答はナイフの中に

真琴龍

【ONE】~【THREE】

【ONE】


 新栄にあるピンク色のケバケバしいネオンが特徴的なラブホテルで同級生の二階堂なつみが首下にイボがある脂ぎったおっさん相手に一発三万円で売春行為を行っている時、俺と横溝は並んでパチンコを打っていた。俺が二万円目を入れた時、横溝は連チャンが七回目になって持ち玉が一万発を越えていた。その時、二階堂なつみは馬鹿みたいに股を広げていたし、おっさんは馬鹿みたいに腰を振っていた。それは恰も猿みたいに。そして、俺はその二万円目が丁度なくなったときに、パチンコを辞めて喫煙所に向かったし、ラブホテルでは愛もへったくれもないクソな行為が終わりを迎えていた。いや、正直なところ二階堂なつみが売春していようと、その行為の最中で何だかんだ言って達していようと別に俺にとってどうでも良いことだった。でも、そういうどうでも良いことの中に物事の本質があるのではないかとどうでも良さそうな奴が哲学者ぶって馬鹿みたいなポエムを書き連ねることは多々あるし、それはもしかしたら事実なのかもしれない。だが、そんなことを考えることすら俺には無駄なことにも思える。そんなことを言い出したら、俺のパチンコ屋に寄付した二万円の方が無駄のようにも思えるが、まあそんなことは言わないで欲しい。

 思えば二階堂なつみという女はそれなりに肝の据わった女だった。そもそも中学校二年生から売春行為を行っているのだから肝が据わっていなければ話にならない。彼女の武勇伝として一番有名なのは、やはり彼女が高校入学して一月ほどして高校の保健室のベッドを簡易的なラブホテルにしたてあげたことだろう。いや、勿論、保健室の壁を全てピンクのペンキで塗りつぶしたり、細長い葱みたいな電球を枕元で消灯出来るようにDIYしたわけではない。そもそも、ラブホテルとは女と男がセックスするだけの場所であり、それ以外なんの意味もない訳である。最近だと、ラブホテルで映画やドラマを見ることも出来るようだが、ハッキリ言ってそんなものはナンセンスなのだ。ラブホテルなんてただ吐き捨てるようにセックスする場所以外の何モンでもないのだ。と話が横道に逸れてしまった、元に戻ろう。ともかく、二階堂なつみはその保健室の窓際から二番目のベッドで売春行為を行い始めた。何処から何処までが何円だとかそう言った具体的なことはこの際述べることは辞めておこう。とりあえず、この話で重要なのは学校という場所でわざわざ売春行為を行った二階堂なつみの根性なのである。後に二階堂は「学校の先生って結構羽振り良いんだよ」と俺に言ったことから、恐らく二階堂の上客は学校の教師陣だったようだ。何とも面白い話だ。しかし、流石に保健室での売春行為は無理があったようで、二階堂の悪行――と言ってもそれには教師陣が加担しているのだが――に対しては、三週間の停学という罰が与えられた。学校でセックスしているのだから、退学になってもおかしくはないと思うのだが、二階堂は割と軽い刑で済んだのである。これも全て二階堂が健気に股を広げた甲斐あってのことなのだろう。

 そうこうして、稼ぎ場を奪われた二階堂が次に目を付けたのはパパ活だった。SNSで小金を持っていそうなおっさんにダイレクトメッセージを送ってはデートまがいなことをした。キャバ嬢のアフターとか言う奴である。二階堂はそのパパ活を一年近くやっていたが、しばらくして再び本格的な売春行為へと戻った。本人が言うには「パパ活はぬるい」ということらしい。俺からして見れば何がぬるいのかどうか分からない。それならば売春行為はアツいのだろうか。俺にとってアツいと思えることなど、パチンコを打っていて金保留が出るときぐらいだ。と、また脇道に逸れてしまった、元に戻ろう。そして、再び売春の世界に戻ってきた二階堂は今日のように自分の身体を売ってはそれなりの額のお金を手にした。高校生の月のバイト代が恐らく五万円くらいなのだから比べるまでもない。その辺の大学生が汗水垂らして飲食店で働いている間、二階堂は一時間ただ股を開くだけでその数倍もの金額を稼ぐのだった。こうして二階堂の貯金額は高校三年生になる頃には八〇〇万近くになっていた。俺は二階堂がそんなに貯金していることを知って、一度訊ねたことがある。

