第42話 5-2 祝勝会
日本へ向かう飛行中は何事もなく、JAL機は12時間かけて東京へたどり着いたのでした。
ロンドン時間8月15日午前7時、日本時間8月15日午後3時頃のことです。
羽田空港からは選手団がまとまって貸し切りバスで移動、ホテルニューオー*ニに宿泊することになっているのです。
当日午後7時半から祝勝会があり、翌朝は帰朝報告のためメダル取得者のみが首相官邸に行くスケジュールになっています。
その後、ニューオー*ニの催事場を借りて、日本陸連の主催で記者会見が予定されているのです。
飛行機の中ではラフな服装でも構わなかったのですが、飛行機を降りる段階では制服を着用するように団長さんから出発前日に指示されていました。
事前に選手団の帰国予定は周知されていますので。羽田空港への凱旋風景を取ろうとマスコミが大挙押し掛けてくることが予想されていました。
更に一般の人もそれに気づくと上乗りしたりするので、警備を別途頼んでいるという情報が団長から伝えられました。
そのために団員のほとんどはスーツキャリアーを機内に持ち込んでいたのです。
到着2時間前には全員が制服に着替えていたのです。
優奈の乗るJAL機は無事に羽田空港に着陸しました。
機内で検疫申告は済ませており、羽田空港で入国審査、税関での検査を受け、カートに荷物を載せて到着ゲートに向かうのですが、そこには大勢のマスコミ関係者が待ち構えていたのです。
優奈は笑顔と手を振るだけに留め、一切の取材に応じないことは事前に打ち合わせていました。
帰朝報告の前に勝手にコメントを出すことは形式上問題があるからなのです。
すぐそばには佐伯女史がついています。
しかしながらマスコミのフラッシュとカクテル光線は凄まじいものでした。
念のためにサングラスをつけておいて良かったと優奈は思いました。
ストロボを多数連射されるとさすがにサングラスをかけていても目が見えなくなってしまうことを初めて知ったのです。
到着ゲートには選手団の輸送のために貸し切りバスが待機していました。
それに乗車するとすぐに出発、高速道路を経て赤坂見附のニューオー*ニに向かったのです。
優奈もニューオー*ニの名前は知っていましたが、これまで行ったことはありません。
そうして東京の一流ホテルは流石に大きかったのです。
敷地内に目立つ大きなタワーだけでも3つあるのです。
多分迷子になるのが関の山なので、ホテル内では必要最小限の範囲を動くようにしようと密かに決めていました。
タイムスケジュールが詰まっている中で、迷子になって遅刻しましたというのは言い訳になりませんからね。
取り敢えず、今夜予定されている催事場はロビー階よりも下にあるらしいことがわかりました。。
しかしロンドンで10日間過ごしてから日本に返ってきましたので、また時差の問題があるのです。
日本の夕方は、ロンドンの朝なのです。
明日の朝、寝ぼけ
まぁ、できるだけ今夜は寝てみようと思うのですが、正直なところ難しいでしょうねと優奈は考えています。
飛行機の中で結構睡眠をとってしまったので、多分、今夜は眠れない可能性が高いのです。
祝勝会というのは、基本的に大人のための宴会であって、未成年者のための宴会ではないのです。
ビールを飲むわけにも行かないし、正直なところ、赤い顔をしてアルコール臭を漂わせているおじさんと話をしたいとも思いませんよね。
それでも、お相手をせざるを得ないのが辛いところです。
まぁ、それでも我慢の限界が来たならば、勝手にすっぽかすつもりではいるのです。
事前にその旨を高坂団長には伝えておきました。
因みに祝勝会には選手団の制服で臨むことになっているのです。
ロンドンではあまり出番のなかった制服でしたが、ここへきて活躍の場があるのです。
首相官邸での帰朝報告もこの制服の予定なのです。
まぁ、ジャージ姿でお役所へはやっぱり行きにくいでしょうねぇ。
その日予定通り19時半から開始された祝勝会は、あくまで内輪のものであって出席者は陸連関係者に限られていました。
本来ならば、関係先、特にスポンサーなどを招いて大々的に祝勝会をしたいところなのでしょうが、メインが高校一年生の優奈とあっては流石に利用しにくいのだろうと思うのです。
それにその辺のところは、吉川さん、権藤さんペアが目を光らせているに違いありません。
