→【来るんじゃなかったと思う。】→取り繕うのは悪い事ではないとは思う。
→取り繕うのは悪い事ではないとは思う。
俯瞰。
それは見下ろし視点ゲームよりも上で。
まさに神の視点というべきか。その心情すら伝わってくる。
何かの物語を見ているようだ。
古くも古く、正確には伝わっていなかったのだろう話を。光に飲まれた俺はそれを見せられるというよりも植え付けられでもしているように。植木鉢に人間の指が刺さることを拒否できないように、俺もそれを拒むことはできないらしい。
それは、兄弟の神扱いされている生き物たちの話のようだ。聞いた風な話だ。ごくごく最近に。
兄弟の神とその地の民の人間の話。呪いの話だと記憶している。
兄のほうの神は、美しい姿をしていた。
ここまでは聞いたことと同じだったが、この先からはもう聞いている話とずれてしまった。
兄神は美しかった。ただ、それ以外何も持っていなかった。
無能。
その一言につきるだろう。神と呼ばれる存在だ、人と比べればそれは無能とはいえないことができるのだが、それは兄神にとって何の慰めにもならない。
他の有象無象の遠い地にいる神々と比べて下から数えて早いのは当然、逆に外見の美しさだけがあるからか、兄神の中身は生まれてすぐから捻じ曲がっていったといってよい有様だったようだ。
そして弟の神が産まれ、それは加速した。
弟神は、兄神と対比するように醜い姿をしていた。
神と崇められ、己たちをそう名乗る者たちは基本的に人から見ても美男美女である。そういう種族性出会ったのだろうと思われた。
だからこそ際立つ。
兄神が美しいからなおさらに際立った。
ただ、そこにあるだけで貶められる弟神を見て――兄神は、生まれてこのかた感じたことのなかった満足感のような、満たされる何かを初めて手に入れた。
一番初めは否定した。
二度目は見ないふりをした。
三度目は欲望に耐えきれず。
際を越えてしまえばもうどうしようもなかった。
兄神は、それによって己の悪性を自覚してしまう羽目となる。
悪意のものであるから、兄神はただそれを知らしめた弟神を恨み、またその恨みに満足感を抱く。ねじ曲がった性根では、相手が悪いと思うは容易い事だったのだろう。
弟神はその容姿以外、優秀であったこともそう思う容易さに貢献した。
兄神のことなど足元に置いておける程度には優秀であったのだ。
ただ、だからといって天才というわけでもなかった。
そのことが、またじくじくと兄神を蝕む。いっそ、太陽と虫ほどの差があれば、と何度も考えたようだ。
どうして、どうして天才でないものですらできることが己にはできないのか。
どうして、こやつは己ができないことを簡単にやってのけるのだ。
どうして、簡単にやってのけるくせにそれを誇りもしない。
自然に恨むこともさせてくれないのか。
そんなことをじくじくと傷を膿ませるように湧かせる日々。
それは、勝手な話だろう。
とてもとても、自分本位で勝手な話であった。
しかし、もし弟神がもっと天才であったり、まるで人でいう聖人のように慈悲の塊のような存在であったなら兄神もこうはならなかったかもしれない。
ただ、弟神はちょっと珍しい程度に優秀で。
ただ、その辺にいる神の中でも珍しくないような存在として目の前にあった。それなりに優秀。満遍なくできるというのは珍しいが、特化者に比べればそこそこでしかないもの。
弟神はといえば、兄神が己を疎んじ、嫉妬し、逆恨みのような感情を向けていることを理解していた。
理解して、どうにもしなかった。それを率先してどうにかしようとは考えなかったのだ。
それは、どうでもよかったからだ。
それは、どうにかしてやろうと思わない程度には家族という繋がりを当たり前に見ていたからでもある。
弟神は、ほとんどのことが大体すぐにできるようになった。
大体、優秀といわれる範囲に収まるくらいにできる。
神にできるほとんどのことがそうである。円グラフにでもすれば、満遍なく丸くなるだろう。奇異な才といえばそうなるようだった。
しかしそれは弟神にとっては当然のことで、兄神はそれを羨んでいるが自身にとってはつまらないことだったのだ。
なんでもある程度はできるが、それ以上にはならない。そこまではいける。それ以上はいけない。それがはっきりと理解できてしまう。
努力からの達成感もくそもなく、チャレンジ意欲がどうこうとか、向上心とか、馬鹿げ過ぎたもので。