「何に使うんだそのお金」

「何にも使わないよ」

 そう二階堂は答えた。何にも使わない? 正直言って彼女が考えていることがさっぱり分からなかった。そもそも、売春行為をしている時点で分かるはずもないのだが今はそんなことは脇に置いておこう。つまり、二階堂は金銭に対する執着というものはなかったのである。家計が苦しくて・・・・・・、みたいなお涙頂戴な身の上話もなかった。俺はこの事を聞いたとき少し肩透かしを食らった一方で、この女の肝の据わり方にひどく感嘆した。余りにも感嘆したのでその日は二階堂を抱いた。二万円払うつもりだったが二階堂は五千円で良いと言ってくれた。良い女だ二階堂。

 そんな二階堂も売春行為をする中で色々と揉め事に巻き込まれたことがあった。最初は高校一年生の時、つまり保健室ラブホテルが顕在だった頃、当時のバスケ部の部長からの告白を振った二階堂が突然、保健室でこれまたハンドボール部の副部長相手に股を開いている時に、彼にナイフを持って襲われたという事件だ。これはマジでヤバかったらしく。バスケ部部長の岩谷くんのナイフは見事に保健室の白いシーツを切り裂いたし、ハンドボール部副部長の関根くんの右腕もついでに切り裂いた。関根くんは突然切りつけられたことに非常に驚愕したようで、チンコにコンドームをつけたまま逃げ出したらしい。肝の据わり方が尋常じゃない二階堂も流石にこれには腰を抜かしてしまい、一時は本当に岩谷くんに殺されるのではないかと恐怖したらしい。一応、二階堂も死への恐怖心は持ち合わせていた。それで、二階堂は気の狂ったメンヘラ岩谷くんにナイフで殺される運命だったのだが、ひょんな因果で保健室に偶然やってきた俺によってボコボコにされ、二階堂の命は救われた。思い切り岩谷くんの顔面を殴ったところ、当たり所が悪かったらしく簡単に気絶したので、お詫びとして彼のチンコにもコンドームをつけてやった。うわーばっちぃ。こうして、二階堂は無事助かった訳だが、この一悶着のせいで保健室ラブホテルは閉業に追い込まれることになった。一応、形だけ謝ったが二階堂は「しょうがないって、鮎川くんのせいじゃないよ」と言った。まあ、実際の所、俺のせいではないのだから俺が謝る筋合いではないのだが、当時の俺は割とピュアだったせいで、二階堂の秘密を明るみに出してしまったことに少しだけ責任を感じていたのだ。とはいえ、そんな責任感も何度か二階堂を抱いた後に忘れてしまったのではあるが。

 二回目の事件は二階堂が高校二年生の時にやばい会社員のおっさんにストーカーされたあげく、またナイフで刺されそうになったという事件である。どうやらこのおっさん(確か名前は本条とか言った)も岩谷くんと同様に商売人の二階堂に本気で恋してしまったらしい。全く、頼むからいい歳して変なことやらないでくれよと流石の俺も溜息を吐いた。この時も二階堂一人だったら、二階堂が刺されて、はいおしまいという感じになっていただろうが、神様の悪戯なのか、偶然俺と横溝が二階堂と一緒に居たおかげで九死に一生を得ることが出来た。代わりにおっさんは滅茶苦茶ボコボコにしてやった。最後の方はおっさんも「や、やめてくださいやめてください」とか言っていたが、俺たちはおっさんが気絶するまで辞めなかった。俺たちはキレる若者とかいう奴なのだ。そんな泣き脅しが通用するほど甘ちゃんじゃない。こうして、俺と横溝はおっさんをボコボコにすると「次やったらてめえのチンコ。コンドームごと切り落とすぞ」と出来るだけ凄ませた声で言って、その場を立ち去った。

