第16話 (ライアン視点)
「……ライアン?」と名前を呼ばれて、そこにいるのがソフィアだと再認識する。
――何でここにソフィアがいるんだ。
……それにしても、服が……。
俺は彼女をつま先から頭までじっと見た。ソフィアは薄い黄色のワンピースを着ていた。
……可愛いな……。
思わず、再度彼女の足元から頭へ視線を走らす。
……いや、似合ってるな……、
もう一度下から……、
「ライアンじゃないか! そんな恰好で街をお忍び散策か? いつもの恰好なら目立たないだろうに」
沈黙をレオの声が破った。
……こいつがいるのを忘れてた……。
俺は兄弟子を睨んだ。
「レオ。何でソフィアとあんたがここにいるんだ」
「何でって、魔法薬の納品だよ。ソフィアもやることなくて暇だろうと思って誘ったんだ」
思わずぴくっと眉が動いたのが自分でもわかった。
ソフィアって……、何でこんな急に親し気なんだよ。
妙にいらっとして、俺はソフィアをじっと見た。
「ソフィア、あんた、またちょっと知っただけのやつの馬車に乗ったのか? そのせいで殺されかけたっていうのに、懲りないな」
「……殺されかけたぁ?」
レオがびっくりしたような顔でソフィアを見る。
「ああ、俺がソフィアに初めて会った時、酒場で奢ってもらったとかいう追剥の馬車にほいほいついていって、身ぐるみはがされてたところ……」
俺の説明を遮るように、ソフィアがつかつかと俺のところににじり寄ってきた。
「あれとこれとは話が違うでしょう! レオが誘ってくれたから一緒に来させてもらったのよ!」
「だいたい」と彼女は言葉を荒げた。
「あなたが私を放ったらかしにしていなくなってしまうから、ご飯をどこで食べたらいいかもわからなかったわ。レオが教えてくれたから助かったけれど」
俺は言葉に詰まって、「……それは悪かった」とぼやいた。
確かに、自分で研究所に連れて行って放置してしまったのは悪かったけど……、それにしても「レオ」って、やたら1日そこらで親しくなってないか?
「べ別に謝ってくれなくてもいいんだけど……」
ソフィアは気まずそうに髪をくるくると指に巻いた。
……仕草がいちいち可愛いな。
俺は自分の頭を押さえた。
ちょっと待て。
さっきからのこの感情の振れ幅はなんだ?
「例えばだ、彼女が別の男と親しくしていたら不満に思うとかは、ないのか」
兄上の言葉が頭をかすめる。
――まさしく、それじゃないか。いや、本当に。
俺はソフィアとレオを見比べた。
――仮に、相手がレオじゃなくても、ソフィアが街中で他の男とこの格好で楽しそうに食べ物を分けて食べていたら……嫌だな……。
これは、つまり、俺はソフィアに好意を持って――いる。
「ライアン?」
ソフィアに顔を覗き込まれて、頭に血が昇った。
「いや、その、いや」
そうぶつぶつ呟いていると、俺の後ろから声がした。
「ライアン様……、今、ソフィアとか言ってらっしゃいました?」
これは、すっかり忘れていたアリスの声だ。
置いてったのに追いかけてきたのか?
ソフィアの目が大きく見開かれる。
一方で、アリスも目を大きくして俺とソフィアを何度も見比べた。
「……もしかして……お姉様……?」
深く眉間に皺を寄せて、アリスがそう呟くと、ソフィアもぱくぱくと口を動かした。
「アリス……? あなた、どうしてここに?」
しばらくの沈黙の後、アリスはにっこりと笑顔を浮かべて俺に駆け寄って腕をとった。
「それはこちらが聞きたいくらいですわ、お姉様! 私はライアン様との婚約のお話のために来たんですよ」
ねえ、と彼女は俺を見上げる。
「ライアン様……お姉様のことを知っていたんですの? どうりで……色々聞いてくると思いましたわ」
腕を抱き寄せられた俺は慌ててソフィアの方を見た。
ソフィアは何故か顔を曇らせて小さい声で呟いた。
「婚約……そうよね……」
俺はレオを見た。兄弟子は肩を持ち上げてため息を吐く。
この感じは俺の身分をソフィアは知っているな。それで、姉だったら妹と俺に婚約話があることも知っているか。
だけど、何で顔を曇らせている?
