第189話 20-4 結婚披露宴(2)

 大島さんが言った。


「優奈ちゃん、姉御に演奏を頼まれたって感じだね。」


「ええ、ひろ子さんからのリクエストよ。

 お色直しの後で歌って欲しいって。」


 吉本が即座に反応する。


「何の歌なんですか?」


「うーん、ひろ子さんの好きな歌ですって。マライア・キャリーのヒーローだけれども・・・。」


「ははぁ、さては姉御、優奈ちゃんの歌ってるところをネットで観たんだね。

 優奈ちゃん、神戸と宮古島でもヒーローを歌ったし、ユージーンの世界陸上の開会式でも歌ったでしょう。

 多分、姉御の好きなのは、マライアの歌じゃなくって優奈ちゃんの歌うヒーローが好きなんだよ。

 本当にマライアの方が好きなら、優奈ちゃんに頼んだりはしない。

 式場に言ってバックミュージックでマライアの歌を流してもらうはず。

 姉御はね。

 年下のあんたを人として尊敬しているんだよ。

 だから結婚が決まって、引退を決めた時に残る私たちに言っていた。

 <優奈の言うことができるようになれば、優奈が居なくてもあんたたちは全国で優勝できる。

  だから、優奈が東京にいる間にしっかりと優奈から教えてもらいなさい。

  それがあんたたちのこれからの原動力になる。>

 そう言っていた。

 隣にいる高校生組もちゃんと聞いていたよ。」


 司会のウィットを聞かせた進行のお陰で、宴は進み新郎新婦がお色直しで会場を出た。

 その間も余興で色々な芸などが披露されていた。


 そうして、お色直しの新郎新婦が戻る前に、先ほどの従業員の女性が優奈の元にやって来て言った。


「間もなく新郎新婦が戻ってまいりますので、次の方の余興披露は待っていただくことになります。

 そうして新郎新婦が席に着きましたら、司会の者が加山様をお呼びしますので恐れ入りますが、エレクトーンの席までご足労願います。」


 優奈は了解した。

 

「お色直しが終わった新郎新婦が、ただ今入り口まで来ております。皆さま拍手でお迎えください。

 新郎新婦の再登場でございます。」


 新郎新婦は結婚式の装束からスーツ姿とドレス姿に着替えていた。

 腕を組んでゆっくりと歩き正面席に着席した。


 そこで司会がアナウンスした。


「この披露宴が始まって間もなくのことですが、新婦ひろ子様から会場に来ていらっしゃる祝い客のお一人様へメッセージが託されました。

 そのメッセージを読み上げます。

 <優奈ちゃんへ、一つだけ私の我儘をお願いします。

  お色直しで私が席に戻った時に、マライアのヒーローを歌って欲しいのです。

  私の大好きな歌なので、私の夫になる達夫さんにも是非に聞かせて欲しいのです。

  どうかよろしくお願いします。

  チームメイトだったひろこより。>

 お気づきの方も多いかと存じます。

 新婦ひろ子様は、全国女子駅伝の東京代表アンカーとして京都の都大路を走ったアスリートであります。

 その結果見事に三位でゴールし、この結婚を機に駅伝を引退する決心をされました。

 彼女が現役ランナーであった時に心の支えであったのが、チームメイトの一人であったミラクル・ユーナでした。

 ミラクル・ユーナ自身は、種々の理由で全国大会には東京代表としては出られませんでしたが、彼女のお陰があって、全国駅伝で三位になるまでチーム力を上げられたとひろ子さんは断言しております。

 歌をリクエストされたミラクル・ユーナこと加山優奈様は、メッセージをご覧になって即座に頷き、謹んでお受けしますとの返事を返されました。

 それでは、お願いいたしましょう。

 加山優奈様、どうぞこちらへおいでになって、歌の準備をお願い申します。」


 優奈は立ち上がって、周囲の人たちに一礼し、司会の脇に置いてあるエレクトーンに向かった。

 そこで初めてミラクル・ユーナの存在に気づいた人もいたようだ。


 会場には200人を超える人が集まっている。

 何もなければ、気づかない者も当然にいるはずなのです。


 優奈が歩いている途中で周囲の席から「あの人、綺麗ねぇ」という感嘆の声が漏れ聞こえて来る。

 ちょっと恥ずかしい気分である。

 席についてエレクトーンの調整を行い、準備を終えると司会に目で合図した。


「それでは準備ができたようです。

 新婦ひろ子様の切なるリクエストにお応えし、歌うは米国の誇る歌姫マライア・キャリーのヒット曲である「ヒーロー」です。

 皆さまどうぞ拝聴くださいませ。」


 伴奏が始まり間もなく優奈の綺麗なハミングが響き渡り始めると、居合わせたほとんどの者に鳥肌が立ったのを覚えた。

 年寄りでも一度ぐらいは耳にしたことのある洋楽である。


 歌い出す前には、日本人が歌う英語の歌など聞くに堪えるはずが無かろうと内心馬鹿にしていた者も中にいたが、生粋の英米人かと思うほどの見事な発音で英語の曲を見事に歌い、しかも高音域の伸びが実に素晴らしい声を聞いて驚いた。