 と、まあこんな感じで二階堂はどうにか二度のナイフの危機をかいくぐった訳なのだが、流石に偶然とはこうも続かないようで、二階堂は八月の終わりに遂に刺されてしまった。腹部をぐさりと一突きされて。犯行現場は路上だったが、運悪く目撃犯というものは居なかった。二階堂はどうにか一命を取り留めたのだが、病院に長いこと入院した。真っ白なベッドに横たわる二階堂は流石にやつれた様子だったし、鼻の穴とかに訳の分からないチューブが通されていて生気というものが感じられなかった。本当なら真っ白なベッドと二階堂の姿を見ることで俺は保健室ラブホテルのことを思い出すはずだったのに、その時はそのことを思い出すことすら出来なかった。二階堂の側では二階堂の妹の雫が座っていた。雫は二階堂の妹であるはずなのに、二人は全く以て似ていなかった。見た目が派手な二階堂に対して雫は大きな黒縁眼鏡をかけている文化系女子だった。全く、二階堂の親はどういう育成計画を立てたのか俺には全く分からなかった。これほどまで姉妹で違いが出るものなのかと。とはいえ、雫は俺と横溝が二階堂のお見舞いに行ったときは常に二階堂の側に居たし、二人の関係性は至極良好だった。雫は二階堂と一緒に居るときは良く笑ったし、日を重ねるごとに俺たちとも喋るようになった。雫は地味な女ではあったが、別にそれだけのことで話をしてみると意外に面白い女だった。特に、雫は本について詳しく、文学について無知な俺たちに色々と面白い話をしてくれた。この作者はホモだったとか、この作者はパクリがバレて自殺したとか。そういうくだらない話。もしかしたら雫はもっとフィッツジェラルドがサリンジャーに与えた影響力だとか、チェーホフとレイモンド・カーヴァーに共通する叙述テクニックだとかそういった高尚な話をしたかったのかもしれないが、彼女はそんなことは一度も口にはせず、「鮎川さんって面白いですね」と何時も微笑んでいた。俺はそんな風に雫と過ごしているうちに雫と一発やりたくなった。雫は地味ではあるが、二階堂の妹のだけあって顔は整っているのだ。ちゃんと髪の毛を切って化粧をすればそれなりに目立つのではないかと思えるぐらいに。だから、俺がそういう風に思うのは至極当然のことだったのだが、俺は決して雫には手を出さなかった。思春期にありがちな止めどない性欲を化物のような理性で押さえ込んだ。というのも、俺は雫と交わってはいけないと思ったのだ。雫は俺たちのような歪んだ人間になってはいけないのだと。そういうことで、俺は勿論、横溝とも雫はセックスをすることはなかった。もしかしたら、俺の知らないうちに横溝と雫がセックスをしていたかもしれないが、もしそれが事実ならば、俺は横溝をあのおっさんのようにボコボコにしないと気が済まないだろう。けれど、横溝は隠し事をするタイプではないし、それに俺との約束は絶対に破らないのでそんな心配は恐らく杞憂だ。俺と横溝はアツい友情で結ばれているのだ。たぶんね。

 そうしてなんやかんやあって、二階堂は無事に退院することが出来た。しかし、腹部には大きく傷痕がついてしまった。その病院の中で一番のお医者さんが二階堂のお腹を縫ってくれたらしいが、彼女の綺麗な肌には一本汚らしい傷痕がついてしまったのだ。このことについて二階堂はショックを受けるかと思いきや、意外にあっけらかんとしていた。それに、彼女はこの傷痕をつけた後も、当たり前のように売春行為を再開させた。痛々しい傷痕は買い手も遠慮するのではないかと思ったが、二階堂の需要は留まることなく、それどころか増加する一方だった。もはや二階堂の身体がもう一つか二つないと追いつかないといったぐらいに。俺はそのことについて二階堂について訊ねたことがある。

「なんで、お前そんな人気なの?」

「分かんない。でも、やっぱり私が可愛いからじゃない?」

 二階堂はそう答えたが、俺にはいまいち分からなかった。というのも、あの事件以降俺は二階堂を抱いていなかったのだ。とは言っても、二階堂に傷痕がついたからそうしなかったという訳ではない。おそらく、二階堂に傷痕が残っていようと残っていなかろうと俺はそうしなかったと思う。つまり、俺はあの事件を経てから、心の何処かしらで二階堂のことを肝の据わった女ではなく可哀想な女だと認識してしまったからだと思う。だからこそ、もう二階堂をお金で抱いてやろうとは思えなかったし、そういうことは辞めた方が良いのではと思う程だった。勿論、それは個人の勝手なので言わなかったが。

 こうして俺が二階堂に抱く感情というものは変わったのだが、それで二階堂と俺の関係性が不仲になったという訳ではなかった。俺たちは前と同じように軽口をたたき合ったし、それに馬鹿みたいに遊んだりした。勿論、交わること無しに。むしろ、それが無くなったおかげで俺たちは今まで以上に仲良くなれたと思う。結局の所、男女の友情というものは成立しないのだ。そういった関係性の中にはどうしても性という概念が顔を覗かせてくる。あくまで俺の意見だが、結局その関係性の結末は交わるか交わざるかというものであって、そこに真の友情というものは成立することは出来ない。友情の成立という答えに関して、同性であることは絶対条件なのだ。対して、セックスという行為が失われた俺たちの間では真の友情というものが成立したと思う。いわば俺が擬似的に自らの睾丸を切り落としたことで真の友情というものを実感することは可能になった。勿論、これに科学的根拠もクソもないのだけれど。

