第206話 21-11 ラコルプログ菌対策(2)
敷材は揃ったのですけれど、ここからのバクテリア生成が難しいのです。
別名「人食いバクテリア」とも呼ばれるビブリオ・バルニフィカスの亜種で、人体組織ではなく生体内の桿菌を餌とする球菌が存在します。
但し、桿菌を根こそぎ掃除するために弊害を起こすこともあります。
例えばビフィズス菌は良性のものであって腸内に常駐するけれど、これを根絶やしにされると種々の内臓機能障害を起こしやすくなる可能性があるのです。
ために優奈はγ―ビブリオ球菌を変異させて、ラコルプログ菌のみに反応するように仕向ける作業を進めているのです。
変異は、嫌気性桿菌であるビブリオ菌の周囲に微量の致死性ガスを置いて、突然変異を促したのです。
最初は桿菌の大きさで餌を選別する
δ-ビブリオ菌自体が小さいので大きな桿菌を取り込めないのです。
取り込めるのは、セラチア菌、霊菌などの小型種(0.5x0.7µm程度)であり、それらを餌とするバクテリアに変異させたわけなのです。
ラコルプログ菌は、0.3x0.5µmとこれまで最も小さな桿菌であったことと、マダガスカルにしか存在しない桿菌であったために、つい最近まで発見に至っていなかった理由でもあるのです。
セラチア菌は、免疫能力の低下した患者に感染を引き起こす菌であり、肺炎等を引き起こし、最後は多臓器不全で死亡に至ることもあるのです。
従って、取り敢えずは日和見感染を引き起こしそうなこれらの細菌を根絶しても大丈夫と推測はされるけれど、詳細は動物実験その他により確認されるべきです。
霊菌はセラチアの一種ではあるけれど、現在時点では病原性がないということが判明しています。
或いはビフィズス菌のように何らかの働きをしている可能性もあるけれど、今のところその存在効果が不明なのです。
従って、現状においては、ラコルプログ菌の対抗薬剤としてはδ-ビブリオ菌の生成のみでも構わないと考えられるのですが、優奈は更に微小の桿菌を掃除するプロトタイプの
これにより、取りあえずはラコルプログ菌のみを一掃する水性バクテリアが誕生したのです。
これもまた以後の動物実験を含めて薬学部に丸投げになりますが、土日返上で実験を繰り返した成果であり、月曜日午前中に実験の経過及び結果についてレポートを作成、それぞれの成果物としてのδ-ビブリオ菌、ε-ビブリオ菌が添付されて、保健省、市役所保険課、それにマードック大学薬学部に送付又は手渡しされることになったのです。
レポート作成者名には、リンジー教授ほか4名のゼミ学生及び優奈の名前が記載されていました。
その日夕刻には、ソーンダイク邸で優奈の送別会が催されました。
ジェシカ夫人の子供である3家族も招かれ、リンジー教授とゼミの4学生も参加し、とても大きなパーティになりました。
そうして、19名の人たちがひしめく中で、アリスが妊娠したことが初めて公表されたのです。
普段から子ができないことを気にかけてくれていた親族からお祝いの言葉をかけられ、アリスが涙ぐんでいました。
ケヴィンの3人の兄弟姉妹は、合わせて5人の幼い子供を持っていたのですが、そのうちの一番の年長者である7歳のラーナが優奈におねだりをした。
「お願い、ミラクル・ユーナの歌を聞かせて?
お婆様やアリス叔母さまは、コンサートホールでユーナの歌を聴いたけれど、私たちは聞いていないもの。
お婆様に聴いたら、ネットに載っているのと生で聞くのは全然違うって。
だから歌って欲しいの。」
「そう・・・。
ラーナちゃんが聴きたいのはどんな曲かな?」
「えーっとねぇ。
カーペンターズの歌が好きなの。
お母さんが大好きで、良くかけてくれていたから私も好きになったの。」
「そうなんだ。
じゃぁ、ラーナちゃんのためにミニコンサートを開きましょうね。
楽器があると良いのだけれど、・・・。
ジェシカさん、ギターはありませんか?」
「ギターなら、ケヴィンが持っている筈よ。
ケヴィン、何処にしまっているの?」
「ああ、屋根裏部屋に置いてあるはずだけれど、元々安い代物だし、あんまり手入れしてないからなぁ、・・・。
使えるかどうか・・・。
まぁ、持ってくるから、ちょっと待ってて。」
その間に3歳になるピート君は、Dirtgirl and friendsの歌で 'Change'をリクエストしたし、5歳のマリアンとデービスが、そろってジブリの天空の城ラピュタからサラ・オレインの歌で『君をのせて』をリクエストしたのです。
流石に一歳のレイノルズ君にリクエストは無理でした。
子供たちに刺激されたか、大人たちもそれぞれにリクエストを出して、さながらコンサートのようになりました。
その間に、ケヴィンが屋根裏部屋から埃をかぶったギターを引っ張り出し、一生懸命掃除を始めたのです。
掃除機をかけて、乾いた布で磨き上げるとそれなりに綺麗になりました。
