第5話 心をへし折られるとき
一度コツを覚えてしまえば、こんな簡単なことが今までなぜできなかったんだというくらい、魔法がスラスラ使えるようになっていく。
物体の浮遊、移動、回転といった、小学校六年間で学ぶ技術はおおよそ三日でマスターした。
幼稚園児がトラックを軽々浮かせられる時代にこれくらい当然のことだが、今までの反動から飛鳥は調子に乗った。
このペースで行けば半年くらいで授業に追いつける。
優秀な成績を残せば祖父の許しを得て屋敷に戻り、家族一緒に暮らせるはず。
そんな妄想をしてはニヤつく日々を過ごしていた。
下校の時も無駄に
飛鳥のベルエヴァーがその力を失った瞬間を待っていたかのように、飛鳥の前に三人の男が立ち塞がった。
「……!」
「よう、無能くん」
三人とも見覚えがある。
飛鳥への敵意を隠そうとしない奴らだ。
特に中央にいる巨漢の渡辺一郎は廊下ですれ違うたびに暴力を振るってくる。
悪い大人と付き合いがあると噂されるくらいの不良で、飛鳥だけでなく、気に入らない人間は徹底的に暴力で痛めつけてきた奴だ。
入学当初は葛原のネームバリューを恐れて何の干渉もしてこなかったのに、飛鳥が追放されたと知るや、待ってましたとばかりに飛鳥を暴行し続けていた。
飛鳥は彼に会わないよう常に気をつかっていたが、今日に限って運悪く出くわしてしまった。
いや、今回は渡辺が飛鳥を出待ちしていたのだ。
「最近やけに機嫌が良いじゃねえか」
凶暴な笑みを浮かべながら渡辺が迫ってくる。
無意識に後ずさる飛鳥。
「いいもん手に入れたそうだな。え?」
その目はベルエヴァーに注がれている。
「それが欲しいって人がいるんだ。俺、その人に世話になっててさ、取ってこいって言われてるんだよ。だからよこせよ。な?」
絶対に渡すつもりはない。
ただ恐ろしさで声が出てこないから首を激しく振ることしかできない。
しかし、拒絶したところで引き下がる連中ではない。
渡辺はもちろん、他の二人も格闘系の魔術を使うから力で勝てるはずがない。
奴らはベルエヴァーを奪い取ろうとしているのだ。
飛鳥は背を向けて逃げだそうとした。
しかし背後に見知らぬ男たちが三人、待ち構えていた。
敵意に満ちた眼差しでゆっくり近づいてくる。
前に三人、後ろにも三人。
逃げ場がない。
これは計画的な強盗だ。
飛鳥の帰宅ルートにある人通りの少ない路地裏を待ち伏せ場所にして、しかも
助けてと叫んでも誰もいない。
「行け」
渡辺の声とともに、二人の男が同時にタックルを喰らわしてきた。
なすすべなく地面に押さえつけられる飛鳥。
「やだっ! やめろっ!」
のたうち回っても二人の大男にのしかかられて逃げられない。
誰かに左腕をつかまれる。
手首に巻かれたベルエヴァーを剥ぎ取ろうとしているのだ。
「離せっ!」
これだけは奪われるわけにはいかない。
必死で抗う。
そしてベルエヴァーも高性能ぶりを見せつける。
防犯装置が作動して、飛鳥の体に触れていた三人の男たちに激しい電気ショックを浴びせたのだ。
うぎゃっと悲鳴をあげ、三人は同時に気を失って倒れる。
「なんだあ?!」
苦しむ飛鳥を見て笑っていた渡辺も思わず驚く。
チャンスだ。
飛鳥は男たちを押しのけ、立ち上がって逃げようとする。
しかし渡辺はすぐさま自身のレガリアに火を入れた。
「気弾! 飛べ!」
短い詠唱とともに、渡辺の手から衝撃波がくりだされ、飛鳥の背中を容赦なく打ちたたいた。
「あああっ!」
あまりの衝撃に三回ほど地面を転がった。
頬や手のひらから血が流れる。
痺れるような痛みが全身を包み、動けない。
魔法で人を攻撃することは立派な犯罪行為なのだが、渡辺はなぜかその件で追求されたことがない。
どうやら父親が偉い役人だそうで、その権威を傘にしているようだ。
いつもなら地面に倒れた飛鳥を何度も蹴りつけるのが渡辺のお得意コースだったが、今回はベルエヴァーを奪うという確かな目的があったため、飛鳥の体を痛めつけることはしない。
ただ、自由を奪う気はあったらしい。
「おめえには似合わないブツなんだよ」
簡単な浮遊術で飛鳥の頭からヘッドホンを外す。
「や、やめて……!」
今日に限っていつもより強い風の音が、ナイフのように頭の中をグサグサ刺す。手で耳を塞いでも飛び込んでくる音は防げない。
「とどめだ。打ち上げろ!」
渡辺の両隣にいた男たちがニヤつきながら飛鳥に向かって手をかざす。
奴らが何をしようとしているのか、飛鳥は瞬時に理解した。
「やめて、お願い……」
男たちの口が動く。
火花。火花、火花と。
飛鳥の頭上に光る真っ赤な炎。
花火のように次々に炎が打ち上がる。
頭の中で大きな石が暴れ回る感覚。
一つ一つの花火が大きな音を出してはじけるたびに、飛鳥は悲鳴を上げた。
それを見る渡辺達は腹を抱えて笑っていた。
やがて目の前が真っ白になり、飛鳥は気を失った。
それは数分程度のこと。
誰かが飛鳥の頭にヘッドホンを戻してくれたようで、どうにか目を覚ました。
左手に巻き付いていたベルエヴァーがない。
「くそ……」
ただの便利な道具を盗まれたわけじゃない。
魂を持っていかれたのだ。
「なんでこんな……」
地面に倒れたまま、飛鳥は悔しさと惨めさで泣き続けた。
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