優奈も取り敢えず帰朝報告までは付き合うことにしていますが、その後の対応については、陸連の職員ではないのですから無条件で陸連のために動く必要はないと考えているのです。
正直なところ喧嘩を売るつもりは無いものの、こちらは何時でも選手を止められる立場にいます。
ファンのために陸上競技をしているわけではないし、陸上競技を志向する後輩のために陸上をやっているわけでもありません。
あくまで、自分が動くことで反射的に周囲に良好な影響を及ぼすのであればという程度のものなのです。
将来的に陸上競技で生計を立てようなどとは思っていません。
優奈の中ではあくまで部活程度の認識なのです。
学業が中心、部活は学校生活を豊かにするための方策の一つにしか過ぎないのです。
そのために役立つことなら積極的に動くこともありますが、陸連という大きな組織の駒になるつもりは毛頭ないのです。
そうして少し酔った陸連会長にこれからも陸連のために活躍して欲しいと言われた時に、カチンと来て、少し反発してしまいました。
「あの、会長さん。
私は、まだ高校生です。
学業が中心であって、陸上競技は単なる部活の一環にしか過ぎないんです。
ですから部活をしていることで陸連のお役に立っているなら、そのことは一向に構いませんが、積極的に陸連のために何かをしようという気持ちはございませんので予め申し上げておきます。
そうして、時差のためか少々気分が悪いので大変申し訳ございませんが、今日のところはこれで失礼をさせていただきます。」
優奈はそう言って、さっさと宴会場を引き上げたのです。
焦ったのは陸連幹部であった。
会長の機嫌を取らなければならないのはもちろんなのだが、世界陸上のアイドルとなってしまった優奈にへそを曲げられ、今後陸連からの申し出には応じられないとでも言われたら、それこそ国際的にもメンツが立たないことになりかねない。
結局は団長の高坂にお鉢が回ってきた。
優奈の機嫌を取り結べという指示である。
一方の会長の方は少々お冠である。
流石に皆のいる前では抑えていたが、別室に入って傍にいる者に当たり散らしている。
「小娘が何をふざけたことを言うか。
世界陸上に出してやったのは陸連だぞ。
このわしだぞ。
その陸連に恩義も感じていないとは何事だ。
陸連に所属している以上は、陸連に尽くすのが当たり前だろう。」
会長さんは、日本陸連がUK陸連から要請があった際に困ってしまって、兵庫、神戸の陸協に無理を言って、優奈を説得してもらったことを知らないでいるのです。
直前になって優奈に種々無理を言って参加してもらったのは陸連であり、出させてやったのではなく、出てもらったの方なのです。
経費云々も出てもらう以上は陸連が負担するのは当たり前で、さも陸連が金を出したから世界陸上に行けたというような言い方をしてはおかしなことになる。
幸いにして、会長もそこまで言及してはいなかったが、あくまで上から目線での物言いは、世界陸上に参加したことで優奈が何らかの犠牲を強いられていたなら怒って当然だろう。
しかも本人の希望ではないリレーにまで参加させたのも陸連である。
本来優奈が望んでいた七種と100m、1500mだけなら三日で終了し、4日目以降に日本へ戻って来ることも可能であったはずなのである。
それをフルに滞在させたのは陸連のエゴでしかないのだ。
無論、これとて優奈の同意があって実行に移せた話ではあるが、先ほどの会長の話が今後とも陸連の言うことを聞いていい仕事をしてくれという意味合いであったなら・・・。
事実そう聞こえるような言い方を会長はしたのだが、優奈が怒るのも当然である。
副会長以下事情を知っている者が集まり、会長に事情を説明する者と、優奈の機嫌を取り繕う者の分担を決めたのである。
高坂と原よしみは優奈の部屋に向かった。
部屋をノックすると、佐伯祥子が戸口に出てきた。
「優奈ちゃんは?」
「ぶすっとしてますね。
戻ってから一言も話してくれません。」
「やはり怒っているかね。」
「普通なら怒るでしょうね。
別に陸連のために出たわけではなく、知己の人が困っているようなので、お願いを聞いて上げただけなのに。
如何に会長とは言え、酔っ払って、お酒臭い息を吹きかけながら肩を抱いて、これからお前は俺の子分だ的な言い方をして、それで喜ぶ女性は居ないと思いますよ。」
「いやぁ、そこまでは言っていないと思うが・・・。」
「高坂さん、本当にそう思います?