優奈が見たところ、さほど良いギターではないけれど、きちんと作り上げられており、経年変化で劣化している部分もなさそうです。
優奈が調律して、最初にカーペンターズの歌から「Yesterday Once More」を歌いました。
綺麗な歌声が室内に広がります。
優奈はギターも上手でした。
単なるハーモニーの伴奏ではなく、しっかりと主題に合う旋律を弾いて歌を引き立てているのです。
居る者すべてが老若男女に関わらず、歌に引き込まれていたのです。
ラーナは、お婆様の言った言葉の意味が初めて分かりました。
幼いながらも、言葉の抑揚と旋律が普段聞いているカーペンターズのカレンの歌声以上に心に響いてくるのを感じたのでした。
そうしてこの歌がラーナの一番大好きな歌になったのです。
優奈はリクエストに応じて次から次へと歌を繰り出します。
ジェシカさんの娘である、ベティさんはこの時ほど家にピアノかエレクトーンを置いていなかったことを悔やんでいました。
ベティさんが使っていたエレクトーンは、嫁入りの際に嫁入り先の家に持って行ったので、実家には無いのです。
おそらくはピアノやエレクトーンがあれば、より多くの感激を受け取れたのに違いないと思っていました。
優奈はギターがとても上手です。
それでもギターではどうしても本来の迫力が出ない歌もあるのです。
その日のパーティは長く続き、夜9時過ぎになってようやくお開きになりました。
その時分には、子供たちが半分目を閉じてしまっていました。
優奈は皆さんとお別れを告げた。
そうして、その日ジェシカさんからありがとうとお礼を言われた。
当然にアリスさんの妊娠のことであった。
優奈の言う通り、優奈が診てから2週間、6週目に入るところで今朝がた産婦人科を訪れ、医師の手で妊娠が確認されたのです。
検査薬では妊娠が分かっていても医師から順調ですよと言われなければ不安なものである。
それを優奈がちゃんと気遣って陰で色々配慮していたことにジェシカは気づいていたのです。
そのおかげで8か月後ぐらいにはソーンダイク家に新たな命が生まれ出ることになるでしょう。
アリスが熱望しながらも半分諦めていた妊娠なのでした。
優奈が来なければ、アリスの子は流れていたかもしれない。
でもそれを救ってくれた。
ソーンダイク家にとって優奈は、天空から舞い降りた天使のごとき存在だった。
パース中心街に出かけたことも良い思い出になった。
コンサートの舞台に招かれ、その後ジェシカ達がユーナ共々多くの人から尊敬と羨望の混じった視線で見つめられたのは初めての経験だった。
多分、もう死ぬまでそんなことは無いだろうと思う。
先に天国に行っているベンにはいい土産話ができた。
ユーナはとても綺麗で不思議な子。
20歳を超えているとは言うが、その顔はオーストラリア人から見ると絶対に若く見える。
16歳と言っても十分通用する若さなのだ。
ユーナは、余り化粧はしない。
持ち前の肌で十分にきれいだし、外出の際にほんの少し口紅を付けるぐらいである。
尤もファッションにはこだわっているようで、モデルと言ってもいいぐらいの肢体に、自ら選んだ衣装がよく映えるのである。
カジュアルな服装が多かったが、今夜などはドレス姿で出て来た。
そう言えばステージに上がった際の衣装もドレスではなかったものの、傍にいるクレアに負けず劣らずオーラを放っていたと思うのだ。
清楚な感じの白のセーターと紺色のロングスカーチョ衣装が、まるで計ったようにクレアの赤い衣装に映えていた。
ステージに上がるのは予想外だったのだろうけれど、それでも人前に出る時にはきちんとTPOを
大人しく清楚でありながら、言うべき時にはしっかりとものを言い、悪人には容赦がない。
優奈がパースに来て警察送りにした男は4人もいる。
2週間の間に4人というのは絶対に多過ぎると思うのだ。
警官になったテッドですら、自分で悪者を捕まえるのはそれ以下の数字であろう。
明日、ユーナは帰国する。
ユーナがここに居たのは、ほんのわずかな間だったのに、可愛い娘が嫁入りで遠くへ去ってゆくような寂しさを覚えてしまう。
明日は、精いっぱいの笑顔で送り出してあげよう。そう思うジェシカであった。
◇◇◇◇
優奈は翌16日にソーンダイク家の人に見送られながら、レンタカーを運転して空港へ向かいました。
空港で搭乗手続きをしていると、リンジー教授と4人のゼミ仲間が揃って見送りに来てくれました。
昨日、別れの挨拶は済ませたつもりでいたから、ちょっと嬉しい不意打ちである。
出発までには一時間ほどの余裕があった。
だが、彼らを長くここで待たせるわけには行かないだろう。
従って、改めて別れを告げ、皆にハグをして、出発40分前には、あっさりと出発ロビーに入った優奈でした。
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