【前幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の二
「戦場につきましては、ここは京都御所。
《禁裏》様の敷地内にて、
ですが、御所ならぬ御苑の内ならば」
「──建礼門の前はどうだ? 砂利道で条件は同じだ」
烏京は南を振り返る。建礼門は洋たちが乗り越えた門でもある。
「構いません」
「オレはどこでもいいぜ。
馬鹿デカいハンデもらっちまったしな」
「それでは。皆さま、こちらへ」
三者合意の末、候補たちは忍野の先導で南庭を渡り始めた。
「……黙ってて悪かったな。幻滅したか?」
小声で謝る洋に、蓮葉はかぶりを振る。
「大丈夫。蓮葉もピーマン食べられない」
真顔の妹を見て、洋は思わず吹き出した。
「マジかよ。普通に食ってなかったか?」
「噛まずに飲みこんでた」
「ははっ、そりゃあ悪かった」
洋は足を速め、忍野に並んだ。
「こっちも、悪かったな。隠す気はなかったんだがよ」
「私は存じておりました」
こちらも真顔の忍野に、洋は二度、吹き出す。
「魚々島の長に伺いました故。
洋殿の実力は、選抜戦にて確認済み。
条件はそれのみです。泳ぎの優劣は関係ありません」
「ははっ、そう言ってもらえりゃありがてぇがよ」
洋は親指を立て、後ろから見えぬように背後を指さした。
「あいつも確かめたんだよな。強いのか?」
「無論。天才の名に恥じぬ技前の持ち主です」
「ハンデが石のみって言ってたろ。あれで思い出した。
三重の山奥に隠れ住み、中部で仕事してる暗殺集団。
銃を使わない、飛び道具の殺しで有名な連中がいるって噂をな」
「ご明察です。
忍術より派生した暗殺流派、それが松羽流です。
烏京殿は、そこで異才を見出された俊英。
《天狗
「
印地とは、石投げを意味する古い言葉である。
「立会人が相手の情報を漏らしちまっていいのかい?」
「洋殿に二つ名があれば、烏京殿に伝えておきますが」
「《ガスタの鬼デブ》……やっぱいいや」
肩をすくめる洋に、忍野は含み笑いを漏らす。
一同は南庭を通過し、内門の前に辿り着いた。
錠前を開けながら、改めて忍野が問う。
「私も一つ、お訊ねしてよろしいでしょうか。
何故、この状況で野試合をお受けに?」
「うん? ま、理由はいろいろあるけどよ」
蓮葉に敵の技を見せておくこと。ドロ婆の条件を早期に満たすこと。
しかし、それ以上に洋を即答させた理由がある。
「せっかく《禁裏》様が来てんだぜ?
手土産なしに返すってわけにゃいかねえだろ」
錠を外す忍野の手が、束の間止まった。
「……洋殿の動きは、本当に読めません」
「そりゃあいい」
門が開き、一同は建礼門の前に進み出た。
外から見た建礼門は全体が黒ずみ、いかにも古い木造建築という趣だったが、内側は鮮やかな朱色の柱を備えた、かなり派手な造りになっている。
「申し訳ありませんが、我らに建礼門の使用は許されません。
建礼門が開かれるのは、天皇皇后と外国元首級に限られる。皇后さえ単身であれば、他の門を使わなければならない、もっとも格式ある正門である。
一部が不満を漏らすも、そこは《神風》候補。3メートル近い土塀を、当然のように越えていく。
壁とひさし、二点を足場に宙を舞う松羽 烏京。
八百万 浪馬は槍高跳び、宮山 たつきは垂直跳びで軽々と塀を飛び越える。
最重量の最寄 荒楠は大槌の柄を踏み台に、土塀の上部に手を届かせた。肩の少女もろとも片手懸垂で巨体を引き上げ、縄を繋いだ槌を回収する。
洋は思わず笑ってしまった。当人たちには普段の挙動だろうが、動画を上げればバズること間違いなしだ。忍野セレクションに外れはないらしい。
最後に洋と蓮葉も塀を越え、一同は建礼門の前に降り立つ。
そこに広がるのは、白い闇だった。
道と呼ぶにはあまりに広い空間を、濃密な闇が満たしている。
地面のみ白い。敷き詰められた砂利の白、それだけが認識できる色彩だ。
街灯はわずかに一本。跋扈する闇に呑まれ、立ち竦む。
そこに二人の候補と、立会人が進み出る。
「戦場の範囲は、どうされますか?」
「道──砂利の敷かれた範囲のみ」
洋はぐるりを見回した。
御苑の中央、および御所を囲む道幅はおよそ20メートル。周囲には道ばかりでなく、桜や松など街路樹や灌木の植えられた区域もあり、ちょっとした森林公園になっている。戦場を道に限るということは、それら障害物を利用できないことを意味する。
「お得意の暗殺にゃ不利じゃねーか?」
「元より、貴様ごとき暗殺するまでもない」
長身を傾け、烏京が一握の砂利を拾った。
「これで勝つ──二言はない」
「いやあ、これじゃ無理だろ」
洋も一つ拾い、掌で転がす。
砂利はどれも豆粒大、パチンコ玉程度の大きさだ。印地、すなわち石投げに用いるには小粒に過ぎる。せいぜい牽制に使える程度ではないか。
数は豊富にせよ、これが武器になるとは思えない。
「《オカガメ》の豚相手には、十分すぎる」
洋は黒装束の目元を見つめた。ハッタリではなさそうだ。
だとすれば、洋の想像を超える技量を、烏京は有していることになる。
「……観戦は、どこからすればいい?」
忍野に問うたのは、肩上の少女だ。
「席などはありませぬ故、ご自由に。
試合の邪魔をせず、流れ弾を
万一怪我を負われても、責任は負いかねます」
「気をつけろよ、蓮葉。こいつ、外野を狙うかもだからな」
「うん、わかってる」「……」
「こっちは否定しねーのな」「油断も隙もないわね」
無言の烏京に、浪馬とたつきは顔を見合わせた。
京都御苑、建礼門前──それが戦場の名前である。
門を背に、まずは立会人の忍野が道中央に進み出る。
その左右に分かれ、対峙する魚々島 洋と松羽 烏京。
三人の周囲で三角を描くモニタードローン。さらに外に観戦者の一群。
砂利道と公園区域の境目には、緑のランプを点した場外ドローンが、灯篭のように定間隔で並んでいる。
「お二方、よろしいか」
忍野の問いに、両者が首肯した。
「東──松羽 烏京」 「応」
両手を袖に潜めたまま、烏京が身をたわめ、構えを取る。
「西──魚々島 洋」 「おうよ」
棒立ちの洋の掌中に鮫貝が現れる。
闇を見透かし、互いの呼吸を探る。
「《神風天覧試合》第一試合、開始いたします」
──後に、歴代最強と謳われる《令和神風》。
その誕生を巡る、戦いの火蓋が切られた瞬間であった。
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