逆に、あの会長さんなら、人が折角目をかけてやってるのに、何だ、あの言い草はって、今頃、怒鳴っているような気がしますけれど、・・・。
違います?」
高坂は、内心「鋭い。」と言いたかったが敢えて伏せた。
「いや、その、何だ。
会長は実のところ優奈君の世界陸上参加については詳しい事情を知らないんだ。
だから、どっちかというと日本陸連がUK 陸連に押し込んで参加させたと勘違いしているようなんだ。
実際には、UK陸連から要請があるまで日本陸連としては全く動いていなかったし、優奈君を参加させるつもりもなかった。
優奈君は何といってもまだ高校生だし、世界陸上に出すのは早すぎるというのが我々の考えだった。
だが、正式にIAAFを通じて打診が来てはどうしようもない。
まして、優奈君を出さないのは日本陸連のエゴかあるいは記録の欺瞞かとまで言われては対処の仕様もなかった。
本人の意向を確認して出場するつもりがあるなら後押ししようということになって、あのどたばただ。
本来なら二か月以上も前に打診はできたのだけれどね。
実際問題として優奈君が受けてくれたからいいようなもの、仮に断られていたら、我々は立ち往生だったのだよ。
実のところ、昨年11月の時点で優奈君の世界陸上等の国際大会出場を検討していたんだ。
だが、中学生であることからその時点では出場自体が適当ではないと判断したのだよ。
この5月に神戸の地区予選で記録を出した時にも同様の問題提起がなされ、せめて国際大会出場の要請は高校二年生以降にしようではないかと陸連幹部で合意したんだ。
尤も会長はその時に健康上の問題もあって不在だった。
まぁ、本人が国際大会出場を希望しており、尚且つ、選考大会で然るべき記録を出した場合はその限りではないとしていたのだけれど・・・。
彼女の場合、高校総体の枠組みと記録会からは抜け出ていなかった。
だから参加資格は当然にあるけれど敢えて放置した。
切羽詰まった微妙な時期になって優奈君に打診したのは全くこちらの都合でしかない。」
「あのですね。
彼女が陸上部に入ったのだって、彼女がやりたくて入ったというよりは、山名陽子さんにお願いされて約束してしまったから入ったのであって、それが無ければ彼女は多分自然科学部に入っていたと言ってましたよ。
彼女は、お願いされてそれが無理な注文では無かったら聞いて上げてしまう子なんですよ。
高坂さんだって見たでしょう。
ヒースロー空港で、何の関わりも無い少女を助けるために身の危険を顧みずに奮闘した。
彼女だからできたことであって、他の誰にもできなかったことです。
なのに・・・・。
仮に、仮にですけれど、あの時に英国の警察から今後も俺たちの手伝いを頑張ってねなんて言われたら、どう思います?
本当の好意だけで動いているのにあたかもそれが人民の義務であると頭ごなしに言われて納得する人は少ないんじゃないですか?
はっきり言って、人の機微に鈍感な人が会長をやっている資格はないと私は思います。」
どうやら、高坂は二人の怒れる女性を何とか宥めなければならない様だ。
高坂は内心泣きそうな思いをしながら、最初の難関である佐伯女史を懐柔しようと頑張った。
何せ佐伯女史を落とさねば、本丸の優奈には会わせてもらえそうになかったからである。
傍にいる原よしみの援護射撃もあって、何とか佐伯女史と優奈の懐柔に成功したのはそれから1時間半後のことだった。
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