梅の花

@ungo

夜の梅

 夜中二時、蝶番を軋ませながら外に出る。日が沈んでからずっと部屋の明かりをつけていなかったため、街灯に照らされた夜道が眩しく見えた。夜気が肺に沁み、頭はすっきりと澄んでいく。アパートの階段を、重力に体をあずけて操り人形のようになりながら踏み鳴らす。他の住人が起きてしまうのが怖かったが、体は言うことを聞かない。半ば体の奴隷になった意識は、ただ黙って頭のてっぺんを見下ろしていた。意識を支配した体は、階段を降りるとどこかを目指して歩き始めた。

 三十分ほど歩いた頃、ようやく意識に体の主導権が戻ってくる。夢を見ていたような感覚で辺りを見回すと、くねくねと曲がった道の真ん中に突っ立っていた。右側は住宅街が広がり、どの家も深い眠りの中にあるようで、明かりは一つもついていない。左側には深い用水路があり、底でひかえめな水音を壁に響かせながら水が流れている。その向こうは墓地で、数百の墓石がこちら側を向いて立っている。用水路には貧相な、石でできた橋が架けてありその橋を渡って、墓石が並ぶ斜面を奥まで歩いていくことができた。橋のたもとにはひかえめな電灯が灯っている。墓地に踏み入るが不思議と恐怖心はなく、墓石に彫ってある名前に親近感さえ湧くほど落ち着いた心持ちだった。

 ゆっくりと墓石の間を通っていき、一番奥までたどり着いた。そこには一本の梅の木がある。咲きこぼれる梅の花は、墓地内に灯りはないのにまるで光っているように闇に浮き出て見える。決して大きくないその木はしかし凛々しく、上へ上へと枝を伸ばして花を見せつける。見る者を惹きつけるそれは高音の音色のようで、同時に人を癒す力を持ち合わせており、泰然とした様はなぜか、見事に墓地と調和されていた。

 意識は体を操り、その梅の一番細い枝に手のひらを差し出した。枝についた小さな花を潰さないように、枝を包んで指を閉じると、枝の先を根本の方に折り曲げ、何度かねじったあと、その枝を引きちぎった。

 その瞬間、墓地と梅の調和は崩れ、梅も、墓地すらも不完全なものに成り下がった。

 意識はゆっくりと体を反転させ、もと来た道を何事もなかったように帰っていく。坂道をゆっくりと下り、背中に墓石の非難を集めながら用水路を渡る。渡り際に、花のついた枝を用水路に落とした。花はひかえめな水音とともに、深い水路を流れていった。

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