 で、俺たちの関係性は良好で、視界良好、オールグリーンって感じだったのだが、やはり神様の悪戯というのは突然のようで、十月の終わりに突然俺たちの高校の同級生が殺人事件に巻き込まれてしまった。
























【TWO】


 被害者の名前は本田水希。百五十センチぐらいの背丈にBカップくらいの胸をしていた。顔立ちは悪くないし、頭もそこそこ良かった。勿論、俺たちの通う高校は二階堂のような例外を除けば、そこそこ頭の良い高校(確か、旧帝大に毎年三十人くらい受かるぐらい)の学校だったので、本田も例外なく、そこそこ優秀な、そこそこ可愛い女だった。しかし、本田は何の因果か殺されてしまった。本来なら本田のような一般的な生徒ではなく、俺や二階堂のような例外が刺されるべきだと言うのに。とはいえ、終わってしまったことをとやかく言ってもどうにもならない。結局、殺されたのは本田で二階堂も俺も殺されることはなかった。本田の死因は刺殺だった。これも見事に二階堂とそっくりで。ただ本田は運の悪いことに胸を刺されていた。心臓を一発ブスりと。しかも、その死体発見現場が俺たちの通う旭陽高校だったというのも問題だった。つまり、本田の死体は学校で見つかったのである。この面白い事件にマスコミの連中は面白い具合に食いついた。青少年の非行や学校の呪いだとか面白おかしく表題を付けては、下衆な週刊誌が本田の死を取り扱った。

 本田の遺体を最初に発見したのは本田と同じクラスの榊原庄一と藤原緑と加藤隆二だった。聞いた話によると、三人が学校で肝試しをやっている最中に偶然、空き教室で本田の遺体を発見したらしい。非常に怪しい。そもそも、学校で肝試しをしているなんて所が怪しい。俺は二階堂という前例を知っているので、もしかしたらコイツらも3Pするために学校に来たのではないかと睨んでいる。ま、そんなことはどうでも良くて、本田の遺体の第一発見者はこの三人であり、遺体を見た榊原はオシッコを漏らし、藤原は卒倒し、加藤はゲロを吐いたらしい。いや、これもどうでも良い情報だな。

 ところで、その頃俺と横溝は何の因果か探偵ごっこをするのにハマっていた。パチンコ以外にまともな趣味がなかった俺たちは新しく何か面白いことがやりたくなったのだ。非常に単純な理由。だが、趣味というのはそういうものなのだ。最初は、『名探偵コナン』だとか『金田一少年の事件簿』とかを読んでいたのだが、段々と俺は探偵ものの深みへと嵌まっていった。雫が色々と有名な推理小説を貸してくれたので、俺の趣味の幅は格段に広がっていった。とは言っても推理小説以外の本は読まなかった。トルストイも村上春樹も読まなかった。読んだのはせいぜいレイモンド・チャンドラーとダシール・ハメットまでだった。そうやって国内外の推理小説を読んでいくうちに俺はあることに気付いた。どうやら、俺と横溝の苗字は偶然にも日本の推理小説の巨匠たちと一緒だった。もう一人、高橋という奴が居るらしいが、俺たちの友人には残念ながら高橋という奴は居なかったので、全員集まることは出来なかった。これは非常に心残りである。

 そんな風に年甲斐もなく探偵ごっこに夢中になっていた俺たちにとってこの事件は絶好のイベントだった。この事件は愛知県警が必死こいて捜査をしていたらしいが、どうにも犯人の足取りは分からなかった。そこで、俺たち少年探偵団(と言っても少年という年齢ではないし、そもそも二人だけだし)はいっちょこの事件を解決してやるかと息巻いていたのだ。とは言うものの一介の学生風情がまともに捜査に加えてもらえる訳もない。それに、警察に知人が居る訳でもない。犯行現場は厳重にキープアウトの黄色と黒のロープで立ち入り禁止にされていた。ただ、俺たち少年探偵団はそんなことで諦めるほど甘ちゃんでもなかった。俺たちは用務員さんと当直の先生の目をかいくぐって深夜の学校に上手いこと入り込んで、勝手に操作をしてやろうと考えたのだった。はい、ビバ青春。

 で、俺たちは旭陽高校の北館二階に忍び込んだ。本田水希の遺体はこの奥にある空き教室で見つかったらしい。俺たちはそのドアを開けて中に入る。

「案外、普通だな」

 横溝が言った。確かに普通だ。ここで本田が死んだというのに、この空き教室も他の教室と変わらない普通の教室に見えた。恨みを持った本田の幽霊がウワァーって俺たちに襲いかかることもない。ただ、もしかしたらその可能性は無くはないので一応心の中で手を合わせておく。南無阿弥陀仏。

