いまさら付き合ってだなんて言われても、もう遅いのよ……

青水

いまさら付き合ってだなんて言われても、もう遅いのよ……

 俺には幼馴染がいる。名前はカナ。


 カナの自宅は我が家の隣にあるので、俺たちは幼いころから毎日のように遊んでいた。カナの両親は昔、「将来、カナの旦那さんになってあげてね」なんて俺に言った。俺にとってカナは幼馴染で、家族のような関係だったからか、結婚や交際を意識したことはなかった。近すぎると見えないものがあるのだ。


 しかし、やがて思春期と呼ばれるような時期になると、俺はカナのことを意識するようになった。この場合の『意識する』とは、カナのことを好ましい異性として認識する、ということだ。つまり、俺はカナに恋をしたのだ。


 距離が近すぎると見えないものがある。客観的に見れなくなるのだ。どういうことかというと、カナは俺が思っている以上にかわいくて人気がある、ということだ。俺の友人でもカナのことが好きなやつが何人かいたし、周りの人はみんなカナのことをかわいいと言った。


 自分のことを卑下するわけじゃないが、俺は決してイケメンではない。自分の顔立ちが悪いとは思わないが、よくもない。背も並くらいだし、勉学や運動に秀でているわけでもない。俺には他の人にはない『強み』と呼べるようなものはなかった。


 俺はカナにふさわしい男じゃない。次第にそう思うようになった。美少女であるカナにふさわしいのは、同等のスペックを持つ美少年だけなのだ。


 カナと俺は幼馴染であって、それ以上の関係ではない。告白をしても、どうせ振られるだけだ。振られたら、幼馴染――仲のいい友達という関係が崩れてしまう恐れがある。今の関係が崩れ去ることを俺は極度に恐れた。


 だから、中学時代、俺はカナに告白をしなかった。


 カナはたくさんの男子から告白をされていたが、おそらくそのすべてを断っていた。カナに彼氏がいるという話は聞かなかった。本人に「彼氏がいるかどうか」という質問をするのは躊躇われた。だから、確証性のない噂だ。実際のところはわからない。でも、多分、カナには彼氏はいなかったのだと思う。


 ◇


 高校に入ったあたりから、カナと喋る機会が減った。


 高校が別々になったから、ではない。俺とカナは近所の公立高校に共に進学した。一緒の高校に行こうと決めていたわけではない。近所にあって、公立で(学費が安い)、真ん中くらい(正確には中の上)の高校がそこしかなかったのだ。中学の同級生もたくさんその高校に進学していた。


 では、どうしてカナと喋る機会が減ったのか? それは俺がカナのことを避けるようになったからだ。もちろん、露骨に避けたりはしない。廊下ですれ違えば挨拶くらいはする。でも、自分から話しかけるようなことはあまりなかったし、昔よりよそよそしくなってしまったと思う。


 カナが友達たちと仲良く喋りながら廊下を歩いていると、なんだか眩しくなって――そして、心の中で形容しがたい複雑な感情が沸き上がって、胸が苦しくなった。場合によっては、カナたちが過ぎ去るまで教室で待っていたりもした。


 俺は高校で冴えない人間になっていた。


 いじめられたりしていたわけではない。クラス内のカースト上位の男女とも、普通くらいには喋る。友達も多くはないが、それなりにはいた。しかし、スクールカーストにおいて、カナのいる階級と俺のいる階級は明らかに違っていた。違う階級の男女が仲良く喋ることに、少し違和感のようなものを抱いてしまう。


 俺はカナにふさわしい男じゃない。その考えが、より強くなった。こんな俺がカナに好意を抱いて告白をするのは、とても愚かしいことだ。どうせ、振られるに決まっている。わかりきったことをあえて行うのは、馬鹿でしかない。


 俺は高校でもカナに告白をしなかった。


 高校でもカナは人気があった。容姿が優れているだけではなく、内面も――性格もよく、女子人気も高かった。高校時代、カナに彼氏がいたかどうかはわからない。いてもおかしくはない。だけど、カナに彼氏がいるという話は聞かなかった。


 ◇


 カナは地元の国立大学に進学した。一方、俺は東京の私立大学に進学して、一人暮らしを始めた。大学も、住む場所も違えば、会う機会はほとんどなくなる。たまに連絡を取ったりするくらいだ。後は実家に帰ったときに、会って軽い会話を交わすくらい。


 おそらく、カナには彼氏がいたはずだ。でも、彼氏のことなんて怖くて苦しくて聞けなかった。俺はまだカナのことが好きだったのだ。もうずいぶん長い間、同じ少女を想い続けている。少女だった彼女は、いつの間にか大人の女性になっていた。


