第三章 学園生活とインターハイ

第12話 3-1 六甲山登山と七種競技

 4月の第四週20日と21日には神城高恒例の新入生歓迎登山がありました。

 20日、新入生は神戸電鉄有馬線の鵯越ひよどりごえ駅から菊水きくすい山に登山、菊水山から再度ふたたび山、摩耶まや山と峰を縦走し、六甲山の青少年自然の家で一泊なのです。


 そして、翌21日、別途六甲山を登って来た2、3年生と六甲山カントリーハウスで合流し、歓迎行事を行った後、1年生は東六甲を更に縦走し、2、3年生は六甲登山口へ下山するのが慣例となっているのです。

 雨天の場合は中止なのですが、20日、21日と天候は曇りながら雨は降らない予報でした。神戸の場合、4月は意外に雨が降らないのです。


 1日目の登山は、左程きつくもありませんでした。

 最初に菊水山に登る登山道が若干険しい坂道であり結構厳しいものがあったかもしれませんが、それでも皆の若さでクリアできたと言えます。


 勿論、普段から鍛えている優奈は余裕でクリアできているのです。

 峰を伝う山道は、アップダウンはあってもゆっくりと歩けば左程疲れることなく、目的地の神戸市青少年自然の家に到着しました。


 自然の家での夕食はすき焼きでした。

 自炊も可能なのですが、さすがに徐々に温かさを増してくるこの時期食中毒の危険は冒せないのです。


 自然の家で用意された食材を鍋で煮込むだけの作業になりました。

 夕食までの空き時間には、自然の家にあるアーチェリーなどのレジャー設備でクラスメイトと共に楽しみました。


 翌日の朝食は持参した食材で簡単なものを作って食べ、下界から登ってくる上級生を待つことになります。

 お昼は下界で作られた仕出しのおにぎりが用意されているのです。


 広場でセレモニーが行われた後、上級生たちは登山ルートで神戸大学方面へと下山します。

 新入生女子は西宮に向かうルート、男子で元気のある者は宝塚へ降りるルートを歩くのですが、どちらにしても基本的にはクラス単位で動くことになるのです。


 担当教諭が引率し、西ノ宮ルートで下山する途中で事件が起きてしまいました。

 突然野生のイノシシが飛び出してきたのです。


 左程大きなイノシシではないものの、非力な新米女子高生達は悲鳴を上げて逃げ惑います。

 そんな中で普通科クラスの女子一人が切株に足を取られて転倒、左足を負傷したのでした。


 出血は多少あっても傷そのものは左程深くありませんでした。

 但し、足首を捻挫若しくは骨折したために歩けなくなり、急遽山道から車の通る道路へと降りて、通行車両の助けを得て、当該負傷者を病院に搬送することになったのです。


 引率の男性教諭が当該女子を背負い、車道へと向かいました。

 当然以後の遠足は中止となりました。


 これ以上不測の事態が発生した場合、引率する教諭の数が不足してしまうからなのです。

 結局、女子全員が東六甲展望台から奥池、芦屋へと下山することになりました。


 実のところイノシシについては、列の後方にいた優奈が駆けつけた時にはまだ暴れまくっている最中であったのですが、幸いにしてそれ以上の怪我人を出すことなく推移していました。

 たまたま、優奈に向かってきたイノシシに手を添えて軽く放り投げてやると、そのまま凄い勢いで太い立ち木に頭から突っ込み、幾分目を回したようでした。


 傍目には優奈が突進してくるイノシシにビンタを張ったように見えたかもしれません。

 優奈は、古武術の技である『岩返し』を使ってイノシシの突進方向を僅かに変えてやっただけであり、イノシシを強打したわけではないのです。


 軽い脳震盪から立ち直ったイノシシはすぐに気づき、身構えている優奈の顔を見て、何故か後ろを向いて山の中へとっとと逃げ込んで行きました。

 恐れをなして逃げたのかもしれませんね。


 人は意外と鈍感なのですが、野生の動物は対峙するモノの強さを直感で見極めます。

 自分より強者とわかれば逃げるか恭順するかですから、イノシシ君は前者を選んだのでしょう。


 そうしてこの状況をなぜかしっかりとスマートフォンで録画しているちゃっかり娘がいることに大多数の者が気づきませんでした。

 翌日にはネットにその模様がしっかりと投稿されていたのです。


 『大和撫子、イノシシ撃退の図』なる表題が付いていました。

 当の本人である優奈がそのことを知ったのは週明けの24日に登校してからのことでした。


 クラスメイトから教えてもらって初めて気づいたのでした。

 例によって22日と23日の両日は、リレーカーニバルに出場する先輩たちの応援のためユニバー競技場で1日を過ごしていたのです。


 このイノシシ騒動の動画は、校内どころか全国的に評判になり、三日で視聴回数10万回を超え、またまた優奈が目立つことになってしまいました。

 全員が薄青色のジャージ服姿なのだから左程目立つわけもないのですが、比較的解像度の良かった映像は、優奈が美少女であることを十分にわからせてしまったのです。


 名前などは無論公表されるはずもないのですが、ジャージの色、胸の校章から神城高生であると知られ、その翌週から学校の周囲に高性能のデジカメを持った不審者が目立つようになりました。

