第五章 帰国
第41話 5-1 テロリスト
優奈たちは、8月14日19時ロンドン発のJALで東京に戻る予定なのです。
東京では、帰朝報告に併せて祝勝会が催されることになっており、優奈たちは東京で一泊しなければなりません。
そのために神戸に着くのはさらに翌日の予定になります。
優奈達は、それまでにお土産をいろいろと買わねばなりませんでした。
何しろロンドンに来て以来、ほとんど自由な時間が有りませんでしたから。
出場の無かった第6日と第7日ですら、きっちりと予定が詰まっていて自由な外出を断念せざるを得なかったのです。
従って、14日は佐伯女史と一緒になって、10時半から私服で市内のモール街で買い物なのです。
選手団の制服は、目立ちすぎるので着て行くのは止めました。
普通の半袖にサブリナパンツ、首にカーディガンを巻き付け、ニットの帽子をかぶり、サングラスをかけるとちょっと見には日本人に見えなくなります。
佐伯さんもラフな私服にサングラスで優奈に合わせてくれました。
ストラトフォードのショッピングセンターに、ピカデリー広場と回り、最後は大きな紙袋にいっぱいの買い物を詰めてタクシーでホテルに戻りました。
店から直接日本へ送ってもらう品もあるのです。
その品については、リストをもらい、帰国時に税関に予め申告しておかねばなりません。
課税対象となるものは無い筈なのですけれど、正確には良くわからない品もあります。
それから荷物をまとめ、1600には選手団全員がバスでヒースロー空港に向かいました。
空港で搭乗手続きを済ませ、VIP室で軽食を食べてから、出発ゲートをくぐったのです。
航空機に搭乗するには少し早いので、搭乗口前のロビーで時間を待つことになったのです。
でも、そこで事件に遭遇することになりました。
優奈達が
一人は白人の成人女性ですが、今一人は明らかに10歳前後の少女なのです。
何やらアラブ語で
「我々は、抑圧されているアラブの仲間を助けるために立ち上がった。
英国政府に伝えろ。
一時間以内にシャリム・メサダとケイシャム・サバスを釈放し、此処に連れてこなければこの女二人を殺す。」
時計を確認すると現在の時間は、17時45分つまり18時45分までに動きが無ければ二人の女性は殺されるかもしれません。
誰しもが恐怖に
1時間以内に犯人が要求する男二人を連れて来るのはまず無理な話です。
さらにまたこれ以上時間を置けば、空港警察などがやってきて膠着状態に入ることは間違いないと思われるのです。
そうなれば優奈が介入することは非常に難しくなります。
ですが、近辺にガードマンが二人ほどしかいない今なら優奈が動けるのです。
更に、優奈と犯人以外は誰も知らないであろう事実があって、優奈が事を急がねばならない理由なのです。
彼らの目的は二人の男の開放などではなく、空港での爆弾テロの実行なのです。
優奈は、ゆっくりと男達二人に向かって近づいて行きました。
男たちは優奈の接近に気づきました。
ニット帽を
男二人は、その女に脅威は感じていないのですが、おかしな真似をされたら計画に支障が出るかもしれないと考えました。
男の一人が英語で怒鳴った。
「妙な動きはするな。
下手に動けば、こいつらを刺す。」
優奈も英語で怒鳴り返してやりました。
「小さな子は放しなさいよ。
そんな子じゃなくてもいいだろう?
その子の代わりに私が人質になってあげる。」
男は迷った末に言った。
「よし、じゃぁ、お前、こっちに来い。
来たならこの子を放してやる。」
優奈は大きく頷くと手を上げたままゆっくりと近づいて行きました。
男二人は血走った目で優奈と周囲を見回している。
手が触れられるほど近づくと、小さな子を抱えた男が片手で優奈を抱え込もうとしたのです。
それが優奈の狙ったチャンスでした。
最初に長い脚を飛ばし、成人女性を抱えてナイフを構えている男のナイフを蹴飛ばした。
次の瞬間には、少女を抱えていた男の懐に飛び込み、顎に向かって掌底を放ち、一人目の意識を刈った。
男の身体は一瞬数センチ浮き上がったかのように見えました。
次いで
人質になっていた女性も倒れたのですが、男は一瞬で意識を刈られました。
それとほぼ同時に掌底を受けた男が床に倒れこんでいたのです。
全ては1秒以内の出来事であり、
近くにいたガードマンが駆け寄ってきて、男たちに手錠をかけて拘束したのです。
それからガードマンが優奈に向かって言いました。
「全くなんていう動きをするんだ。
あんたSASの隊員か?