 伴奏を含めて生演奏の迫力が凄まじい。


 目の前の若い女性は、音響効果などたかが知れている筈の披露宴会場で完璧なショーを演じていた。

 オリンピックで超人的な活躍をしたミラクル・ユーナなら皆が知っていた。


 一部の者はネットで上手に歌う優奈を見て知っていた。

 だが、実際に目の前で歌われた歌は信じられないほどに感情がこもっており、感激のあまり涙さえこぼれるほどなのだ。


 僅かに4分ほどの短い歌である。

 だが万感の思いが伝わる歌は、これから余興で歌おうかと思っていた者の心を挫くだけの重さがあった。


 歌が終わった後もしばらく呆けていた司会だったが、優奈が立ち上がりお辞儀をしたところでようやく仕事を思い出した。


「加山優奈様のHeroでした。

 ありがとうございました。」


 その声で我に返った客から盛大な拍手が上がった。

 結婚式の披露宴で本物の歌手が歌うような歌を聴けるとは思っていなかった人たちばかりである。


 そうしてそれがミラクル・ユーナと呼ばれる素晴らしく綺麗な娘であることを知って、本当に驚いていた。

 花嫁のひろ子は隣に座る花婿にすがって目を潤ませていた。


 ネットで優奈の歌を何回も繰り返して聞いていたはずのひろ子自身も生の優奈の歌がこれほどのものとは知らなかったのである。

 後刻キャンドルサービスで新郎新婦がテーブルを訪れた際には、小さな声でありがとうと万感を込めてお礼を言われた。


 披露宴は無事に済んだが、優奈達駅伝メンバーは*トリの連中に捕まってしまった。

 勿論中高生は未成年だから飲ませるわけにゆかず、早めに返してあげなければならないので解放された。


 陸協の事務員二人はすっと隠れるように逃げて行ったが責めるわけにも行かない。

 結局、大学生トリオの三人が攫われるように二次会へと連れて行かれた。


 行った先は、東京駅近く、丸の内にあるイタリアンレストランである。

 ひろ子さんの旦那である橋野達夫氏もニトリの社員であり、二次会参加者は圧倒的にニトリの社員が多いのだが、ひろ子さんの大学時代の友人やら橋野さんの学生時代の友人もそれなりにいるようで全ての者が独身者である。


 大島、吉本の両名とも結婚式ですら経験がないようだから、後の二次会などは全く知らない世界かもしれません。

 何事も経験とは言いながらも気を付けないとプレイボーイに引っかかる恐れもあります。


 二人ともに優奈よりも年上なのだけれど、慣れない酒に飲まれないよう優奈が面倒みる以外方法がなさそうです。

 男性が20名ほど、女性が18名ほどで、男の比率が高いのは仕方が無いでしょうね。


 あくまで結婚式披露宴の二次会であって、見合いの場ではありません。

 そうは言っても、恋人いない同士が知り合う良い機会であることは確かであり、そうした縁で結婚に至る例があるのも知ってはいますが、生憎と優奈が惹かれそうな男性はいない様です。


