第42話 それぞれの思惑(3)

 ――領主会合は、何度出席しても気後れしてしまうな。


 王宮の離れにある大議事堂の扉を後にしながら、ユージーンはそっと息をつく。

 まだ十代の彼にとって海千山千の老獪犇めく領主会合は心を削られることばかりだが、セロー侯爵家の当主として弱気な自分は見せられない。顔を上げ、胸を張り、努めて大股で堂々と渡り廊下を歩いていく。

 大議事堂での国王への領地運営の報告が終わった後は、王家主催の晩餐会だ。夜までにはまだたっぷり時間があるので、談話室で休憩でもと思っていると……。

 ふと、前方に見知った顔を見つけた。

 他の地方領主に囲まれていた彼はユージーンを目に留めると、取り巻きに挨拶してこちらにやってきた。


「やあ、ユージーン君。いや……ユージーン卿とお呼びした方がいいかな?」


 前髪を上げ、眼鏡を取って秀麗な顔を惜しげもなく晒しているのは、


「ミュラー先生……」


 彼の恩師であり本日の領主会合の目玉である、ネイサン・ミュラー・シンクレアだ。


「もう教師ではないから、どうぞ上の名で呼んでください」


 苦笑する彼は、先程の会合で正式にシンクレア辺境伯の座を継ぐことを承認された。


「ネイト卿」


 呼び慣れぬ名を口にする。


「驚きました。貴方がシンクレア家の方だったなんて」


「誰だって、顔が一つとは限りませんよ」


 愉快そうに目を細める恩師は、元生徒には別人に見える。


「先日のバークマン公爵家の夜会で、フルール嬢に求婚したとか」


 直球で切り出すと、辺境伯は余裕たっぷりに微笑んだ。


「おや、耳が早いですね」


 早いも何も、ユージーンだってあの会場に居たのだ。広い場内で直に目撃はしなかったものの、僅かな時差もなく情報は隅々まで駆け巡った。


「彼女ほど有能で気立てが良く、そして美しい女性はそうはいません。手に入れたいと思うのは自然なことでしょう?」


「……ええ、そうですね」


 心から同意してしまう。


「ネイト卿は、いつからフルール嬢のことを?」


「それを聞いてどうなるのです?」


 十歳も離れた元生徒の質問を、元教師は質問で返す。


「過ごした月日の長さで想いを計るのなら、知り合ってたった三年の我々には太刀打ち出来ない方々が、彼女の周りにはいるのです。望みを叶えたいのなら、敵をねじ伏せる戦略を立てなければ」


 それは、激戦地域である国境を守護する辺境伯らしい例えだ。

 ネイトは国家権力に対抗しうる権力を持つ辺境伯。

 ユージーンは資産家ではあるが、所詮は侯爵だ。

 条件だけなら敗北は目に見えている。

 それでも……。


「私は諦めません」


 きっぱりと宣言した若い侯爵に、年上の辺境伯は口の端だけで笑う。


「ご自由に。心はどうすることも出来ませんから。……相手の気持ちも、ですが」


 ここで男同士が火花を飛ばしたところで、結局選択権はフルールにある。

 ……周囲に網を張り巡らせ、彼女の選択肢を排除していくことは可能だが。

 遠くで辺境伯を呼ぶ声がする。


「ではまた晩餐会で。セロー侯爵」


 慇懃にお辞儀をして、ネイトが去って行く。

 残されたユージーンは……。


「……っ」


 握った拳をガツッと大理石の壁に叩きつけた。

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