まるでカンフー映画を見ているようだったぞ。」
優奈は苦笑しながら、言った。
「未成年ですから兵士ではないですよ。
それとカンフーじゃないです。
日本の古い武術の一つなんです。
じゃぁ、後はよろしくお願いしますね。」
優奈がそう言い終わって、ようやく周囲から拍手が沸いた。
青い顔で佐伯さんが近づいてきた。
「優奈ちゃん、何てことをするんですか。
無事だったから良いようなものですけれど、一つ間違えば、貴女も、人質も傷つけられたかもしれない。
ガードされるべき人があんな場面で出張るなんてとんでもないです。」
盛んに怒っている佐伯さんなのでですが、周囲の選手たちは
それを代表して山名陽子さんが言いました。
「まぁ、ミラクル・ユーナだから何をやっても不思議はないけれど・・・。
優奈ちゃんがあんなに強いなんて知らなかったわ。
護身術とも違うわねぇ。
あれって、いったい何?」
騒ぎをよそに、女性選手たちは優奈を囲んで勝手にガールズトークを始めていました。
ややあって、空港警察官が駆け付けて来て、優奈に言いました。
「事情をお聞きしたいのですが無理でしょうか?」
「19時発の東京行きに乗ります。
ぎりぎり18時40分程度までなら、警察から航空会社に申し入れて頂ければ待ってもらえるのではないでしょうか。
必要なら飛行機の中でStatementを書いて、空港警察あてに送りましょうか?」
「そうしてもらえると助かりますが、取りあえず何があり、どうしたのかだけでもお話し願えれば、・・・・。
後はガードマンが見聞きしているでしょうから何とか対応ができます。
人質になった被害者も出国予定ですのであまり長くは止められません。」
「防犯カメラは?」
警官はにやりと笑った。
「やれやれ、
防犯カメラはあります。
取り敢えず映っているのは確認し、記録は確保してあります。」
「そうですか。
では、彼らが何を言い、私が何を言ったかだけでも申し上げれば、防犯カメラとガードマンの証言で必要なものは集まると思いますよ。
で、ここで事情聴取を?」
「いや、空港会社に頼んで別室を用意してあります。
時間までには搭乗口にお送りします。
ではどうぞこちらへ。」
優奈は別室に連れて行かれ、それから30分ほど事情聴取を受けたのです。
証言は全てビデオに撮られました。
別室で事情を聴いた警官は、優奈がサングラスを取ったところで二度びっくりしたのですが、さすがに余分なことは聞きませんでした。
どうやらミラクル・ユーナとわかったらしいのです。
優奈は、二人の被疑者が現れて、ナイフを手にして二人の女性を人質に、何を言ったのかを話し、優奈が何を言って近づき、どうしたかを順次説明したのです。
簡潔にまとめられた話を聞いて一言だけ警官は質問をしたのです。
「貴方が強硬策に出る時、失敗する可能性は考えなかったのですか?」
「彼らの動きを見て、できると判断しました。
仮に彼らが三人いても対応できたものと考えています。」
「何か格闘術をやっていますか?」
「日本に古くから伝わる武道を少々。
多分、SASの隊員5人を相手にしても負けないと思います。」
「貴方、ミラクル・ユーナさんですよね。
確か15歳だとか・・・・。
日本人はみんなそんなに強いんですか?」
「いいえ、普通の女の子には無理でしょうね。
たまたま私が普通の女の子じゃなかっただけです。」
警官は若干呆れていたが事情聴取中のビデオの確認を行って、必要な署名をし、事情聴取を終了したのです。
「さて事情聴取は終わりです。
全く私的なお願いで大変恐縮なんですが、・・・・。
私の娘のためにサインを戴けませんでしょうか。
あくまでお願いであって、強制では絶対にありません。」
そう言って優奈の目の前にただの白紙を差し出したのです。
優奈は笑いながら言いました。
「お嬢さんのお名前を教えてくれますか?」
優奈が別室から出てきたとき、ちょうどJALロンドン-東京行きへの搭乗案内が始まった処でした。
「それじゃぁ。エレーナさんによろしく。」
サングラスをつけた優奈はそう言って、スコットランドヤード空港分室の巡査部長サムエル・ヒギンズさんに別れを告げたのです。
「ミラクル・ユーナ、・・・。
確かにとんでもない少女だ。」
搭乗口から機内へ続く通路へ消えてゆく優奈を見送りながら、サムエル巡査部長はそう
空港内に設置された防犯カメラの映像は証拠品であったので表には出ませんでしたが、それよりもはるかに高精細な動画がネットに掲載されたのは、JAL機がヒースロー空港を飛び立って3時間後のことでした。
シャッターチャンスとばかりにスマホで映像を撮ったのは普通の旅行者であり、パリに着いてからネットにアップしたようです。
あっという間にこの情報は世界中に流れたのですが、このヒロインの名前が知られるには翌朝まで待たなければなりませんでした。
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