第十二章 ソウルマラソン

第95話 12-1 ソウル、駅伝、宝くじ?

 12月12日ソウルマラソンの受け付けが開始されました。

 来年のソウルマラソンは3月15日に予定されており、日本の公式事務局では12日から受付が開始されたのです。


 ホノルルマラソンと異なり、旅行会社が絡んでいるわけではないので、公式事務局が航空機の手配やホテルの手配をするわけではありません。

 そのために優奈は10月20日の段階で、旅行会社にソウル7泊8日のパックを組んでもらっていたのです。


 慰労の意味合いもあって、7人のOGに同行の意志の有無を尋ねたところ3人が手を上げてくれました。

 勿論パスポート以外の費用は全額優奈持ちなのです。


 但し、韓国の国内ツアーについては特に組んでもらっていません。

 一つにはソニンの予定がその時点ではわからない状態だからなのです。


 ソウルには3月9日に入って、16日に帰国する予定なのです。

 同行するのは、佐伯祥子女史、小森佳代子女史、葉山静香女史の三人です。


 彼女らも優奈との最後の旅行になることが分かっていたので、多少無理をしてでも手を上げたのでした。

 優奈の推薦入学合格の噂は思いのほか関係者の間に広まっていました。


 無論周囲に配慮して関係者以外には広がらないような配慮はなされていたのですが、少なくとも優奈を支えてきたOBやOGには、正式な通知が来てから10日の間には極秘情報として伝わっていたのです。

 吉川瑞樹女史は子育て真っ最中で当然辞退、門田美智子女史は妊娠が分かって辞退、横山博美女史はちょうどその頃慶事が重なって動けないので辞退、吉田美奈子女史は病気がちの親が居て一週間の不在はできないと辞退したのです。


 韓国滞在中のホテルはインター・コンチネンタル・ソウルであり、四人部屋は無いので、クラブラウンジのツィンのスイートを二つ頼んでいる。

 航空運賃が4人で約20万円、7泊のホテル代が約120万であり、合計140万程度の出費にはなります。


 オプションで市内観光ツアーも可能なのですが、当面日程等の問題もあって保留の状態なのです。

 7泊は長いのですが、それぐらい見ておかないとソニンには会えない可能性もあるのです。

 ソニンが地方公演に出ていれば二日や三日は間違いなく不在になる筈なのです。


 12月12日のソウルマラソン申し込み解禁を待って、日本の公式事務所に対して、エリートクラスでの出場は可能かどうかを問い合わせたところ、翌日に回答が来て、韓国の主催事務所よりミラクル・ユーナならば招待選手としてエリートクラスへの出場を認める旨の返事が来ました。

 そのための手続きで1週間後に韓国東亜日報本社から招請状が届けられるので届け先の住所及び連絡先を教えてほしいとの内容でした。


 優奈は届け先として学校を選びました。

 3月には卒業しているものの、当面は籍があるのです。


 学校を連絡先にしておけば必要に応じて連絡も取れると踏んでのことなのです。

 韓国の場合、結構ネットにウィルスが蔓延しており、色々なデータバンクから個人情報の流出もあり得るのでできるだけ自宅の住所は伏せておきたいのです。


 そうして12月19日にはソウルマラソンの招請状が学校に届きました。

 同封の参加同意書にサインをして送り返し、日本事務局にエントリー手続きを行えば終了ですが、マラソン開催日の前日に日本事務局が指定する場所へ出向いてゼッケンなど参加キットを受け取る必要があるのです。


 ◇◇◇◇


 12月20日、終業式があり、二学期が終わりました。

 その日優奈は午後から三宮❆ごうに買い物に出かけました。


 買い物の目的は、ソウルマラソンに出かける際の私服やアクセサリーの購入なのです。

 優奈は化粧もしないし、アクセサリーも特には身に付けません。


 しかしながらマフラー、スカーフ、手袋、コートあるいはバッグなどのファッション用品には少しぐらいこだわっても良いかなと思っています。

 そのための資金は十分すぎるほどありますしね。


 1階から5階までのフロアを順次見て回り、最終的にソーラー電波腕時計とルイヴィトンのマフラーとスカーフ、それに日本製のダッフルコートを購入しました。

 総額で30万円ほどの買い物になってしまいました。


 騒がれてはいけないのでしっかりと変装をしたつもりであり、店員さんにも周囲のお客にも気づかれなかったと思っています。

 それからサンチカの❆族亭という和食食堂に立ち寄って、お昼に天ぷらそばを戴きました。


 帰り道、食堂のすぐわきの階段を上がるとみずほ銀行神戸支店の前でした。

 その場で周囲を見渡した際にジャンボ宝くじののぼりが目につき、何の気なしに年末ジャンボ宝くじを購入したのです。


 連番一組10枚つづりで3000円です。

 どうして買う気になったかはよくわからないのですが、衝動買いに近い状態で購入してしまいました。

 これがある意味で幸運を招きよせる結果になるのですが、優奈はそのことに気づいてはいませんでした。


 ◇◇◇◇


 その翌日2019年12月21日、陸上部駅伝メンバーは京都入りし、万全の態勢で22日の高校女子駅伝を迎えたのです。

 神城高は前年と同じく1区の優奈が飛ばしました。


 6キロの区間を13分42秒で優奈は走り切ったのです。

 2位の京都❆南は、健闘したものの18分58秒と時間にして5分余り、距離にして1.7キロから1.8キロの差がついたのでした。


 そうして今年の神城高は強かった。

 優奈が作ったこの差をそのまま維持してゴールしたのです。

 記録は59分58秒、高校女子駅伝では初めて1時間を切る記録が出たのです。


 2位京都*南は1時間6分56秒と自己記録を更新したのですが、神城高には遠く及びませんでした。

 そうしていずれの高校も来年こそは優勝をと狙っていたのです。


 優奈がいなくなれば、神城高は確実にタイムが落ちることになります。

 近畿大会でも優奈抜きで2位となった実力は侮れないものがあるけれど、それでも優奈がいる今よりは間違いなく勝率が上がる筈なのです。


 ◇◇◇◇


 優奈の周囲では、2019年も色々ありましたが無事に過ごせました。

 大橋美空は、神戸から帰った後にすぐに復帰し、精力的に音楽活動を行った結果、大晦日の紅白歌合戦の50名の出場枠ではありませんでしたが、たまたま病気で欠場した新人歌手の代理として出場、横浜慕情を歌ってお茶の間をにぎわしました。


 司会者の一人でもあった小路孝之は若手の作曲家でしたが、マイクがオンになっているのに気づかず、独り言を呟いたのが年末から年始にかけて大いに話題となりました。


「へぇ、上手いじゃん。

 あの子、誰だったっけ?」


 全国放送で津々浦々までご家庭に届けられた独り言です。

 その所為かどうか美空は年明けとともに歌ウマ歌手としてブレイクしたのです。


 そうして2月には新曲「初恋のメモリー」を発表し、発売からわずかに1週間でオリコンチャート1位になり、超売れっ子アイドルの仲間入りを果たしたのでした。

 因みに「初恋のメモリー」の作詞・作曲は共にカヤマユウナと明記されていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る