 一方で、男性陣の目は優奈に向いているのは間違いないようですが、何処かの時点で諦めてもらうしかありません。

 何れにしろ、集団移動に時間がかかって、東京駅に着いたのが6時半ころであり、目的の店に入ったのは6時50分でした。


 新郎新婦を前に乾杯をしたのが7時少し前、優奈は時間制限を設けて、8時半には引き上げますと予め宣言することにしました。

 大島、吉本の両名もだんだん気が大きくなったのか、アルコールの量が増えているようです。


 二人に注意はしたのですけれど、余り聞いているようではありません。

 止む無く、少し出来上がっているのを覚まさせるべく、体内の神経系をいじって物理的に気分を悪くさせました。


 それが効いて、その後は少し大人しくなったようで酒量が減りました。

 二次会でも橋野さんの同僚が司会進行役を行い、それぞれの自己紹介から始まりました。


 因みに、自己紹介で長くなる者がいるとすぐに食い物で口をふさがれていました。

 要は簡潔にということなのでしょう。

 優奈の番になって、新婦との関わり合い、それに大学名と名前だけを告げました。


「新婦ひろ子さんの駅伝仲間で、日本*医生命科学大学二回生の加山優奈です。

 明日は講道館に予定が入っていまして朝が早いので、此処は8時半で切り上げさせていただきます。

 御免なさい。」


 ひろ子さんがやや上気した顔で尋ねて来た。


「え、講道館って、・・・。

 柔道の講道館?」


「ええ、そうです。

 明日は午前7時から寒稽古、その後に講道館の鏡開きがあって、その招待を受けているのでかなり朝早く家を出なければならないんです。」


 ひろ子さんが呆れたように言う。


「何でまた、柔道なんて・・・。」


 まだ名も知らぬ男性の一人がそれに答えた。


「ミラクル・ユーナは、陸上や音楽だけじゃないんだよね。

 鬼一楊心流の宗家であり、武道家としても超一流だから・・・。

 昨年半ばにあった合気道本部での模範試合で使った隅落としの技について講道館が目を付けたのじゃないかと思うよ。

 元々柔道の開祖である加納治五郎や三船十段が得意としていたのが隅落としで、別名空気投げとも言われているんだ。

 投げられた本人には、胴着を掴まれたという意識がないうちに投げられてしまう技らしいけれど、真似事はできても、実戦でそうとわからずに投げられる人はこれまで存在しなかったんだ。

 それを女性であるミラクル・ユーナが見事にやってのけたから、話題にもなる。

 何しろスローモーションで見てもよくわからないほどの動きだからねぇ。

 ある意味で講道館側が本家として危機感を覚えているかもしれないんだ。」


 ひろ子さんが酒の入った所為か、からんで来る。


「ふーん、人気者は辛いね。

 放っておいても、あちらこちらから声がかかる。

 ユージーンの世界陸上では、フランスのモデルが4人もわざわざ優奈にお礼を言いに訪ねていたじゃない。

 調べたけれどロサンゼルスって、ユージーンから結構遠いのよね。

 羽田からだと北は樺太まで行っちゃうし、西は韓国のソウルを超えて仁川まで行っちゃう。

 南西方向ならば大体奄美大島ね。

 ロサンゼルスに用事があったのをわざわざ迂回してユージーンまで礼を言いに来るなんて余程の事じゃない?

 詳しくは知らないけれど、優奈がドイツで何かをして恩人になったんでしょう?

 優奈の話は、できるだけ追いかけているけれど、そもそもドイツに行ってたことなんて知らなかったわ。」


「えぇ、まぁ、ドイツには大学の関係で夏休み中にハノーバー獣医大学へ短期の留学をしていただけですから、別に公表する必要も無かったものですから・・・。」


「そりゃそうだけれど、優奈ファンとしては聞き捨てならないわ。

 他人を助けたっていうことは、危険から人を救ったっていうことでしょう?

 でもその危険に近づかなけりゃ助けられないということでもある。

 そんなことになっているのに誰も知らないなんてそんなのある?

 優奈にとっては何でもないことかもしれない。

 でもね、随分前の話だけれどヒースロー空港の事件だって同じよ。

 一歩間違えれば優奈も死んでいたんだから。

 そんなことになったら嫌よ。」


 まるで子供が駄々をこねているようでもある。


「まぁ、全く危険がないと言えば嘘になるけれど、結果オーライなら良いことじゃないですか。

 そんな風に割り切ってくださいませんか?」


「そんなに簡単に割り切れるもんですか。

 日本、いや、世界の至宝でもある優奈をつまらないことで失うなんて考えただけでも嫌なんです。

 お願いだから自重して。

 貴女の活躍を信じ、とてもたくさんの人が貴方の事を気にかけてくれていることも忘れないで欲しいの。」


「心配していただけるのは大変にありがたいのですが、これでも20歳になりました。

 選挙権もありますし、お酒も飲めます。

 大人になるということはそれなりの権利と同時に義務と責任も負うことなのでしょう?

 でしたら、私個人の判断や信条も信じてください。

 そんなに無茶はしませんから。」


「約束よ。

 守ってくれなかったら私泣いちゃうから。」


「はい約束します。」


 どうやら何とかひろ子さんの機嫌は取りなせたようだ。

 優奈はその場に居合わせた者から何でもいいから歌ってくれと頼まれて、AIのStoryを歌い、アンコールが繰り返されたのでやむなくビヨンセのHaloを歌った。


 まだまだ満足していない人もいたようだが、アンコールコールはなくなったので終わりとし、年上二人のチームメイトを誘って、二次会場を出たのである。

 二人の様子はと言えば、余りよろしくなかったので、かねて用意のシジミの成分を濃縮した二日酔いの薬を与えた。


 その上で血中濃度のアルコール分を減らしてあげるとてきめんに効果があったようで、それぞれに東京駅で別れました。

 大島さんは京浜東北線で西日暮里まで、吉本さんは山手線で五反田までである。


 それぞれ駅からは結構距離があるようだが、必ずタクシーを使うように注意して別れたのです。

 優奈はそのまま中央線で武蔵境へ、9時半には武蔵境駅に到着していました。


 コートの襟を掻き合わせるようにして、そのまままっすぐマンションへ戻った優奈です。

 途中電車の中では、認識疎外をかけっぱなしにしなければならなかったのが、困ったことの一つでした。

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