第25話 3-13 世界陸上への招請

 吉川女史の提案に真田女史は少し考えてから言った。


「陸連には、指定強化選手に対して強化費が支給される仕組みがあるの。

 S、A、B、Cの四段階があって、その強化費が出ればそのような練習場に使うのもありかもね。

 ただ、強化選手だけじゃなくって、神城高陸上部の他の者が恩恵をこうむるかも知れないという点に若干問題がありそうだけれど・・・・。

 でも、いいことを聞いたわ。

 持ち帰って陸連本部とも検討してみる。

 実のところ、優奈ちゃんの扱いはまだ決まっていないのだけれど、従来の考え方から言うとSランクでも悠々クリアできるはずだから。

 後は、そう、・・・。

 もう一つ優奈ちゃんに言っておかなければならないことがあります。

 さっきの優奈ちゃんの話にも関連するけれど、実は、国際大会出場の話が外部から来ているのです。

 当然に参加資格はあるのだけれど、これまで優奈ちゃんの年齢を勘案して、敢えて陸連としては無視してきたものなのだけれどね。

 実は、この8月4日から13日までロンドンで開催される世界陸上競技選手権大会に是非参加してほしいと、IAAF事務局から正式な招請があったの。

 優奈ちゃんの七種競技の記録は、ほとんどが世界記録だから砲丸以外の種目ならその種目単独でも参加資格は間違いなくある。

 それと公式記録のある100mに1500mもね。

 世界陸上には3000mが無くなって5000mに変わっているから、ユース予選で3000mの良い記録がでても多分5000mの出場権にはならないわね。

 で、IAAF(国際陸連)の考えとしては、世界記録保持者が欠場する大会なんてIAAFに問題があるのじゃないかと疑われてしまう恐れを回避したいらしいの。

 無論優奈ちゃんに事情があって参加できない場合は仕方がないと思っているのだけれど、日本陸連が積極的に動いていないことを承知しているみたい。

 正直なところを言うと開催予定地であるロンドンのUK陸連事務局はシャカリキになって何とか日本から良い返事をもらおうとして食いついてきている状況よ。

 IAAFからは可能な限りの種目に出て欲しいと言ってきているので、実績に関係なく、優奈ちゃんが望めば何にでも参加できるかもしれない。

 但し、これが日本開催ならともかく、地球を半周しなければいけないロンドンですからねぇ。

 ジェット機でも少なくとも十数時間かかるから・・・。

 それに、世界陸上に参加すれば往復の旅程を入れて、最低でも4日から5日程度、夏休みを使ってしまうことになる。

 もう一つ些細なことだけれど、8月11日に予定されている三校定期戦には参加できなくなる可能性があるわね。

 さらに、もし、貴方が世界陸上に出られるのであれば、4×100mリレーと4×400mリレーの代表にもなって欲しいという陸連のささやかな希望もあるから・・・・。

 でも、夏休み期間中の貴女若しくは貴女の家での予定もあるでしょうし・・・。

 優奈ちゃんはどうしたい?」


 それを聞いて、吉川瑞樹さんが憤慨したように言う。


「真田さん、ずるいです。

 優奈ちゃんは、身体は大きいかもしれないけれど、まだ15歳なんですよ。

 ご両親のいる前でならともかく、年端のいかない少女に協会の困った処や大人の事情を見せて情状で判断させようなんて、そんなの絶対にずるいです。

 甘えています。」


 ふっと苦笑いしながら真田女史が言った。


「そうね、吉川さんの言うように大人のずるいところかもしれない。

 でもね、優奈ちゃんの意向がはっきりしているなら、私が身体を張ってでもその意向通りに成就させて見せます。

 例えそれが不参加の意向であっても。

 それが私の仕事だから。」


 思いがけない言葉に驚いたのか、あるいは、その剣幕に驚いたのか、吉川さんも口をつぐんで、少し無言が続いた。


「どんな方向であれ、優奈ちゃんの意向を聞かないと次には進めないの。

 期限のあることだからロンドンにも早めに回答しなければならないけれど、今すぐに回答をもらえるとは思っていません。

 必要ならばご両親にも友人たちにも相談なさい。

 マスコミ辺りにばらされると、それはそれで困るけれど・・・・。

 世界大会出場は、間違いなく将来的には避けられないと思うけれど、ある意味で今後のあなたの人生を決めてしまうことにもなりかねない。

 回答期限はあるけれど、焦って答えを出す必要はありません。

 ただ私たちとすれば、できれば今週中に回答をもらえるととてもありがたい。

 仮に出場するとなると、手続きは、陸協と陸連で分担するけれど、パスポートの申請にも時間がかかるの。」


 真田女史はそういうと、そっと電話番号とメールアドレスの入った名刺を差し出した。