 俺には恋人ができなかった。いや、『つくらなかった』と言ったほうが正しいか。同じ大学の、同じサークルに入っている子から告白された。バイト先の後輩からも告白された。しかし、俺はどちらとも付き合わなかった。


 カナのことを――彼女に抱いた恋心を忘れるべきだったのかもしれない。しかし、忘れることなんてできなかった。次、カナに会ったら、振られることを覚悟して、それでも思い切って告白しよう――。そう思った。


 次の機会はすぐに訪れる、と思っていた。だけど、実際はすぐには訪れなかった。だから、俺はスマートフォンでカナに連絡を取ろうとした。しかし、連絡は取れなかった。スマートフォンの機種変更をしたときにアクシデントが発生して、諸々のデータが消えてしまったのだろうか? 


 大学を卒業する少し前に、実家に帰省した。カナの実家にも行った。彼女の両親に会い話を聞くと、カナは今アメリカの大学に留学しているとのこと。日本に帰ってきたら、カナに会って告白しよう、と心に決めた。


 ◇


 学生時代が懐かしい、と思った。会社の帰り、電車に乗っていると、参考書を読んでいる高校生や、これからサークルの飲み会だろう大学生を見かけた。懐かしさを感じるほど前でもないか、と首を傾げた。まだ社会人になって二年強なのだから。いや、もう二年以上も経ったと考えるべきか?


 カナとはもう四年近くは会っていない。彼女は今、どこで何をしてるのだろう? 日本にいるのだろうか? それとも、アメリカかどこか外国で暮らしているのだろうか? 


 もちろん、告白はできていない。


 カナを好きになってから一〇年以上が経過していた。カナに告白することは半ば諦めていた。俺は人生を前に進めるために――カナのことを忘れるために、告白してくれた子と付き合ってみることにした。交際するのは楽しかったが、どうしてもカナのことが忘れられなかった。やがて、その子との関係は終わった。自然消滅に近い形だった。


 自宅に帰ると、スーパーで買った安い弁当を食べながら、冷えたビールを飲んだ。今日は金曜日。つまり、明日は土曜日で明後日は日曜日――休日だ。やることもないので、どこか出かけようか、と考えていると――。


 スマートフォンが鳴った。


 誰からだろう? スマートフォンを手に取って画面を見てみるが、電話番号は登録されているものではない。知らない番号だった。間違い電話だろうか、と着信を押して耳に当てる。


『もしもし』


 と相手が言った。

 俺は空になったビールの缶をぐしゃりと握り潰してしまった。誰の声なのか一瞬にしてわかった。少し緊張してしまう。


「……カナ?」

『久しぶり』

「ああ、久しぶり」

『突然なんだけどさ、明日か明後日、予定空いてる?』

「どっちも空いてるけど」

『じゃあ、明日――』


 カナは場所を指定した。

 カナは今、東京に住んでいるのだろうか? それとも、俺に会うために東京に来てくれるのだろうか?


『じゃあね』


 用件を話し終えると、電話が切れた。


 できることなら、もう少し話したかった。だけど、明日になれば、電話越しではなく、直接喋ることができるのだ。


 ビールをもう一缶飲むと、シャワーを浴びて、明日に備えていつもより早く眠ることにした。もう大人だというのに、緊張してうまく眠れなかった。学生時代に戻ったかのような、初々しい気持ちを久しぶりに味わった。


 ◇


 指定された場所は、高級レストランだった。その前で五分ほど待っていると、カナが現れた。上品なゆったりとしたワンピースを着ていた。その上に淡い黄緑色のカーディガンを羽織っている。


「ごめん、待った?」

「いや」

「久しぶりね、リョウ」

「ああ」

「何年ぶりだっけ?」

「四年、くらいかな」


 緊張からか、あるいは久しぶりだからか、うまく話すことができない。そんな自分が情けなくて仕方がない。


 カナは別人のような雰囲気をまとっていた。俺の知っているカナとは全然違う。これが時の流れというものなのか……。きっと、カナから見て俺も、違って見えるのではないか?


