私は御使い様じゃありません!

高山小石

プロローグ

 人混みでざわつくコスプレ会場のトイレ前をすりぬける時、若い子たちの声が耳に入ってきた。


「あれー? こっちにエリカ様こなかった?」


「トイレ入ったけど、まだ出てこないよー」


「え、遅くない? 大丈夫なの?」


 大丈夫です。目の前にいます。と、口には出さずに心の中だけで答える。

 心配してくれてありがとう。いつも私を見てくれてありがとう。でももう、どこかで出会っても私だと気づかないんだろうな。


 会場から離れた地元の居酒屋で、無事に相方と合流できた。


「ちーちゃん」


「えりか、良かった。お互いうまく抜け出せたね」


「うん。今日は最後の日だから、とことん飲もうよ」


「いいね。コスプレに」


「コスプレに」


 ジョッキを持ち上げて乾杯する。

 今日で私たちはコスプレを卒業するのだ。


 私がコスプレを始めたのは高校生の頃、ちーちゃんに誘われたのがキッカケだった。

 ちーちゃんは背が高くてスレンダーなのがコンプレックスな女子だったけど、文化祭での男装コスを絶賛されたことでそっちの扉が開いた。

 同じマンションの同級生のよしみで、私は幼馴染として、ずっとそばでちーちゃんを見ていた。

 ちーちゃんの斜め後ろが定位置の私は、影が薄すぎるのもあって、周囲からはわりと本気で背後霊として認識されている。


 とにかく私の顔は薄い。


 真っ白な肌に黒くない髪、つぶらな瞳、うすい眉、主張しない鼻と口。一言でいうと幽霊みたいなのだ。鏡を見るたびに自分でもぎょっとする。顔のパーツはちゃんとあるのにのっぺらぼうみたいだな、と。

 同じ系統の母が「とにかく清潔感と体型は維持して、胃袋をつかむために料理の腕は上げておくのよ」と仕込んでくれたおかげで、メリハリボディで髪も肌も爪の先までつやつや、料理もできる。


 しかし考えてみてほしい。


 どれだけ胃袋をつかめる料理の腕前があったとしても、その技を披露する場がなければ宝の持ち腐れ。たとえメリハリボディだとしても、背後から声をかけられ振り向いたところで舌打ちされることが両手の指より多くなると、やはり顔か、顔なのか、とやさぐれてしまう。


 そんな心を折られる日々を送る私に、生まれ変わったちーちゃんがコスプレをすすめてくれた。

 「別人になれるよ」と。


 存在が背後霊な私はせめて人間になりたくて、誘われるままちーちゃん家に行った。

 でも、そこで見せられたキャラクターに土下座して謝りたくなった。

 似てないにもほどがある。

 さすがは人気キャラ。目はパッチリ、ほころぶ口元、絶妙なパーツからなる花咲く存在感がまぶしい。

 その子の衣装は制服なので服だけは着こなせるかもしれないが、明らかに顔が浮く。現実ではありえない髪色と髪型は用意されていたウィッグでクリアできたものの、顔の中身がのっぺらぼうでは残念すぎる。


「やっぱり私には無理……」


「だぁいじょうぶ。えりかはさ、いうなれば上等なキャンバスなんだよ」


 白い学ランを着たちーちゃんは、赤いセーラー服をまといウィッグをつけた私にぐいぐい迫ってきた。壁を背に、これ以上は下がれなくなった私を、ちーちゃんは長い腕で囲う。あぁこれが噂の壁ドンというやつか。初壁ドンごちそうさまです。


「えりかの顔、すごく化粧映えすると思うんだ」


「それ、本気で言ってる?」


 中学生時代にちーちゃんと二人で初めて化粧品を買った。

 きっとメイクしたらお姫様みたいになれるんだ、とドキドキしながらメイクした結果、ちーちゃんはどこの失敗した女装男子かって出来映えで、私は口さけ女だか口だけ女だかこんな妖怪いるよね状態だった。

