【後幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬
浪馬が解放されたのは、決着の声に遅れることわずかだった。
組み上がった
「おい……生きとるか、浪馬!?」
伏臥した戦友に手を伸ばす文殊を制し、洋は浪馬に注視した。
頸部圧迫による気絶には二種類ある。一つは柔道で有名な「落ち」、もう一つは「窒息」だ。どちらも首絞めの結果だが、二つはまるで異なる症状である。
前者は医学的には「
「落ち」は柔道であればすぐ締めを解かれ、数秒で意識を取り戻すのが普通だが、今回は違う。首一つで絞首台に吊り上げられ、限界まで足掻いた上、口を塞がれて気絶したのだ。並みの人間なら三度死んでお釣りがくる、危険極まる状態である。
今回は「落ち」か「窒息」か、判断の難しいケースだ。
洋は倒れた浪馬を慎重に起こし、仰向けに返した。
元暴走族の負傷は、激戦に反して驚くほど少なかった。
洋は腕の脈を取り、顔色を確かめた。脈は弱く、顔は青ざめ、唇には薄紫色のチアノーゼ反応が見られる。そして息をしていない。
「こりゃ両方だな……がんばりやがって」
呆れとも賞賛とも取れる感想とともに、浪馬を抱え起こした。
「治せるんか?」
「魚々島なら、こんなのはしょっちゅうだ」
心配そうな文殊に、にやりと返す。
海上に居を構え、海中で修行する魚々島にとって、水は身近にして最大の敵である。死因の大半は溺死であり、闘いのさなかに命を落とすケースも多い。魚々島の肺活量は超人的だが、その前提で深く長く潜るためだ。
一方で、溺死体にしか見えない状態の魚々島が、応急手当で蘇生することも往々にしてある。「魚々島には肺が三つある」と呼ばれる
そもそも《活法》とは《殺法》と対を成す技で、古流柔術に由来する。医者の少ない近代以前、《活法》は武術以上に貴重で、まさに死活を分けるものだった。《殺法》同様に多様な種類が存在し、睾丸活、歯痛活、産活といったものまである。現代の柔道整体の源流だという説もあり、魚々島にも受け継がれてきた。
洋は手慣れた仕草で浪馬の上半身を起こし、背中に片膝を当てがった。ライダースーツのジッパーを下ろし、露出した腹筋の上、
「……せーのっ」
膝立ちの洋が丸い背中を揺すった瞬間、浪馬の体が跳ねた。
激しくせき込み、自立呼吸が復活する。AEDの心肺蘇生のように。
「これでよし、と。じきに意識も戻るだろ」
再び浪馬を寝かせると、洋はそう言って立ち上がった。
「助かったわ、魚々島」
「言ったろ、殺さねえって。
まあ蓮葉が止まってくれたからこそだけどな」
振り返った二人の視線の先で、
文殊は改めて、決着までの流れに思いを馳せた。
浪馬の《不死身》を担保する能力、《
その本質は「力の伝導」であり、落雷に対するアースのように、その身に受けた攻撃を外部へ流してしまう。その術理は浪馬自身もわからず、幼少から「何となく」使っているという。故に文殊の受けた説明も曖昧であり、それ以上の性質については、推察による仮説の域を出ない。幸い、今日の試合で《鯰法》は出し惜しみなく使用され、サンプルは十分に揃った。
浪馬に敵対するつもりはないが、気になるのはやはり《鯰法》の弱点だ。
烏京ら《神風》候補も推理に興じていたが、文殊が一歩先んじたのは、自身の浪馬との対戦、そしてヌンチャク使いの毛呂との戦いを間近で見たことが大きい。
文殊の見抜いた《鯰法》の特徴と弱み──それは《
体に受けたエネルギーをどんな方向にも出力できる自由度は、おそらく《鯰法》にはない。もし自在なら、受けた攻撃をそのまま敵側に返せばいい。これが可能なら、浪馬は蓮葉に負けていない。いや、誰にも負けないだろう。
おそらくは受けた力の勢いに準じる方向にしか流せないのではないか。上から来た攻撃は下、前からは後ろという具合に。
戦場コンビニで頭に振り下ろされた一撃は、足下の地面に流された。翌日、同じ場所のアスファルトに、鈍器で叩いたような穴を見つけたのだ。
天井に張り付いた蓮葉が繰り出した《化け烏》は、後ろから浪馬の背中を打ったが、この時もチェスタイルにヒビが入った。ベクトルは「後ろから前」だが、靴底と床が擦れたのは間違いない。厳密には同方向ではないが、こういったケースでも《流せる》ようだ。
ハサミのような挟撃への対応も、方向性から捉えればわかりやすい。対を成す同時攻撃を体内で衝突させ、相殺したのだ。技術的には特殊なケースだが、浪馬の口ぶりから察するに容易な応用なのだろう。
この方向性は《鯰法》を攻撃に転じた場合も確認できる。《
これらの特徴をもとに導き出される弱点は、至極簡単である。
《力を伝導する》のだから、《伝導先》をなくせばいい。
覚醒後の蓮葉は、間違いなくそれに気付き、行動していた。
例えば宙。ジャンプしたバイクが壁に激突した際、浪馬は破片の衝撃に《鯰法》を使えず、被弾して脇腹を骨折した。
例えば上方。下から突き上げる《化け烏》の威力は地面に逃がせず、宙吊りにされた。壁や天井から巧妙に切り離され、脱出かなわず敗北した。
物質化する殺気。狂気を撒く哄笑。人知を超える畔の技と体術。
浪馬は、それら表面的な脅威に負けたのではない。神の如き天眼に屈したのだ。
遅れて広がる鳥肌に、文殊は震えを覚えた。
この事実に気付ける人間は、《神風》候補でも限られるはずだ。
少なくとも今ここで察した者はいないだろう。
ならば。自分がここに立つ意味は、価値は存在する。
凍える体の奥底で、エンジンプラグが小さな火を散らした──そんな気がした。
気付けば、横たわった浪馬が目を開けていた。
文殊は煙草を取り出し、火を点けて浪馬に咥えさせる。
ゆっくりと吐き出した紫煙を、二人は無言で見つめた。
「……沁みンじャねーか、おい」
「えらい
「口が切れてンだヨ」「そっちかよ」
文殊は口角を上げて笑った。
負けるのは初めてのはずだが、浪馬に気落ちした様子はない。
「上には上がおる、てことか」
「なーに言ってやがんヨ、文殊テメー」
浪馬の双眸が、燃える石炭のように不敵に輝く。
「この試合……勝ッたのはオレだぜ?」
寝転んだまま、立ち昇る
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます