第12話 ヴィンセントと

 ヴィンセントを待つ間、フルールは敷地の奥にある厩舎へと向かった。

 ブランジェ家にも当主用の二頭立ての馬車とフルール専用の一頭立ての馬車があり、常時三頭の馬を飼育しているので、フルールは馬の扱いに慣れている。

 繊細な馬達を刺激しないように十分距離を取って、柵の向こうから観察する。そして、つややかな芦毛の彼女を見つけた。


「こんにちは。お久しぶりね。わたくしを覚えているかしら」


 人にするように小声で呼びかける。


「プリミエール」


 五歳の牝馬はヴィンセントが騎士になってから現在までの相棒で、彼が帰省する際にも度々実家に乗ってきていた。


「いつも兄を助けてくれてありがとう。これからもよろしくね」


「なにしてるんだ?」


 後ろから声を掛けられ振り返ると、甲冑を脱いだ騎士服姿のヴィンセントが立っていた。


「お兄様のパートナーにご挨拶していたの」


 妹の答えに兄は得心して、彼に気づいて鼻を擦りつけて甘えてくる芦毛の馬の首を撫でた。フルールも一歩近づこうとするが、ブルルと威嚇されて立ち止まる。


一頭ひとりの時は穏やかなのだけど、この子は女性が私の傍にいると嫉妬するんだ。離れていた方がいい」


 苦笑しながら忠告する兄に、妹も微笑む。


「あらあら、お兄様も隅に置けませんわね」


「プリミエールは命を預ける大事な相棒だからな。特別だ」


 馬の額に自分のそれをくっつけて愛おしそうに語るヴィンセントに、フルールは何故か……羨ましくなる。

 厩舎を後にすると、城門までの短い散歩。


「でも、驚きましたわ。騎士様の鍛錬ってあんなに激しいものでしたのね」


 興奮気味の令嬢に、騎士は少し困ったように、


「フルールには野蛮過ぎたか?」


「いいえ、ちっとも!」


 フルールは力説する。


「お兄様達が国を護る為に日夜努力をなさっているお姿を拝見できて感動しました。わたくし、国防費の内訳や、有事の際の各領地の徴兵割合等は知っているのですが、皆様が働いている現場を見たことがなかったのですもの。知識だけでは補えないものもあるのだと痛感しましたわ」


「……いや、お前はお前で凄いと思うぞ」


 情報開示義務のないクワント王国では、国防費の内訳など官僚クラスしか知らない。


「わたくし、今まで物事の表面だけを見てなんでも知った気になっていましたわ。もっと多角的に……内面まで見通さないと」


 だから、なにもかも知っているはずの王太子に裏切られた。

 真剣に考え込むフルールの指先に温かいものが触れる。

 ハッと顔を上げると、はにかむ兄が見える。ヴィンセントは、フルールの小さな手を指を絡めて握っていた。


「私はそうやって何にでも真摯に向き合うフルールが好きだよ」


 繋いだ手に力を込める。


「お前はずっと籠の鳥だったからな。これからは自由に羽ばたいて、興味のあることに挑戦するといい。そしてそれから、私の元へ帰っておいで」


「お兄様……」


「兄であれば、フルールがどこへ行っても縁は切れぬと思っていた。だが、今は違う。自由に選べるお前に、一人の男として私を選んで欲しい」


 真剣に言われて、フルールは耳まで真っ赤になって俯いてしまう。

 行き交う人がチラチラとこちらを見ている。騎士と令嬢が白昼堂々手を繋いで歩く姿が気になるのだろう。


「あの、お兄様、手を……」


 おずおずと離そうとした指を、ヴィンセントが強く握る。


「……ギイには握らせておいて、私にはダメとは言わせない」


 拗ねた口調のヴィンセント。

 表面的には品行方正で穏やかな兄は、違う角度から見たら、想い人の一挙手一投足にヤキモキするただの青年だ。

 なんだかちょっぴりこそばゆいが……フルールはヴィンセントの気がすむまで手を繋いだままでいた。


「では、ここで。週末には実家に帰るから」


「はい。お待ちしてますわ」


 馬車止めまで送ってもらい、手を離す。


「今度騎士団に来る時は、事前に連絡してくれ。また誰かにフルールに勝手に触られたらたまらん」


 渋い顔をする兄に、妹はクスクス笑う。


「でもお兄様、ギイ様のこと気に入ってらっしゃるでしょ?」


 フルールの発言に、ヴィンセントは眉を上げた。


「……判るか?」


「ええ」


 他人とあんなに飾らずに喋る兄を初めて見た。


「あいつは表裏がなく、身分の差も気にせず接してくれるいいヤツなんだ。ただ……女癖が悪い」


 人間、一つくらい欠点があるものだ。

 馬車に乗り込み、御者台のエリックに出発の合図を送る。


「気をつけて、フルール」


 手を上げて見送るヴィンセント。フルールは客車の窓から身を乗り出し、


「お仕事がんばってください。 ……ヴィンス」


「……!」


 一瞬で顔を真っ赤にしたヴィンセントを確認もせずに、フルールは客車に引っ込んだ。

 彼女の頬も燃えるように熱い。でも……。


 なんだか嬉しい気分になった。

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