 二人とも無言で顔を洗い、買ったばかりの化粧品をゴミ箱に持っていった切ない思い出がよみがえる。

 それから私もちーちゃんもノーメイクを貫いていたのに。


 ちょうどいい身長差で私をあごクイしたちーちゃんは、猫のように目を細めた。


「さ、私を信じて、身をゆだねて?」


 絶対狙ってそれっぽいセリフを言ってるな、と思いながらも目を閉じて、開いた時には鏡の中に、さっき見せてもらったヒロインがいた。

 私がコスプレにハマった瞬間だった。


 後から聞くとちーちゃんは、コスプレイヤーになってからメイクの勉強を始めたらしい。すっごくかわいい子のメイクを思わず褒めたらメイクについてのアドバイスをもらえて、それから本格的にメイクに興味をもったのだとか。


 どれだけスレンダーとはいえ、ちーちゃんはまごうことなき女の子。

 でも、男の子コスの時は不思議と男子に見えるのは、衣装だけでなくメイクの力もあったらしい。

 言われてみれば、始めたばかりの時よりも違和感は減り完成度が高くなっていた。


 二次元キャラとはいえ人間になれたことに感動した私は、ちーちゃんと一緒にコスプレするようになった。

 ちーちゃんにとっても、気心の知れた女子キャラとペアなのは都合が良いらしかった。うん。ちーちゃんがモテすぎて怖い。

 自分で服も作りたいと思って挑戦はしたものの、布がもったいないのであきらめた。私に裁縫スキルはなかったようだ。


 どうにかしてコスプレ元に敬意を表したくなった私は、原作を読み込み、キャラの趣味がお菓子作りなら作中と同じお菓子を作り、乗馬が好きなら乗馬を習い、火薬の知識があるのなら危険物取り扱いの資格をとるようにした。

 いきなり積極的になった私を両親も応援してくれて、なにを目指しているのかわからない習い事や資格試験の数々を許してくれた。


 コスプレは楽しかった。

 キャラクターになりきっている間、私は人間になれる。私の言葉は相手に届く。

 でも、それも終わりだ。 


「結婚式も向こうで挙げるんだよね?」


「そうなんだよ。できれば日本で挙げたかったんだけどね」


 ちーちゃんを見初めたのは私たちが勤める会社の取引先の海外支部の人だった。

 その人と並ぶとちーちゃんが小さく見えるほど大柄な人で、「見上げるという行為が新鮮だよ」とちーちゃんは嬉しそうに話していた。

 それから色々あって、ちーちゃんは結婚を機に海外移住することになった。


「えりかはずっとコスプレ続けたらいいのに」


「一人はさみしいもん」


「あー、それは私もそう思うよ」


 コンプレックスの塊だった時も、コスプレで盛り上がってからも、私たちはずっと一緒だった。

 今ではすっかり私だけで別人メイクをできるようになったから、私一人でも続けることはできるけれど、一人でイベントに参加するのはハードルが高すぎる。もし参加したとしても、いつも横にいてくれたちーちゃんがいないとなると絶対どうしたのか聞かれるだろうし、それにいちいち答える元気もないし、なによりちーちゃんがいないことを再確認するのが悲し過ぎる。


