第34話 運命の夜会(3)

「このドリンク美味しい!」


 炭酸の弾けるカクテルグラスを舐めて、ベルタが歓喜する。


「もう一杯頂こうかしら?」


 言いながら伯爵令嬢が給仕を探して椅子に座ったまま振り返ると、


「おっと」


 背後を通りかかった燕尾服の男性の腕に、彼女の肩がぶつかった。


「あ、ごめんなさい」


 咄嗟に謝ったベルタに、男性は「いえ」と答えてから、


「おや、ベルタさんでしたか」


 和やかに微笑んだ。


「え?」


 ベルタは彼をまじまじと見つめた。

 年は二十代後半くらい。濃い茶色の髪をオールバックに撫でつけた、涼し気な目元の印象的な……かなりの美形だ。この顔に一度だって出会ったことがあったら、忘れることはないだろう。

 しかし、ベルタは彼が誰だか判らない。

 男性は、今度は公爵令嬢に目を向けて、


「こんばんは、フルールさん」


「ごきげんよう。夜会でお会いするのは初めてですわね」


 フルールは少し意外そうにしながらも、ごく自然に受け答えをする。


「ええ。そろそろ私の猶予期間は切れるので。それではまた、後ほど改めてご挨拶に参ります」


 低くよく通る声でそう言い残し、男性は去っていく。


「……ねえ、フルール! 今の誰!?」


 彼が見えなくなってから、ベルタは飛びつかんばかりの勢いで親友に身を寄せた。


「誰って……」


 フルールはきょとんと、


「ミュラー先生でしょう?」


「みゅ!?」


 ベルタは思わずテーブルを叩いて立ち上がってしまって、集まった周囲の視線に真っ赤になって座り直す。


「……ミュラー先生って、あの担任の?」


「その担任の」


 声を潜める伯爵令嬢に、公爵令嬢はこともなげに頷く。


「ええー? ミュラー先生って、あんなに美男子だったの? 前髪と眼鏡でちゃんと顔見たことがなかったけど……」


 眼鏡を外したらイケメンなんて、まんま少女小説の世界ではないか。


「わたくしも、眼鏡を取った姿を初めて見ましたけど」


 あの声や物腰は、紛れもなくネイトのものだ。


「じゃあ、ミュラー先生も夜会に呼ばれてるの? 貴族名鑑にミュラー家って載ってたっけ?」


「さあ?」


 フルールにも見覚えも聞き覚えもない。しかし、貴族でなくても有識者がパーティーに招待されることは珍しくないので、それほど疑問にも思わない。


「でも、先生の言っていた『猶予期間』って何かしら?」


「さあ?」


 ……ネイトはかつてフルールに『いつか決めなければいけない未来の猶予期間』と言っていた。そのことだろうか?

 しかし、それがどのような意味なのかは、今のフルールには解らない。


「さて、わたくしはそろそろお父様達と合流するわね」


 通りがかりの給仕に空のグラスを返し、フルールが立ち上がりかけた、その時。


「フルール、見っけ!」


 元気な声が耳に飛び込んできた。

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