第39話 4-10 世界陸上最終日(8月13日)
長かった世界陸上も13日が最終日。
この日、ロイヤルファミリーのノーフォーク公爵一家がロンドンスタジアムを訪れ、2010からの800m決勝に併せて20時ころに到着されたのです。
先ごろからヨーロッパに頻発するテロの警戒もあって、物々しい警護の中メインスタンドのロイヤルボックスに入られたようだ。
800mの決勝で優奈は第2コースでした。
優奈自身は、第一コースの方が好きなのだが、カーブがきついので嫌う者もいるようだ。
カーブが終わるとインに入る分、外側は何となく不利なように感じている。
まぁ、1500mで一番外側を選ぶ優奈ですからあまりコースにえり好みは無いのです。
遠慮なしに走れるコースが一番良いということなのです。
800m決勝でも1分41秒72と、優奈は七種競技での世界記録をまた塗り替えました。
そうして割れんばかりの歓声と拍手がスタジアムに鳴り響きました。
優奈の個人種目は、これですべてが終了していました。
残りは、4×400mリレーの決勝を残すだけとなったのです。
午後8時55分から、世界陸上最後の競技である4×400mリレーが始まりました。
女子が先で、男子が後です。
優勝タイムはおそらく3分18秒後半から19秒前半になるだろうと予測されています。
予選タイム3分24秒後半の日本チームが更に5秒縮めるのは至難の業でしょう。
但し、一人一人が1秒近く縮めることができれば、あるいは何とか上位に食い込めるかもしれないという可能性はあるのです。
400m競技は、距離が長いだけに1秒程度の記録の違いは常にあるのです。
優奈も正直なところ未だ全力を出し切っているわけではありません。
但し、全力を振り絞れば、きっとゴール直後に酸欠で倒れることになる。
死ぬことはないが、余りそんなことにはなりたくないと考えている。
だからギリギリのところでセーブしているのです。
米国、ロシア、ジャマイカの3チームは、この種目に関しては別格の強さであり、これを崩すのは難しいだろうと思うのです。
奥の手を使うのは他の三人の頑張り次第かなと、優奈はそう思っていました。
4×400mリレーがスタートしました。
日本チームは一番外側の第8コース。
第一走者青木由紀さんが8位ではあるけれど自己ベストを縮めて、第二走者大和田恵さんにバトンを渡しました。
由紀さんはバトンを渡した途端倒れ込んでいた。
第二走者の大和田恵さんは8位から7位に上がる大検討をしたのです。
多分自己ベストタイムを2秒近く縮めているのではないでしょうか。
そうして7位で日向貴代美さんにつないだ恵さんもまたトラックに倒れ込んでいたのです。
貴代美も死力を尽くして頑張り、6位に肉薄するまで距離を詰めていました。
そうして優奈にバトンを渡してフィールドに駆け込み、四つん這いになってそこで吐いていた。
優奈は7位でバトンを受け取り、ほとんど瞬時に6位を抜き去りました。
3人が死力を尽くしたのを見て、自分も頑張らねばと思ったのです。
そこから奇跡の追撃が始まった。
トップのジャマイカのアンカーであるレギンズとは100m近い差があったのです。
だが優奈はトップスピードを上げる秘策を使った。
使える時間は僅かに35秒から40秒程度。
優奈のギアが入り、速度が明らかに跳ね上がった。
半周ほどの間に4位に並び、最後の直線にかかる時点では2位米国に並んでいた。
ジャマイカはその先10mほどのところにいる。
猛烈な歓声が沸き上がる中、ゴール直前でついにジャマイカを抜き去り、駆け抜けたのでした。
大観衆はユーナの活躍に沸きに沸いた。
次の瞬間、観衆は信じられないものを見たのでした。
ミラクル・ユーナが糸の切れた人形のように膝をつき、その場に倒れたのです。
その様子が大スクリーンに映し出されており、スタジアムのあちらこちらで悲鳴が上がった。
最寄りの選手が駆け寄り、更に審判やスタッフが駆け寄り、担架で運び出される優奈の姿は痛々しかった。
そんな中で男子4×400mリレーが始まったが、観衆は気もそぞろです。
大スクリーンには女子4×400mリレーの順位が表示されていました。
1位日本、タイムは3分18秒28、歴代10傑に入る良い記録でした。
だがその最大の功労者であるユーナが居ない競技場は何か空しいのです。
誰もがユーナの身を案じていた。
男子4×400mの決勝が終わって、すぐに場内アナウンスがあった。
「先ほど、倒れた日本のユーナ選手ですが、医務室に運ばれ診断を受けた結果、極度の疲労のために貧血状態で一時的に意識を失ったものと判明しました。
現在は、既に回復しており、彼女はトラックに向かっています。」
そのアナウンスが終わるや否や、優奈と日本チームが元気にスタジアムに駆け込んできた。
再度スタジアムに大歓声が沸き上がった。
誰もが立ち上がり、そうして拍手をしている。
