第2章 僕と父と父の遺産

父の呼ぶ声

第25話 生徒会は認めない

 葛原飛鳥が祖父の部下たちとひと悶着を起こしたその日の正午。

 神武学園の生徒会専用校舎にある通称「裁判所」に3人の生徒が呼び出された。


 所属する美術部で不正を働いていると糾弾された卑怯者、星野桃子。

 授業中に他のクラスに乱入して2人の生徒に怪我を負わせ、授業をめちゃくちゃにした不良の葛原飛鳥。ちなみに怪我をした生徒2人はなぜか退学処分。

 そして、入学式から遅刻を続け、今もなお授業に参加しない恐怖のサボり魔、衛藤遥香。


 神武学園の風紀を乱し、学園にふさわしくない人間性を持つこの3人をどうするのか決定を下すのも、彼らと歳が変わらない同じ学園の生徒である。

 すべてを生徒に一任することが神武のやり方であり、信念だった。


 とはいえ、これくらいの「騒ぎ」で生徒会の重役はやってこない。

 生徒会長の花岡修司はなおかしゅうじも、副会長の長崎玲香ながさきれいかも不在。 

 飛鳥達の処遇は、一年学長、藤ヶ谷剛ふじがやごう、ただ一人に委ねられた。

 3名とも同じ1年生だから、1年生だけで処理しろということだ。


「ふむ……」


 大量の資料をすらすら読んでいく藤ヶ谷。

 1年生で最も社交的、かつ、面白いと称される男。

 ただ顔だけが残念なんだよと最後に付け足して笑いを誘うのがこの人の得意技。


 その体から顔のパーツまですべてが丸く、まるでゆるキャラみたいな風貌だが、実態はとても利発で、いずれは生徒会長になるだろうと目されていた。


「なるほどね。うん」


 本当に読んでいるのか疑うくらいの速読をこの場にいる全員が見守るだけの時間。

 衛藤遥香は眠そうにあくびを連発し、星野桃子は自分がどうなってしまうのか怖くてそわそわ。

 そして飛鳥は一人の女子生徒を複雑な顔で見ている。

 

 生徒会の歌川美咲だ。

 両目を閉じ、口を真一文字に結んでいる。

 

 あれだけの騒ぎを起こしたのだから怒らせて当然とは思うが、目も合わせてくれないというのは、相当に嫌われたようだ。


 怖い思いをさせたし、無理な動きで彼女の体にも触れてしまった。

 申し訳ないことをしたと胸を痛めるが、飛鳥は思い違いをしていた。

 

 飛鳥の容姿が美咲にドンピシャだったため、見ればドキドキしてしまうのを避けようと、必死で精神統一を図っているだけだった。


 落ち着きなさい美咲。私は生徒会役員。私情を捨てるの。彼は被告人なのよ。

 と、心の中で自分を叱咤しているらしい。


 そしてもう一人、重要な人物がいる。

 新藤青。

 ドリトルの調査員として神武学園に潜入している彼女も実は飛鳥と同級生であり、生徒会の書記でもあった。


 壁に掛かった時計を見つめる新藤。

 普段はつけていない伊達眼鏡をキラリと光らせる。

 

「学長、時間です」


 資料を読み終え、これからどうすべきか考え込んでいた藤ヶ谷が夢から覚めたように背筋を伸ばした。


「わかった。結論から言うね」


 藤ヶ谷は一人一人の顔を見ながら丁寧に話しかける。


「星野桃子、葛原飛鳥、両名は空組そらぐみへのクラス替えを命じる」


「そ、そんな……」

 がくっと崩れ落ちる星野桃子。

 その横で飛鳥はハルに囁く。


「空組って何?」

 

 その純粋な眼差しにハルは呆れる。


「やっぱりあんたはお坊ちゃんね……」

「……む」


 世間知らずと思われるのが一番嫌なのである。

 ほんとのことだから。


「で、衛藤遥香に関しては特になし」


「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 まさかの無罪放免に歌川美咲は立ち上がって猛抗議。


「あれだけ遅刻と授業放棄を繰り返して処罰無しはおかしいです! 他の生徒に示しがつきません! 彼女があれなら自分もと言い出す生徒だって……!」


「無駄よ、むーだ」

 勝ち誇るハル。舌を出して美咲を煽る。


「いい加減、私に構うのは止めて。偽善アレルギーで肌が荒れちゃう」

「くっ……」


 この二人、実は犬猿の仲だった。

 ハルを矯正したい真面目な美咲と、そんな美咲を優等生ヅラした偽善者と罵るハル。仲がいいわけがない。


 にらみ合う二人を冷静に見つめる藤ヶ谷。

 生徒の自主性が尊重されるがゆえにいざこざが頻発する神武学園なので、これくらいの揉め事で戸惑うことはない。


「この際だから俺もぶっちゃけるけど、美咲ちゃんの言ってることは正しいよ。遅刻はだめ。サボりもだめだ」


「僕もそう思います」

 

 空気も立場も読まずに口を挟んでしまう飛鳥にハルはぎょっとする。

 