 教室の床をスマホのライトで照らす。教室の床には良く刑事ドラマで見るチョークの線があった。それに床は血で黒く濁った色をしていた。ここで本田は血をびしゃびしゃ流して死んでしまったのだろう。

 空き教室なので机や椅子は教室の後方に積み重なって放置されている。丁度、本田の遺体があった場所は大きな空間になっているようだ。

 そして何よりこの事件を難解化させている割れた窓ガラスもそのままで放置されていた。

「つまり彼処から犯人が逃げ出したんじゃないかってことだな」

 横溝が窓から外を覗き込みながら呟いた。俺はその話を黙って聞いていた。

 警察がこの事件に四苦八苦している理由の一つはこの割れた窓ガラスだった。話によると、遺体の第一発見者である前述の三人は空き教室の扉を開いたときに、窓ガラスを何者かが突き破って現場から抜け出したことを目撃しているのだ。そして、この教室の真下にある自転車の駐輪場の屋根には何かが落下した痕が残されていて、三人は何かが落下する音を聞いたと言っている。警察は三人の供述の一致と現場に残された痕から姿を眩ませた第三者による犯行を睨んでいるらしい。しかし現場には割れた窓ガラスと屋根の破損以外残されておらず、勿論、犯人の指紋も残されていなかった。

「犯人はやっぱし、榊原たちがやって来たのにビビって逃げ出したんかな?」横溝が言う。

「どうだろうな。まあ、流石に犯人も三人相手だと勝ち目がないと思ったんじゃね?」

「そもそも、勝ち目云々って話か? 普通にバレたらヤバいって思ったんでしょ」

「わかんねーけど、ガラス突き破って逃げ出すぐらいだからなー。ガラス突き破って登場するのはカッコイイけどガラス突き破って逃げ出すのはちょっとダサイだろ。だからよっぽどテンパってたんだと思うわ」

 一見、ガラスを割ることぐらい容易に思えるだろうが、実のところ中々難しい。鉄パイプや金属バットといった棒状のものがあれば叩き割ることは可能だが、人間の肉体でガラスを突き破ろうとするならば相当の力が必要になるはずだ。それに、突き破った所で身体はガラスの破片で傷だらけだし、衝撃で青痣だらけになる。着地だって下手すれば骨折してもおかしくない。だとすれば、犯人は相当身体を鍛えた運動家だったのだろうか? それとも、彼ないし彼女はこの逃走ルートを予め想定していたのだろうか?

「おい横溝。お前ならこのガラス割れる?」俺は訊ねる。

「たぶんやれるな。中学校の時は素手でガラスめちゃ割ってたし」

 ひゅー、ヤンキーやん。かっけー。

「でも、それを言ったらテツジだって割れるだろ」

 それはその通りだ。俺もガラスぐらい素手で割れる。というか、喧嘩慣れをしている人間ならガラスの一つや二つは割れるのだ。しかし、それはあくまで普通の状態での話である。俺も横溝も人を殺した後に、ガラスを突き破るのは流石に無理だと思う。となれば、犯人が男であると断定することもこれはまた不可能だ。

「横溝。お前はこの事件どう思う?」

 俺が訊ねると横溝は腕を組みながらうーんと唸る。

「そうだな・・・・・・。俺はこれは計画的な殺人だと思う」横溝が言った。「恐らく犯人は予めガラスに傷を付けたりしてたんじゃないん? そうしないとガラスを割って逃げ出すってことは出来んくね?」

「でも、なんでそんなことするん? そもそも計画的な殺人ならもっと簡単に逃げることが出来る方法を計画するはずだろ。こんな面倒なことを計画したって言うんか?」

 黙る横溝。残念ながら横溝は少年探偵団の中でも一番推理力に乏しいのだ。しかし、それに物怖じせず自らの推理を披露してくれた彼に敬礼を捧げたい。

「それならこれはどうよ?」横溝はめげずに第二の推理をした。「犯人は何かを窓ガラスにぶん投げて、他の奴らがそっちに気を取られている間にこの部屋のどっかに隠れて、ほとぼりが冷めるまで姿を眩ませた」