 優奈と吉川女史の二人分である。


「さて、お昼には少し早いけれど、食べに行きませんか。

 お昼は私が持ちます。

 優奈ちゃんや吉川さんの大事な時間を使ったし、有益な情報ももらえたから。」


 優奈たちが案内されたのは明石駅近くのホテルのレストランでした。

 優奈は、さすがにジャージ姿なので遠慮しようとした。

 すると真田女史があっさりと言ったのです。


「ホテルには最初からジャージ姿で来ると伝えてあるから大丈夫よ。

 その代わりに場所はレストランじゃなくって、別のお部屋を用意してくれるって。

 お料理はお弁当だから左程高いものじゃないわ。」


 だが案内された部屋は、レストランに隣接するバンケットのパーティルームのようであり、レストランに入るのと同じように入るのに気おくれがするものでした。

 多分、ウェディングの披露宴の際にも控室等で使われるような部屋なのだと思うのです。


 花柄の壁紙がとても綺麗で、天井画まで描かれている乙女チックな部屋でした。

 でも、主催者というか出資者というか、お金を出すのは真田女史であって、彼女がここで食べるというものをおごられる方が拒否するわけには行きません。


 止むを得ず、勧められるままに椅子に座ったのです。

 食事は和食であり弁当風の料理でした。

 多分、松花堂しょうかどう弁当と言うものじゃないかと思うのです。


 一旦ゴチになると覚悟を決めたなら、どんな状況でもおいしく食べるのが加山家のモットーなのです。

 真田女史や吉川女史と他愛の無い話をしながら会食をしました。


 真田女史は聞き上手であり、高校一年生の話によく合わせてくれます。

 尤も、大人の女性二人の前なので、いつものきゃぴきゃぴギャルの真似は控えざるを得ないのです。


 同級生や陸上部の面々ならそれでもかまわないが、ここは敢えてするべきではないと判断していました。

 優奈は元々優等生なのです。


 名門校のお嬢様の役柄も必要ならば地で行けるのです。

 普段そんな雰囲気を出したなら、ガサツな雰囲気の陸上部では浮いてしまうから、わざとはしゃいでいるのですが、そんな雰囲気に吉川女史が目ざとく気づいたようですね。


「やっぱり、優奈ちゃん、根は真面目なんやね。

 陸上部では結構はしゃぎまくっているけれど、ひょっとしてあれはダミーかな?」


 優奈はそう言われていきなりはしゃぐわけにも行かず、苦笑いするしかありませんでした。

 そんな優奈を見て、吉川女史はにやりと笑って、頷いている。

 そうして今度は真田女子がいいました。


「ふーん、じゃぁ、普段は陸上部のムードメーカーもやっているの?」


 優奈が何も言わずにいると、吉川さんが相槌を打つように言いました。


「そうですね。

 部員が落ち込んでいるときは、優奈ちゃんの励ましや笑顔が一番効くみたいですね。

 地区予選、県予選と徐々に残れる人は少なくなり、近畿大会では優奈ちゃん以外は全員討ち死にしましたけれど、不思議に優奈ちゃんの周囲には笑顔が絶えませんでした。

 傍で見ているとそれがよくわかります。」


 真田女史が大きく頷きながら言いました。


「吉川さん、引き続き優奈ちゃんのガードをお願いできますか。

 陸協でも所要の経費は分担しますから、ユースもインターハイも含めて。

 それに、もし仮に優奈ちゃんがロンドンに行くことになったなら、吉川さんにも是非ついていて欲しいなと私は思います。」


「ロンドンですかぁ?」


 吉川さんが素っ頓狂な声を上げた。


「ええ、仮に彼女が行くとしたなら相応の保護者をつけねばなりません。

 無論、陸連から事務的な折衝をするための者が出場者以外にも出張りますけれど、仮に行くとなれば未成年者ですから、本来はコーチがついて行くべきなんです。」


「でも私のパスポートは有効期間が切れてます。」


「行くとなれば、渡航手続きは協会に任せて頂いて結構です。

 もちろん渡航費用の方も全額負担します。

 但し、謝礼の方はあまり多くは出せません。」


「うーん、・・・・。

 それじゃぁ、もし優奈ちゃんが行くことになれば、私も同行します。

 ここまでくれば少々の理由では見捨てられませんもの。」


「あれまぁ、私、ひょっとしたら捨て子か何かですか?」


「うーん、そうよねぇ。

 捨て子にしては少し大きくなり過ぎやけど、何せコーチ9人から見放された子だから、せめてあたしぐらい見守ってあげなきゃ可哀そうでしょう。」


 そう言って、吉川女史はまたもにやりと笑ったのでした。

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