「まぁハロウィンも年々派手になっているからコスするチャンスはあるよね。えりかの写真送ってね。私も写真を送るよ」


「うん。楽しみにしてる。結婚式は絶対行くからね」



     ※



 翌朝、幼馴染がいなくなった会社での給湯室兼休憩室前で、私の足は止まっていた。


「西野さんてぇ、存在感ないですよねぇ」


「なんか気づくと後ろにいたりして、ビビるー」


「座敷童とかそういうレベルだよな」


 同じフロアからの安定の評価にどうしたもんだかと考える。

 現在の私の髪は肩を少し過ぎたくらい。背後霊じゃなく座敷童を望まれているのなら、髪を黒く染めて肩口で切るのもありかも。


「でもさ、こまごました仕事が気づいたら終わってるのって、妖精みたいでいいよな」


「いねむりした靴屋に出てくるアレか」


 妖精は今までになく好意的な意見だ。もっと髪の色をぬいてゆるふわパーマでもあてるべきか。


「妖精はないですよぅ。ポルターガイスト的ななにかじゃないですかぁ」


「すみません! ポルターガイストって、どんなイメージなんですか?」


「「「「…………」」」」


 しまった。ポルターガイストが意外すぎて、想像できないから参考までに聞きたくて質問しただけなんだけど、場が凍ってしまった。


「……失礼します」


 本来の目的である会議室の準備に必要だったポットを手に、そそくさとその場を後にした。


 そう。ちーちゃんはコスプレをきっかけに社交的な人間になれたけど、私は変われなかった。コスプレしてキャラになりきれた時はキャラの気持ちで話せるけれど、普段はろくに話せない。会社にも制服があるんだからコスプレしてると思い込もうと頑張ってもみたけど、無理だった。私はキャラ設定がないと気の利いた会話もできないコミュ障なのだ。

 仕事は普通にできるんだけど、こういう時が微妙にツラい。

 今までなら日頃の鬱憤をコスプレで発散できてちょうど良かったんだけどなぁ。


   ※


 帰りの電車でラッキーなことに座れてうとうとしていたら、背後からすれ違う電車の通過音が、前方からは女性の怒鳴り声が聞こえてきた。痴漢でも出たのかな。


 ぐっと服をひっぱられて慌てて立ち上がったら、女性たちに囲まれていた。


 日本人よりもはっきりした顔立ちの女性たちは結婚式の帰りなのか、ドレスアップしておそろいのショールを身に着けている。いやこれ、けっこうセクシー系だから結婚式じゃないわ。なんだろう? あ、ダンス教室かな。体のラインを見せつつ露出もあって、情熱的なダンスを踊れそう。

 つい観察している私に文句を言っているのはわかるんだけど、言葉が全くわからない。


 コスキャラに関係する国の言葉をさわりだけでも知りたいと思って、ラジオ講座やらテレビ講座やら駆使した結果、意味はわからなくとも、英語、ドイツ語、フランス語、中国語、韓国語かは聞き取れるようになったと自負していたけれども、まだまだだったようだ。


 とにかく怒っているのはわかるので、寝ている間に足を引っかけてしまったのかもしれない。とりあえず頭を下げようとしたら警笛の音とともに男性が走ってくるのが見えた。良かった。駅員さんが来てくれた。

 ほっとしたのもつかの間、駅員さんだと思った男性が私の腕をつかむと引っぱって歩き出した。


 ちょっと待って。ここ電車の中のわりに薄暗いし、広すぎない?


 駅員さんだと思い込んでいた男性の制服は、よくよく見ると全然違うデザインだった。 


 まずブレザータイプじゃない。

 見た目だけなら黒の前ファスナータイプの学ランを長くしたみたいなんだけど、膝丈までストンとまっすぐじゃなくて、ほのかなAラインを描いており、ウエスト部分には金属の複雑な模様のバックルが付いた太めの装飾ベルトがナナメにひっかかっている。

 さらに警察官の式服のように両肩上部と右肩から右胸にかかる金色のモールがついていて華やかだ。左胸にある飾りは階級ごとに違うのかもしれない。


 見慣れない制服を観察している間に連れて行かれていた私に、女性達はなにやら捨て台詞をくれていた。


「すみません。どこに行くんですか?」


 男性に聞いたら、振り返らず怒った声が返ってきたけど、やっぱり聞き取れない。

 それより変だ。いつの間に電車から降りたんだろう。

 薄暗い砂利道を引っぱられるのに恐怖を感じて抵抗したら、靴が脱げて転んでしまった。

 ストッキングが破れて、膝から血が出ている。

 痛みに顔をゆがめていると、男性の声が和らいだ。

 さっきまでの強引さはなくなり、なだめるような声で話されて、両脇に手を差し入れられて持ち上げられて立たされた後、頭をなでられ手をつながれた。


 なんか子供扱いになった?


 さっきまでより気遣ってくれているからまぁいっか、と素直について行ったら、同じ制服の人がいる建物の中に入り、階段を下り、牢屋に入れられた。


 西野えりか(25)、もしかしなくても異世界転移したみたいです。

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