「あんた……。どっちの味方よ……」


「ハルちゃんだよ」


 飛鳥は即答する。


「ハルちゃんが大事だからそう思うんだ」


 どストレートな物言いにハルは不意を打たれ、赤面する。


「そ、そういう言い方は止めて……」


 世にも珍しい衛藤遥香の動揺を見て藤ヶ谷は目を丸くする。


「君ら、そういう関係?」

「ちがうわよっ!」


 カッとなったせいでハルの魔力が放出され、窓ガラスに亀裂が走った。


 発動機レガリアも起動せずにここまでしてしまうのはやはり常人ではない。

 皆が呆然とする中、新藤青だけは冷静に衛藤遥香を見ていた。

 

「ね、歌川さん。この力だよ」

 

 藤ヶ谷は優しく美咲を諭す。


「知っての通り、この子は卒業したら外務省の海外魔法協力機構に配属されることが確定している」


「……!」

 

 飛鳥は絶句した。

 魔法協力隊といえば、魔法使いが目指す最高のゴールの一つだ。

 

 凄い、凄すぎる。


 驚く飛鳥を見てハルは得意げだ。

 

 その一方で藤ヶ谷は歌川美咲にトドメを刺す。


「高卒で魔法協力隊に配属なんて史上初だ。大名誉だよ。そんな子を神武が手放すわけないだろ? あの衛藤遥香は神武の卒業生だって実績があればいいんだ。サボろうが怠けようが卒業してくれればよし。わかるよね。彼女は俺たちじゃどうにもできない高い所にいる。手を出すべきじゃない。諦めるんだ」


「うう……」

 唇を噛む美咲。

 悔しそうにどかっと椅子に腰掛けるが、誰にも聞き取れない小さな呟きを飛鳥だけは聞き取ってしまう。


「それじゃ見捨てるのと同じじゃない……」


 確かにその通りだと思った。

 美咲さんは優しい人だ。ハルを気遣っている、心配している。


「さて、次は星野さん。君にもぶっちゃけちゃうけど」


 藤ヶ谷は資料を桃子に突き出す。

 学校の屋上から見た町並みが超精密に描かれたデッサンだ。

 ほとんど写真にしか見えないリアルさに飛鳥はうわああとデッサンに食らいつく。


「すごい……。まるでモノクロの写真だ……」


 だよねと藤ヶ谷も頷く。


「これはもう手書きのレベルじゃない。看板に書かれた文字までくっきり書いてあるし、道路を走ってる米粒みたいな車のナンバーまで書いてある」


 高性能ルーペで絵を拡大してようやく文字が見えるほどだった。


「君がいくら精密スキルを持っていたとしてもここまでは描けない。トレースしているどころか、魔法器具を使ったんじゃないかって俺は思ってるんだけど」


「そんな! 私は無罪でありますよ!」

 

 桃子の声は怒りで震えている。


「これは私が鉛筆一本で仕上げた立派なアートでやんす!」


「やんすって……」

 困惑する藤ヶ谷。


「あんたらみたいな素人にはわからんのです。この超絶技巧が」

 

 胸を張る桃子だが、黙ってみていたハルが口を滑らせる。


「あなたを訴えたの同じ美術部の連中でしょ。素人どころか玄人にもわかってもらってないじゃん」


 痛いところを突かれた桃子は顔から湯気が出るくらい興奮する。


「なんで傷口に塩を塗るようなことするんです、仲間じゃないんですか?!」


 はあ? と首をかしげるハル。


「他人でしょ? たまたま同じ日に捕まっただけじゃない」


 あああとムンクの叫びみたいなポーズをする桃子。


「なんと無慈悲な……、信じていたのに……」

「何をよ……」


「なんか面白くなってきたけど時間ないからまとめるよ」

 

 パンパンと手を叩いて皆の注意を引く藤ヶ谷。


「星野さん、当然君にも無罪を証明する権利がある。方法は簡単だ。この場で絵を書いてくれればいい」


「む」


 さあと両手をひろげる藤ヶ谷。


「この部屋全体でもいいし、ここにいる誰かの似顔絵でもいいし、なんでもいいから書いてくれないかな」


「嫌です」

 桃子は即答する。


「私は鶴の恩返しの鶴でありんすから」


 思わぬ表現に衛藤遥香は吹き出し、それ以外の面子は驚き戸惑う。


「見せたくないっての? 参ったな……」


 頭をかく藤ヶ谷に変わって美咲が念を押す。


「星野さん。それは嫌疑を認めることだとわかってるのよね?」


「ふん」


 星野は完全にふてくされた様子。とはいえ黒いゴーグルで顔半分を隠した少女が腕を組んで立つ姿はまるで変身ヒーローのようにかっこ良かったりもする。


「私はただ千歳具現せんざいぐがんを待つだけっす」


 これは伊藤若冲という江戸時代の天才絵師が、俺の絵は千年後じゃねえと理解されねえよと言った逸話からとっている。


「……じゃ、そういうことにしとこう」


 藤ヶ谷は桃子から視線を飛鳥に移した。


「さて、葛原くん。君には今日一番のぶっちゃけをしないとね……」


 一年学長はふうっと大きな深呼吸をしたあと、ゆっくりと口を動かした。

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