弟神にとって、自らや自らに似た存在というのは最初から檻の中にいるに等しいものである。それのどこが羨ましいというのか。理解の範疇にない。
同じようなら、己である意味すらないというのに、と。
むしろ、負の感情であろうがなんだろうが、それを突破できる兄神のほうがそこにある存在として優秀であるとすら思っていた。
弟神は、その実ほとんどのものに興味を持てない欠陥を抱えていた。それは、その優秀さがそうしてしまったのか、それとも元からそうであったのかは自身にもわかっていない。兄神が、他のものがいう優秀さとやらは、弟神の問題を何も解決してはくれなかった。
例えば、あまり他に興味ない素振りというものを見せない分別はあり、そのあたりの神と呼ばれる存在並みの慈悲等を表向き見せてはいた。が、実際そうしているのはただそうしたほうが問題が起きないと思っているからにすぎない。
人なるか弱きものを守ってやろうとか、信じ敬うエネルギーの対価として加護でもくれてやって更にそれを強くしていこうとか。表向きは一般的な神並みに興味を示したようには見せていて、それでもコンプレックスがあるからと残念がりさえしてみせても、そんなことに本当は心から興味がなかった。
助けてくれといってるからできることをやってやった。言わないものが目の前で溺れ死のうがどうでもいい。その程度の気持ち。
それらを、兄神に伝えたりはしなかった。羨むといってもそれは薄いものでしかないということも、いって解決できるものでもないと決めつけてしまっていたからだ。
それでも、その感情をさえ伝えていれば、もしかしたら兄弟の仲はもっと良かったかもしれない。
その中で、兄神の嫉妬や弟神の執着を持てない問題等々は解決したかもしれない。
だが、それが起きないのが現実だった。
兄神は弟神を家族だから恨んで妬み続けるし、弟神は、家族だから切り捨てはしないがそれ以上を思う事も理解することもない。
変わらないな、と俺は思った。
人間と、大して変わらないな、と。
いつだってあるとは他者との関係だ。いいことも悪いことも、大体がそう。喜ばしい事には他者が関わることが多いし、悲しみにも他者が関わる事ばかりだろう。他者と関り苦しみ、他者と関り喜び、他者と関われないことを苦しみ、他者と関われないから喜ぶ。神
と呼ばれてさえ、多数いるのなら一つで完結できないという事なのだろうか。それとも、自称しているだけの存在というだけなのだろうか。むしろ、神と呼ばれる存在であるからこそかもしれない。
思えばすぐに、まるでその人物であるような感覚で、しかし見ないことはできないまま進む話を見て、そんなことを思う。
どの辺が神なのだろうか。見た目は同じようだが、あれは人ではないのだろうか。
こんなものがいたのだろうか。現実にもいるのだろうか。
誰かの想像の中にでもいるんじゃないだろうか。ゲームしたところから実は夢の中というオチだったりしないだろうか。
これ今もいるのだろうか。いたらもっととんでもないことになってないとおかしくないだろうか。
消えたとしたら、それはどうしてだろう。神と呼ばれるほどに力があったのだろうに。
ぽつぽつと疑問などは浮かぶが、随分じたばたして、どうにもならないとわかったから逆らうのを止めていた。
ゲームでもスキップできないムービーはある。そのように思うしかないだろう。
興奮等もすぐになかったように沈静化されるようだ。
ただ見ることだけを命じるように。
無理やり押し付けられるようで業腹ではあるのだろうが、それも落ち着かされる。
快不快がないわけでも、怒りや不安を感じなくなったわけでもない。ただ、自然に思っても川を流れるようにするすると。激化しないというべきだろうか。
そのおかげで、体が無いような感覚にも現実に帰還できない状態にも、必要以上に取り乱すことはない。
改めて考えると取り乱すような状態だ。
大体大祐たちはどこにいったのだ。
同じように見ているという事なのだろうか。
一人一人に合わせて映像を流すなど、コストをかけてくれるものだ。
それとも、それが簡単にできるから神と人から呼ばれていたのだろうか。
ともかく、満足するまで続きを見るしかないだろう。
神様の言う通り、かどうかすら知りようもないが。
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