そうこうしているうちに、スタンドの一角で「ユーナ」が連呼されながら、ウェーブが始まった。
ウェーブはスタンドを1周して終わった。
女子1600mリレーの後で行われる予定であった女子800mの表彰式は、主役の優奈が居なかったので順延されていたが、優奈が戻ったことでようやく再開されたのでした。
さらにその後2130ころから行われた1600mリレーの表彰式で表彰台に上る優奈達日本チームは本当に嬉しそうでした。
何しろこの競技で日本が一位になったことは過去一度もなかったのです。
因みに優奈が医務室に入ったときにドーピング検査も行われていました。
第二位のジャマイカのアンカーは400mを50秒台後半で走る選手であり、400mでは5位に入賞していた選手なのでした。
ジャマイカのリレーメンバー4人は、全員が51秒以内で400mを走れる力を持っていたのでリレーではトップを走っていたのである。
そのアンカーと100m近く離れていて追い越したとなれば42秒か43秒台で400mを走れなければならない。
あまりにも速すぎた優奈を疑った審判の判断で抜き打ち検査を実施したのです。
無論何の異常も発見できませんでした。
閉会式は、表彰式が終わると間もなく開始されました。
一部帰国した選手もいるのですけれど、凡そ千名の選手たちが集まる中でIAAF会長が挨拶し、次いでロイヤルボックスに居たノーフォーク公が特に挨拶に立ちました。
「この10日間の熱戦は大変素晴らしいものでした。
多くの名勝負があり、そうして多数の世界記録が生まれました。
ここに集った世界中のアスリート達全てに感謝と慰労の意を伝え、特に、わが娘シャルロッテと多くの英国国民に至福の時を与えてくれたユーナに心からの感謝を申し上げ、私の挨拶といたします。」
ロイヤルファミリーの挨拶にさえ、ユーナの名が出てきたことに人々は驚いたが、好感を持って迎えられたのは確かである。
8月15日発売のMAJESTYという欧州各地の王家の情報を掲載している月刊誌に、ノーフォーク公のロイヤルボックス席の様子、シャルロッテ王女とユーナのお茶会の逸話と写真、ユーナが贈った色紙、それに競技中のユーナの写真数枚が掲載され評判になった。
10日間に渡ったロンドン世界陸上は終わりを告げました。
この間に優奈が取った金メダルは、100m、七種競技、100mハードル、200m、800m、1500m、走幅跳、走高跳、槍投、4×400mリレーの10個であり、4×400m以外の種目全てで世界記録を更新していた。
更に4×100mでは銀メダルを取得していた。
このため一度の大会での金メダル最多獲得記録が生まれていた。
これまでは8個が最高であったのです。
複数の大会で言えば金メダル23個が最多ですが、優奈が若いことから順調に行けば数年で超えることになるだろうと見込まれている。
陸上競技の世界的雑誌<Track & Field News>はそうした見解をも含めて、様々な観点からユーナを分析し、最新号でユーナの特集として掲載しました。
此処には日本国内での写真を含め様々なデーターが掲載されていた。
この陰では、日本陸連及び神戸陸協が最大限の協力をしていたのです。
表彰においては金メダル等の授与が行われるますが、世界陸上ではT*K、トヨ*、ア*ックス、*イコー、*inopec、VT*、*スコなどがIAAFのオフィシャル・パートナーとなって、入賞者に対して賞金を副賞として出しているのです。
個人種目1位の場合6万ドル、リレー種目の場合1位8万ドル、2位4万ドルが授与され、更に世界新記録樹立者にはトヨ*及びア*ックス両社から合計で12万ドルの副賞が提供されるのです。
この結果、優奈は総額で177万ドルの賞金を獲得してしまったのです。
この賞金には、無論税金がかかってきます。
英国の場合、こうした賞金には40%の税金がかけられており、概ね106万ドルが優奈の手元に残ることになります。
賞金は小切手であり、それが手渡される時には税金が引かれた額が記載され、納税証明書も同封されているのです。
リレーの賞金は、4分割された小切手4枚がチームに渡されました。
因みに英国で税金を納めた場合、日本での課税は免除されます。
10日間のロンドン世界陸上の集客数は57万4000人を超えていました。
6万人のロンドンスタジアムでは95%を超える集客率であり、しかも優奈が出場しなかった第6日目と第7日目を除けば、ほぼ100%の観客だったことが分かっているのです。
明らかにユーナを見るために多くの観客が集まってくれていた。
仮に、ユーナがこの世界陸上に参加していなかったならと思うと急に寒気を覚えたエイミー女史であった。
「ありがとう。ミラクル・ユーナ。
貴女はロンドン大会に舞い降りた天使だった。」
一人そう呟くエイミー女史でした。
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