 「まあ…学校サボるとサボり癖が付くみたいだし?それは怖いなぁ…と」 

 「サボったら何も良いことはないか?」

 「えーっと?多分ないんじゃないかな?」

 

 俺の質問に首を傾げ、戸惑いながら福武が確証なく聞き返してくる。

 よしよしよし、真面目ちゃんらしい最高の模範回答が返ってきたので俺は立ち上がる。


 「昼飯食ったか?」

 「まだだよ。それがどうかしたの?」

 「じゃあ飯食いに行こうぜ。ほれ」

 「うわわっと!」


 ヘルメットを福武に投げ渡す。特に合図もなしに投げたのに慌てながらもキャッチした。反射神経が良い。

 鳩が豆鉄砲喰らったみたいにぽかんと立ち尽くす福武を尻目に俺はバイクにキーを差し込み、回す。車体の右側にあるキックペダルを起こし、左手でレバーを握りながら何度かペダルを踏み込む。

 インジケーターの色が変わったのを確認して、一気に踏み下ろすとエンジンが轟き出した。


 「ほら、後ろ座れ。そのヘルメット買ったばっかりだから気にすんな」

 「でも私がヘルメット被っちゃったら…ノーヘルになっちゃうよ?」

 「別に良い。なんてったって俺は不良だからな」

 「そっか、じゃあ…乗るよ?」


 不安とバイクに乗る高揚の両方を抱えていそうな福武が恐る恐る後部座席に跨る。

 

 「何処を掴めば良いの?」


 ヘルメットの中から聞こえてくるくぐもった声に俺はちゃんと聞こえるようボリュームを上げて言ってやる。


 「後ろの金属の棒を掴むんだけど怖かったら肩か腰でも良い。まあそんなに飛ばさないから安心しろ」

 

 幸いなことに俺のリュックに入ってるのは本とか筆記用具だけで薄っぺらい。腰に腕を回そうと思えば余裕のはずだ。

 多分、肩を掴むのだろうと思ったのだが、福武の腕が腰に触れた。

 腰の前で組まれた両手はまるでベルトだ。意外にもギュッと強く握り締めている。

 

 「発進するぞ」

 「うん…」


 騒がれても面倒なので速度はあまり出さずにゆったり走らせる。

 リュックさえなければ最高の感触が背中に触れていたと思うとリュックで来たことを後悔する。

 俺がしょうもないことで歯噛みしているうちに福武の強張った腕の力が抜けていくのを感じた。

 何事も結局は慣れれば問題ない。

 バイクの恐怖感は消え失せ、便利な乗り物だと理解する日はそう遠くないはずだ。

 十数分走って、目的地に到着する。その間、福武との会話はなかった。

 こちらとしてもありがたい。ヘルメット被ってる奴とインカムなしで話すのは色々と面倒だからだ。

 駐車場がないので店の前にバイクを停め、福武に貸したヘルメットをハンドルに引っ掛ける。

 

 「ここがお店?」


 福武の疑問も当然だ。俺も初めて来た時は店とは思わなかった。

 外観はほぼ民家。『お食事処』とか『定食』とかそれらしい看板は見当たらず、あるのは青い暖簾だけ。なんでも藍色で染められた暖簾は虫が嫌がると聞いた。

 

 「そうだ。さっさと入るぞ」

  

 ガラガラと騒がしい音が鳴る引き戸を開け、店内に入る。

 店内はカウンター席が三つほど設けられている。それ以外は全て座敷だ。


 「いらっしゃい。また来てくれたのね。ありがとう」

 「おうおう、なんだ今日は女っこ連れかい。やるねぇ…!」

 「そんなんじゃないっすよ」


 店に入るや否や人当たりの良さそうな割烹着姿のおばさんがお礼を言い、作務衣のおっさん店長がからかってくる。

 これを常連の特権と取るか弊害と取るかはそいつ次第。俺は特権だと思っている。

 逐一気にしていてもキリがない。俺は靴を脱いで座敷に上がる。

 勝手の分からない福武も俺を真似て座敷に上がる。その際に俺のと一緒に靴の向きを直した。

 やはり優等生か…それか俺が酷すぎるだけか。

 俺たちが腰掛けるとおばさんがおしぼりと水、メニュー表。更にいつもはないオレンジジュースらしきものを持ってきてくれた。


 「じゃあ、ごゆっくり」

 「ありがとうございます」


 サービスで貰ったオレンジジュースをストローを使わずに一口。身体中にキンキンに冷えたジュースが染み渡るのを感じる。

 クーラーの効いた部屋で冷えた飲み物…これは最高だ。

 至福の一コマを楽しんでいる俺を対面に座っている福武がぼーっと眺めている。

 

 「水とジュースはもう飲んでも良いんだぞ」

 「その、不良さん、敬語使うんだと思って」

 

 なんとも失礼なことを言われた。


 「店員に敬語は当たり前だろ。つってもくっ付けたなんちゃって敬語だけど」

 「私はちょっと間違ってても敬意が見えれば良いと思うよ」

 「そう言う奴らばっかりならありがたいんだけどなぁ…」


 どの道こちらの勉強不足か経験不足だから偉そうなことは言えない。

 なんだか福武と話しているといつまでも終わらなそうに思えた。だから先に二つ折りのメニューを開く。

 話は食べながらでも出来る。


 「好きなの選べ。俺の奢りだ」

 「え…?初対面なのになんでそんな良くしてくれるの?」

 「パンツ見せてくれたご褒美とか?」

 「そこはせめてパンツ見たお詫びと言って欲しかった…でも、じゃあお言葉に甘えて」


 福武は体を乗り出してメニューを見下ろす。手に取らないのは俺も見られるように配慮しているらしい。

 全部のメニューを暗記はしていないし、食べたことはないけど大体注文するのは一緒だからメニューはなくても良い。

 暑い日に熱々のうどんなんかを食べようとは思わない。

 ラーメンなら食べるけどわざわざこの店で注文するのは違う気がしてしまう。


 「これ…うーん…こっちも美味しそう…」

 

 メニューのあちこちを指差しながら頭を悩ませる福武。無駄にメニューが多いのに写真がないからかなり難航している。

 選り取り見取りのメニューから一品を選ぶ福武の顔は楽しそうだ。

 

 「むうー…悩む…店長さん!」

 「おう!なんだい!お嬢ちゃん!」

 「何かおすすめはありますか!」

 

 決め倦ねた福武が元気良く手を上げて店長に呼び掛ける。

 可愛らしい女子高生の客なんて普段来ないだろうから舞い上がっている。福武並みに元気が良い。

 クーラーが効いているのに暑苦しい元気なおっさんとか勘弁してくれ。


 「そりゃカツ丼よ!元気出るぞー!」

 「じゃあそれをお願いします!不良さんは?」

 「店長、俺は冷たいおろし蕎麦大盛りに…海老天を」

 「はいよ!ちょっと待ってな!」


 俺たちしかいない店内に店長のハキハキとした声が行き渡る。

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