【幕間】八百万 浪馬 ー遷客騒人ー 其の四
──浪馬が、廃スタンドの場所を知っている。
それ自体は意外ではない。《ガスタの鬼デブ》の名を広めたのは、他ならぬ文殊たちなのだから。
けれど、その意味するところを文殊は今にして理解した。
そこらの不良ならいざ知らず、洋の言う本番の相手にまで住処が知られている。浪馬でなくとも格好の襲撃目標だ。練習台集めを終えた今、廃スタンドに留まることは、自ら危機を招くに等しい。
「……本気で行くんか?」
「冗談だよ、ジョ・オ・ダ・ン。もう夜が明けンだろーが。
それにさっきタコ焼き屋で、ナンパ成功しちまってサ。
店終わったら家まで送って♡とか言われてッから、今日はナシだ。
もちろん送るのは、家じゃなくて天国なんだがヨ」
「さっさと行って来いや、ドアホ」
拍子抜けしたせいで、つい語気が荒くなる。
「店を閉めたら連絡する約束なんだヨ。
にしても、綺麗そうで汚ねェ場所だな、ココは」
転がったタイルの破片を蹴飛ばし、浪馬が悪態をついた。
湾岸沿いの
「前に台風来てから、整備されてへんのやろ」
「行政のタイマンってやつじャねーの、ソレ」
「大阪やからしゃーない。女連れて
「オレらにゃ似合いのスポットッてか」
破片を交互に蹴り合いながら、浪馬と文殊は歩き始めた。
「けどマ、どのみち今日、魚々島と
「なんでや?」
「ギャラリーがいねーンじゃ、燃えねえだろ?
俺のド派手な槍で、連中のド肝を抜くから面白ェんだよ。
《野試合》なんざ、無観客試合みてーなモンだ。
どうせ全員と当たンだからよ。セコセコ技を隠す奴の気が知れねェ」
「ま、おまえらしいわな」
リーグ戦ということは、手の内を明かさないことも戦略の一つだろう。
浪馬の言い分は、つまるところ戦略度外視の
しかし──たとえ、そうだとしても。
「言うとくけど、魚々島は強いで。
少なくとも、おまえとタメ張れるくらいにはな」
「知ってるッての。この目で見たンだからヨ」
驚く文殊だが、洋は緒戦を飾ったと言っていた。参加者である浪馬が観戦していても不思議ではない。
「紙一重の勝負やったらしいな」
「ギリギリッてのは間違いねェな。
なんせ両手足ブチ抜かれて、立てもしなかッたんだからヨ。
けど勝ッた後の魚々島の顔見て、そうじゃねえとわかッたゼ。
あの豚野郎、全部、計算
どうせ治るッてンで、烏京の技をアリッタケ引き出しやがッた」
「治る?」
「こりゃ、最初から話した方がハエーな」
浪馬の熱い語りに、文殊は耳を傾ける。
それは自分と地続きとは到底思われぬ、怪傑たちの頂上戦だった。
挑発から始まった二人の《野試合》は、
機動力に勝る烏京に対し、片膝を潰された洋の逆転は困難に思われたが、大技《大カマス》で一矢報いた後、広大な刃圏を武器に烏京を追う展開となる。
しかし烏京は奥義《石火打ち》を解禁。洋から残った脚を奪う。
洋の四肢を封じ、勝利は確実と思われた烏京だが、そこに洋の仕掛けが発動。渾身の大技《鬼カマス》に繋げ、膝立ちで烏京を振り回し、投げ飛ばす。
武器の縛り故に束縛を断てず、烏京は場外負けを受け入れる。
試合後、立会人の妹が二人の傷を癒したところで、文殊はようやく、詰めた息を吐き出せた。
《神風天覧試合》の追体験に、心臓が早鐘を打っている。
間近で観戦した浪馬の興奮は想像に難くない。熱のこもった語り口が、何よりの証拠だ。
「……おまえ案外、説明うまいな」
「博多もんのベシャリも、悪かねーだろ?」
「それはええが、どうなんや。おまえ、魚々島に勝てるんか?」
「誰に聞いてやがンだ、テメーッ!
と言いてえトコだが……『やらなきゃわからねェ』」
「やらなきゃ……か」
ごく普通の答えだが、毛呂を「タコ焼き以下」と断じた男の言葉である。浪馬にすれば、最大級の賛辞と思って間違いない。
「ショージキ言ってヨ。
ゾクで暴れてる時ァ、ンな奴一人もいなかッたんだヨ。
向かうトコロ敵ナシ過ぎて、
ちょっと面白かったのはオマエくらいでヨ」
浪馬の告白は自信過剰ではない。客観的に見て、ただの事実だ。
「それがヨ、文殊──
『やらなきゃわからねェ』んだヨ、どいつもこいつも。
信じられッか? 《天覧試合》の候補者、全員だゼ?
オレみてーなバケモンが、五人も揃ッてやがる……最高だゼ!」
怪物の孤独と、愉悦。
浪馬の顔に次々と躍る表情に、文殊は一抹の寂しさを覚える。
「……ちょっと残念やな。
おまえらの対決、この目で見たかったわ」
「見せてやろーカ?」「マジかよ」
あっさり言う浪馬に驚いた。今夜は何度、驚かされるのか。
「忍野にネジ込みゃ、何とかなンだろ。
通訳連れてる奴だっていンだ。文句は言わさねーヨ」
「まあ、見れるなら何でもええけどな」
ゴリ押しされる立会人に同情するが、期待せずにはいられない。
「だからヨ、文殊。オレと組もーゼ?」
「アホこけ。それとこれは話が別や。
と言いたいとこやが……考えるくらいはしたる」
「オッケーオッケー。
オレの白熱バトルを見りゃ、考えも変わるッてモンよ」
「……おまえ案外、策士やな」
「『しつこくしない、あきらめない』がモットーだからナ。
それにホラ、中国の故事にもあッたろ?
コーメイだかを軍師に誘うのに、名将が『三ベン回ってワン』したッて話が」
「ねえよ」「アレ?」「とりあえず劉備玄徳に謝れ」
ふいに、浪馬のスマホが鳴った。
「……女だ。そンじゃ行くゼ。
またな文殊。おッと連絡先、連絡先」
交換の後、浪馬は慌ただしく、舞洲プロムナードを出ていった。
「何や、ややこしいことになってもうたな」
闇に消えるテールランプを見送った後、文殊は嘆息する。
洋や浪馬の住む世界は、自分とは無縁だと思っていた。
それが浪馬の誘いで一転、手の届く距離に近づいた気がする。
《神風》候補の闘いが見たいのは本心だが、この縁は果たして吉なのか。それとも凶と出るのか。
それに、気がかりなことは他にもある。
浪馬に聞きそびれた、あの人物のことだ。
一年前に文殊が拉致し、洋が救い出した、あの男。
ゾクの
「私は、
思案の中で蹴ったタイル片は床の
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