 おー、確かに横溝にしては中々悪くない推理だ。

「でも、それ何処に隠れるんだ? 見たところこの教室は殆どの机は後ろに山のように立てられているし、掃除道具のロッカーも何もない」

「後ろのドアから抜け出したってのは?」

「それも無理だろ。見てみや」

 俺は顎で方向を指す。確かにドアはあるが、山になった机と椅子のせいでそこまでに辿り着くのは難しいように思える。というか、無理だ。犯人がいかに身体が柔らかかったとしても、机と椅子にぶつかればガタガタと音を立ててしまう。それに三人が気付かないとは思えない。

「それじゃ、これはどうよ」横溝は第三の推理をする。おお、凄いなコイツ。「三人が嘘を吐いてる」

「嘘?」

「そう」横溝が頷く。「本当は犯人なんか居なかったんじゃね?」

「犯人が居なかったっておま――」

――それだ。

「おう横溝。お前でかしたな。天才だわ。小林少年なんかより数倍おめえの方が賢いぞ」ほんと天才だ横溝。「それだぞ、それだ」

「お? やっぱテツジもそう思うか? そうだろ、やー俺もやっぱ――」

「ちょっと横溝スマンな」

「え?」

 ドンッ!!

 突然の事態に驚いた顔を見せる横溝。見事な阿呆面。ただコイツは天才少年だ。本当にコイツがおらんかったら、俺はこの事件を解くことは出来んかった。こんなすぐにはね。

 俺は窓から横溝を突き落とした。

 体制を崩した横溝が地上へと自由落下していく。

 恐らく、落ちていく横溝はこの瞬間がスローモーションみたいになっているのかもしれない。ひょっとしたら、走馬燈も見ているかもしれない。良かったな、たぶん最後にあのめちゃ可愛い元カノの思い出も蘇るわ。

 そしてその後何かを突き破るようなけたたましい音を立てて、横溝が地上に落ちた。俺は一応、横溝の安否を確認するために校舎を出る。しかし、本当の目的は違う。

「なんじゃワレ、頭わいとんのかっ!!!」バゴッ!! 横溝のパンチがもろに俺の顔面に入る。良かった、どうやら元気なようだ。「お前、俺を殺す気かぁ? 阿呆か?」

「あの世に行ったら本田に宜しくしてやってくれ」

 ニコリと俺が笑って見せたら、今度は鳩尾に横溝のパンチが入る。ぐうぇ。俺は唸るが、目は横溝の頭上にある駐輪場の屋根に向けられていた。その駐輪場の屋根は見るも無惨に粉々になっていた。

「ほらやっぱ正解だわ」殴られてはにたにたと笑みを浮かべる俺に少し横溝は引いていた。だが、俺は気にせず続ける。「やっぱり人なんておらんかったんよ」

「はぁ?」

 横溝が打ち身をした身体をさすりながら言った。

「お前は何を言い出しとるんだ? 俺を殺そうとしたり、遂に狂ったんか?」

「狂っとらんよ」俺は首を振る。「至極正常」

 オーケー、オーケー。ザッツオールライト、オールコレクト、オールグリーン。全ての謎は解けました。こっからは解決編に移りますぜ? おうおう。
































【THREE】


「やっぱり犯人はおらんかったんよ」

 俺がそう言うと文字通り横溝は目を丸くした。俺の言うことがさっぱり分からないと言った様子。二階から突き落とされたと言うのに分からんとはやっぱりコイツに名探偵の才能はない。あるのは優秀な助手としての素質だけである。

「なあ。横溝」俺は言った。「お前。どうやって落ちてきた?」

「はあ?」阿呆面のまま首を傾げる横溝。「どうやって・・・・・・、そりゃお前が俺を突き落として、俺はそのまんま落っこちて、この屋根をぶっ壊したんだろうが」

「そうそう。その通り」横溝はちゃんと落ちた。「この屋根をぶっ壊したんだ」

 それが普通なのだ。

こんな錆びてボロボロのトタン屋根の駐輪場に落下する人間を押さえ込む強度はない。

「おかしいとは思わん?」俺は言った。「もしも、あの屋根の傷痕が本当に犯人が逃げた時についた痕だとしたら不自然だろ」

 横溝はデブではない。むしろガリガリと言って良いぐらいだ。身長一七四センチに体重五六キロ。その横溝の身体すら屋根は耐えることは出来なかった。

「だとしたらお前は犯人は俺より軽い体重だとか、女の子だったとか言うんか?」

「それも違う。そんな体重の誤差は関係ない。いずれにせよ、この痕は人が落下して出来たモンじゃないんだ」

 横溝のガッツある自然落下のおかげで俺の推測は完全に証明されたと言って良い。

 つまり、このガラスを割って地面に落っこちたのは人間ではないのだ。

「さっきお前は言っただろ? 犯人が発見者の気を引くためにガラスを何かで割ったんじゃないかって。それはな、その通りなんだ。恐らく、犯人は三人がドアを開けると同時に、何か物体がガラスを突き破り、地面へと落下するような仕掛けを用意していたんだ」

「でも、それは何の為にだよ?」

「決まっとるがな」俺は言った。「第三の人物が存在したと錯覚させるためだ。ほら、行くぞ教室の中にまだ仕掛けが残っとるかもしれん」

 俺と横溝はそのまま教室へと再び戻る。二階から横溝、いや二階から転落したはずの横溝も元気よく走っていやがる。コイツはこの見た目の割にボルボ並に頑丈なのかもしれない。

 キープアウトのロープを跨ぎ、再び事件現場に戻る。中の様子は変わっていない。

「でも、仕掛けって言ったって、そんなもんは三人がこの部屋に来た瞬間に分かっちゃうんじゃねぇの?」

横溝が言った。彼の言うとおり大掛かりな仕掛けは用意できない。そもそも仕掛けの存在がバレてしまった瞬間にこの犯人の計画は全ておじゃんになってしまうのだ。その為、彼ないし彼女が用意した仕掛けはピタゴラスイッチみたいに用意されていた訳ではないだろう。

「きっと犯人の用意した仕掛けは片付けることが容易か、それとも発動した瞬間にその形跡が消えるだとかそういう類いのもんだと思う」

 だが、そう仮定したとしてどのように犯人は仕掛けを作り上げることが出来るだろうか。ふうむ。これは中々難しいものだ。

 色々と頭の中を整理させながら、考えるが妙案は思いつかない。しょうがないので気分転換に煙草を吸うことにした。学校、それも殺人現場で未成年が吸うなどルール違反のオンパレードだが、この際、気にすることはない。

 煙草を吸い込むたびに暗い教室の中で煙草の先が赤く点滅する。副流煙が先からちろちろと煙をたなびかせ、天井へと上っていく。そう言えば、副流煙は身体に悪いと聞くが、何故身体に悪いのだろうか? 煙草の煙が悪いなら、どんど焼きの煙も線香の煙も身体に悪い様に思える。そもそも、煙というものは全て有害なのだろうか? 良く大きな神社で爺や婆が身体に煙を浴びせたりしているが、あれはもしかしてわざと死期を早めているのだろうか? あの煙を浴びると身体の悪いところが良くなるとか聞くが、結局の所、全体が悪くなることでその状態の善し悪しを不明瞭にしているだけのことではないのだろうか? 余り、俺は神社のことも、副流煙のことも知らないので適当にそんなことを考えていた。

 しかし、そんな無駄な思考を続けたことで俺は新しく何かを発見した。

「おい、横溝、あれ見てみい」

 俺はガラスの割れた窓際の方向を指さす。

「あれって何? 窓ガラスのこと?」

「違うわ。あれだわ、あの天井についているフック」

 窓ガラスの場所から一メートルくらい離れた天井にフックがぶら下がっている。まさにフック船長の右腕に付いているような見事なフック。というか、フック船長の手がフックになっているのって右手だっけ? 左手だっけ? ってそんなことは今はどうでも良い。

「フック・・・・・・だな」横溝が言った。「おん、フックだ。でもそれが何だって言うん?」

「思うに俺は彼処に何かしらのトリックを仕掛けたんじゃないかと思う。紐か何かをぶら下げて」

 俺はそのまま出入り口のドアの方へと近寄る。普通の教室の引き戸だ。俺はその引き戸をなめ回すように観察する。そして、観察を続ける中で発見する。これだ。

「ちょっとこの辺触ってみてよ」俺は横溝に提案する。「ほら、このドアの上の方」

「あ、何かネチョネチョしてんな」

 横溝がうへーと言いながら嫌そうな顔をする。彼の言った通り、ドアの上部には何か粘着質のものがこびりついていた。接着剤もしくは両面テープのようなものだろうか。

「恐らく、ここにナイフか何かをくっつけておいて、ドアが開いたと同時に、そのナイフがフックに引っかかっている紐を切断し、その紐にくくりつけられた石とかレンガとかがこの窓ガラスをぶち破ったんじゃないか」