 因みに、優奈はそれらの不審者を避けるように専ら裏道ルートで登下校しているのです。



 その一方で優奈たち陸上部員はインハイの地区予選に向けてがっつりと強化・鍛錬モードに入っていました。

 陸上部がグランドを主に使える日は週に2日だけ、水曜日と金曜日だけであり、それ以外の日は野球部、サッカー部、ラグビー部の練習の合間を縫って空きスペースでちまちまと練習をしているのです。


 走る方はグランドの隅やロード練習で何とかできるのですが、走高跳などは厚い緩衝材を敷かねばならず、投擲競技は基本的に危険ですので他の部が主に利用している中では難しいのです。

 神城高からほど近い王子おうじスポーツセンター補助競技場を何とか借り受けできたのは、例年通り4月末からのことでした。


 他の団体と共用利用が原則で、必ずしも専用ではないのですが2週間だけ借り受けて、ある程度自由に使えることになっているのです。

 このために、優奈は初めて七種競技を通しで練習することができるようになりました。


 王子の補助競技場は、本来の陸上競技場ではないので一周のトラック距離は200mほどですが、走り幅跳びと走高跳ができる砂場があり、槍投げもできるのです。

 七種競技ではないそれぞれの競技種目の選手と共に練習を始めた優奈に、周囲がすぐに驚くことになりました。


 三年生の高橋美幸がいみじくも指摘した通り、優奈の100mH、200m、800mのタイムは尋常ではなかったのです。

 計時を行う部員が、まさかと目を疑うようなタイムを出していたのです。


 三種目すべてに優奈は日本記録や世界記録を縮めるタイムを出していました。

 走り幅跳びも踏切位置を変更しなければならないほど距離を出していたのです。


 砂場の端付近まで飛んでしまうのでは踏切位置を変えざるを得ませんよね。

 男子の記録を上回る飛距離ともなれば上級生といえどもビビってしまうことになります。


 走高跳は、橋本恵理子先輩が跳ぶのに苦労している150センチを楽々クリアすると、10センチずつ高さを上げて行ったのです。

 190センチの大台を簡単に超えた時は誰しもが言葉を失っていました。


 投擲とうてき競技の結果も凄まじいものでした。

 砲丸投げは普通のクラウド投法のフォームで10mを超える飛距離を出していたのですが、そのうちに女子では試す者が居ない回転投法を始めたのです。


 一週間のうちに何度かフォームを変えながら優奈が最後に行き着いたのは二回転半して投擲する方法でした。

 これにより、非公式ながら優奈は重さ4キロの鉄球を14mほどまで投擲できるようになっていたのです。


 圧巻は槍投げでした。

 槍投げの合田淑子先輩が見本とばかりに600グラムの槍を30mほど投擲した直後に、見よう見まねで優奈は60mほども投げてみせ、部長たちを焦らせたのです。


 補助競技場は狭いので、投擲用の走路は設置されておらず、止むを得ず、トラック内側に走路を設定して投げさせているのですが、合田淑子ならば間違いなく届かない位置にまで優奈の槍が届いてしまい、まっすぐ投げても反対側のトラックにかかる恐れが出てきたのです。


 高校生で60m級の槍投げを披露できるのは男子でも非常に限られます。

 兵庫県内では槍投げで50mを超えることのできる男子高校生はせいぜい一人か二人なのです。


 フィールド内に助走距離の走路をとって飛距離が60mを超えると、そこからでは100mに満たない反対側カーブ周辺のトラックが危険区域になるのです。

 結果として優奈の槍投げは一日6本だけとし、その間は全員が練習を中断することになってしまいました。


 副部長の矢島佳那は、部員が計測した非公式記録から概算の点数を割り出して恐ろしくなりました。

 これまでの日本記録は6000点に届いていないのですが、優奈の記録は計時誤差を見込んだラフな計算でも8000点台に到達する可能性があったのです。


 因みに女子の世界記録でさえ8000点に満たないのです。

 ただ、この分で行けば間違いなく優奈はインハイ地区予選で超目玉になってしまうだろうことが予想できました。


 佳那は部長の島田浩二とも相談して顧問の教諭に報告し、陸上部OBとも連絡しつつ対応策を練ってもらうことにしました。

 間違いなく注目を浴びるのがわかっているのに無防備、無策なのは部としても後々困るからです。


 こうして神城高陸上部の本格的部活動は5月の初頭から波乱含みで始まったのです。

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