「入ろっか」


 昨日、俺との電話の後、このレストランを予約したのだろう。カナが名乗ると、個室へと案内された。


「ごめん、今まで連絡しなくて」

「いや、カナも忙しかったんだろう?」

「うん、まあ、いろいろとね」


 今度、カナに会ったら告白しよう――。

 そう、告白をしなければ。だけど、初心な中学生のように恥ずかしくなって、告白のセリフは口から出てこない。

 料理が出てくるまでの間、そして料理を食べている間、俺たちはお互いにこの四年間にあったことをかいつまんで話した。


「じゃあ、今は東京で働いてるんだ?」

「うん……」カナは頷いた。


 本題はこれじゃない、と俺は確信した。

 幼馴染に久しぶりに会ってのんびりとお喋りをすることが目的ではないのだ。俺と同じく、カナも『話したいこと』があるのだ。しかし、ちょっとした躊躇いのようなものがあって、なかなか言い出せずにいる。


 なんだろう、と俺は思った。もしかして、俺がカナに告白しようとしているように、カナも俺に告白しようとしているのか――ってそんなわけない、か。


 料理を食べ終えたので、俺は告白することにした。


「あのさ、ずっと前から――一〇年以上前から、カナに伝えたかったことがあるんだ」

「伝えたかったこと?」

「好きだ。付き合ってくれ」


 できるだけ落ち着いた口調で俺は言った。

 カナは驚いたように目を見開いた後――静かに泣き始めた。


 まさか泣かれるとは思わなかったので、俺は大いに慌てた。どうして泣いているのか、わからなかった。俺に告白されたことが、そんなにショックだったのだろうか? 嬉し涙じゃないことくらいはわかる。


「どうして……どうしていまさら……」


 カナはうなだれて首を振った。


「いまさら付き合ってだなんて言われても、もう遅いのよ……」


 その言葉が、ぐさりと俺の胸に突き刺さった。


 言葉の意味が理解できなかった。いまさら? もう遅い? それらの言葉から推測すると、もっと前に『付き合って』と告白したら、オーケーしてくれたかのような、そんな言い方じゃないか。


「どうして、もっと、ずっと前に言ってくれなかったの?」

「それって……」

「私もリョウのことがずっと好きだった。だけど、リョウは私のこと好きじゃないと思ってたから。だから、だから……」


 片思いだと思っていた。だけど、違ったのだ。俺とカナはずっと両思いだったんだ。だけど、お互いにそのことに気がつかず、月日が流れてしまった――。


「今からでも遅くはない。付き合おう――」

「遅いのよ……」カナは首を振った。「もう遅いの。遅すぎたの……」

「それって……」

「今日、私が何のためにあなたに会いに来たか教えてあげる」カナは言った。「私ね、もうすぐ結婚するんだ」

「結婚……」俺は呆然と呟いた。


 結婚相手は留学先で出会った日本人らしい。年齢は一つ上で、東京にある外資系企業で働いているとか。

 話は結婚だけでは終わらなかった。もう一つ、報告があったのだ。


「それとね……」カナはお腹を優しく撫でた。「お腹の中に赤ちゃんがいるの」

「……おめでとう」そう言うしかなかった。


 頭の中がぐるぐると回っている。思考回路がおかしくなって、うまく考えられない。これは夢なんじゃないか。夢であってくれ。しかし、現実なんだ。現実から逃げてはいけない。ちゃんと見なければ、見なければ――。


「この二つを、幼馴染で――大切な友達のリョウに伝えたかったんだ……」

「おめでとう。幸せになってくれ」俺は泣きながら言った。「俺の告白はなかったことにしてくれ……」

「うん……」


 この後、俺たちは何事もなかったかのように世間話をして――別れた。


 ◇


 後日、結婚式の招待状が届いた。


 俺はカナの結婚式に出席しなかった。幼馴染として、友達として、出席するべきだったのかもしれない。だけど、どうしても出席する気持ちにはなれなかった。


 カナのウェディングドレス姿は見たい。だけど、結婚相手は見たくない。二人の幸せそうな姿を見たら、俺の心は深く深く傷つくことだろう。そして、新郎を見て――もしも、もっと前に告白していたら、俺がカナの隣に立っていたのだろう、と思って泣いてしまう。そんな情けない姿を見られたくはない。


 カナが結婚式を行っているとき、俺は自宅のベランダで空を眺めながら、一人情けなく泣いていた。


 どうして、もっと早く告白しなかったのだろう? 今までに、チャンスは何回も――何十回もあったはずなのに。どうして、どうして!


 傷つくことを恐れていたら、何もかもを逃してしまう。身をもって知った。


 過去には戻れない。前を向いて歩いていく、という選択肢しか俺にはないのだ。どんなに苦しくても、どんなに後悔しても、歩くしかない――。


『いまさら付き合ってだなんて言われても、もう遅いのよ……』


 涙ながらに言ったカナの言葉が、今でも俺の胸に深く深く突き刺さっている。



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