 フックの向きは窓側に向けられている。つまり、このまま引っかかっていた紐が運動エネルギーに従って外に落ちていくことは可能だ。

「もしかしたら地面に破片が残っとるかもしれん」

 俺たちはそのまま再び、地上へと向かう。もはや、当直の先生だとかそういう奴らから姿を隠すことなどどうでも良い。俺たちは階段を駆け下り、現場へと向かった。

 俺と横溝は地面をウジ虫のように這いつくばりながら、証拠品を捜す。しかし、辺りは真っ暗で見えない。スマホのライト機能を使いながら、欠片を探す。

「お、テツジ!! あった!!」

 既に警察が証拠品として押収していたかと思ったが、嗅覚に優れた横溝が茶色の破片を見つけた。先の欠けた煉瓦のようだ。

「おそらくこれが窓をぶち破った犯人だ」

 辺りには煉瓦は一つとしてない。コンクリートの上の石ころにも同じような破片はなかった。つまり、これが唯一の破片だ。

「でも、これを見つけたからってまだトリックが分かった訳じゃないだろ?」横溝が言った。「ハウが分かってもフーとワイが分からねえよ」

「イグザグトリーだ。横溝チャン」俺はニヤリと笑って言った。「でも、ワイは分からんでも、フーは分かるんよ」

「何で?」

「簡単だわ。あの三人のうちの誰かだね。三人の供述は殆ど一緒だったんだろ?」

「おん。らしいな」

「でも、三人別々に取り調べを受けたのなら、何処かしらで違いは出てくるはずなんよ」

「違い?」

「そう。違い」俺は頷く。「たぶん誰かが最初に犯人がガラスを割って逃げていくのを見たって言い出したんじゃないかな。それで、警察が『○○はガラスを割って逃げた犯人を見たと言っているが』とか他の奴に言ったんよ。確かに、ドアを開けた瞬間に何かがガラスを割って外に出て行ったことは事実だから、他の連中もこれを聞いた瞬間に『ああ、アレは確かにその通りだった』って思うようになる。それで『はい、確かにその通りです』って感じになって、現状に至るって感じじゃねえかな」

「つまりお前は最初に第三者について言い出した奴が犯人なんじゃないかと思う訳か」

「まあ、そうだわな」俺は言った。

「警察には連絡しんの?」

「分からん。それにマトモに相手をしてもらえるとも思えんもんなぁ」

 と言いながらも俺はスマホで一一〇番に電話をかけていた。ワンコール後、電話が繋がる。

「あ、もしもし。あのですね、僕、ホシカゲと言います。ええ、星はあの空に浮かぶ星で、影はあれです、あの地面に映る奴です。スターとシャドーです。あ、事件じゃなくてですね。あの、旭陽高校の殺人事件でお話ししたいことがありましてね。はい、ええ。ああ、そうですそうです。あーはい、分かりました」

「何て?」横溝が聞いてくる。

「担当官に変わるとかなんとか」また電話が繋がる。「あ、もしもし。どうも、ええホシカゲと申します。はい、その事件なんですけどね、もしかしたら第三者が居ないんじゃないかって思うんですよ僕は。へ? いや、冷やかしとかじゃなくてですね。本気で言ってるんです。ええ。うんうん。はい、そうです。いや、嘘じゃないんですよ。ちょっと僕の言うこと少しだけでも聞いてもらえないですかね?」

 案の上、警察はマトモに取り合ってくれなかった。

 しかし、俺が自らの推理を披露し始めると、相手も段々とこちらの話に耳を傾けるようになっていく。さっきまで適当だった相づちはいまは先を促さんとばかりだ。

「ええ、はい。そうですね。僕はその三人のうちの一人だと。ええ、そうですね。はい、榊原くんが一番怪しいとは思います。へ? 理由? うーん、なんですかね。直感って言う奴ですかね? あ、冗談じゃないですよ。ええ。あ、そうですか。はい、分かりました。はい、はい。ええ、そうです。スターにシャドーです。ええ。はい。あー分かりました。はい、宜しくお願いします。それでは」

 シュッとスマホの画面をスライドして電話を終えると横溝が間髪入れずに俺に尋ねてくる。

「何て言っとった?」

「『まだその段階では決め手に欠ける』だとよ」俺はスマホを触りながら言った。「でも『また再度現場検証は行う』って言ってた」

「まあ、そんなもんだよなー」

横溝は不服そうに言った。折角の俺たちの推理が等閑にされているのはやはり気に入らないのだろう。

「所でさ、なんで榊原が一番怪しいと思ったん?」

「いや、直感よ? マジ」

「直感な訳ないだろテツジ。なんか理由があるんだろ?」

 理由。うーん。なんだ?

「オシッコは簡単に漏らせるから・・・・・・かな?」

 横溝が盛大に吹き出した。

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答はナイフの中に 真琴龍 @makoto_ryu_gam

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