――もしかして俺と同じ心境とか?
ソフィアも俺がアリスといるのが不快に思っている?
「そう、黙っていたが、実は知り合いで……」
俺は別のことを考えながらアリスに説明しようとしたところで、ソフィアが口早に言った。
「家を出たところ、偶然会って助けてもらったの。ライアンは魔法使いだから、ちょうど山奥で修行してて――それだけよ」
「それだけ……」
俺はその言い方に少しショックを受けて復唱した。
いや、俺たち、色々あっただろう。
不味い魔物肉の鍋を分けて、その後、一緒に燻製作って、食べて、魔物捕まえて、食べて……。
「家に戻る気はないけれど、生きているわ。――お父様とお母様に伝えておいて」
ソフィアはそう言うと、俺たちに背を向けて広場の向こうへ歩き出そうとする。
「ちょっと待ってくれ」
俺はアリスの手を振りほどくと、ソフィアの手を捕まえた。
彼女が振り返る。兄上の言葉が頭に唐突に浮かんだ。
『いっそ、その彼女と婚約するというのは――?』
――そうだ。
「婚約しないか」
思わずそう口走った。
「――はい?」
はっとすると、ソフィアが「何を言っているんだ」という顔で俺を見上げていた。
***
お互いに無言になってしまった。俺は口を押えて「……いや」とだけ呟いた。
いや、一足飛びすぎだろう、俺。
そう考えつつも、だんだんとそうでもないような気がしてきた。
母上や父上は俺とローレンス家の娘との結婚を望んでいて、ソフィアはその家の長女で、何より、俺は彼女に――好意がある。
領地運営云々は正直自信がないが、兄上の言う通り魔法使いと両立を考えてもいいかもしれない。
第一、通りそうになかった認定試験も、ソフィアに偶然会ったことでどうにかなりなんだ。
彼女といれば……、色々なことを乗り越えられそうな気が……してきた。
急に前向きな気持ちが湧いてきて、俺はソフィアの肩を持つと瞳を見つめた。
「俺と婚約しないか、ソフィア」
「ちょっと……、急に……、急すぎない? ……何で?」
ソフィアが呆然と呟くと同時に、横からアリスに腕を引っ張られた。
「ライアン様! 何をおっしゃっているのです!」
彼女は整った顔をこれ以上ないくらい歪めていた。
「あり得ないでしょう! 私ではなく、お姉様!? 使用人の真似事しかできない、貴族の教養も何にもない人ですよ……! 多少痩せたからって私に方が……」
耳元で叫ばれて、俺は彼女の口に手を押し当てた。
「あんたはちょっと黙っててくれ」
「……あんた……!?」
手の下でアリスがもごもごとわめいた。……丁寧な口調なんてこの際どうでも良い。
「俺にとってはソフィアの方が可愛い。それに俺も貴族の教養はあんまりない。……気がついたんだが、俺は、あんたが好きみたいだ、ソフィア」
ソフィアが「あ」とか「う」とか呻いた。
俺は彼女の手を取ると、再度言った。
「俺と婚約しないか」
返事を聞く前に、ばんっと音がして足に痛みが走った。
アリスが俺を蹴った音だった。動じず、体制を立て直してソフィアを見つめる。
「……何なの! 何なのよ!」
その言葉を置いて、アリスは雑踏に向かって走って行った。
いつの間にやら周りに人だかりができている。
「…………しく」
ソフィアが何か呟いた。周囲がざわざわしていて聞き取れない。
顔を近づけると、耳元で彼女が囁いた。
「よろしく………」
俺の頭の中で花火が弾けた。
「じゃ、じゃあ……あんたの両親もちょうど宮殿にいるし……、行って話を……」
自分でも思っていた以上に気分が高揚して、声が裏返る。
ソフィアは俯いたまま頷いた。
俺は彼女の腕を握ったまま、宮殿に向かって歩き出した。
「ライアン」
ふと肩を叩かれて振り返ると、輪になってる人に混ざって退屈そうに片手をポケットに手を入れたレオだった。
「あ、レオ、……何か……悪いな……」
思い出して詫びると、レオはぽんぽんとまた肩を叩いた。
「そんな感じはしてたぜ。実は。……まぁ、良かったな」
俺は頷くと、王宮に向かった。
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