霊峰

春嵐

霊峰

 霊峰、というのだろうか。

 登って、そして降りて。その間に、色々なものを見てきた。そして。時間が戻った。登頂を開始する数分前に、降りた。登っている間の時間が、まるごとなくなっている。

 登っている間は、山火事と雪崩と崖に追われ続けていた。右は火の手が上がっていて、左は雪崩煙、後ろは崖。そんな感じの登山になった。

 もともと、登ろうと思って登った山ではない。麓の湖をなんとなく眺めていたら、上からちょっと焦げたひとが雪にまみれながら転がり落ちてきて。人がいるから助けてほしいと言われて。それで、周りにいた見知らぬ数人と登りはじめた。

 何人かは、崖から落ちた。残ったのは6人。彷徨さまようようにして山の小屋に辿り着き、そこでオリガという女性に会った。

 オリガは、ずっと山で暮らしていると言っていた。むかし、婚約者がこの山で行方不明になったらしい。自分も後を追うようにこの山に入って、そしてここで暮らしている。

 みんな、火と雪崩から逃げ続けて疲弊しきっていた。まだ追ってくるかもしれないから、当番は立てず全員で一気に眠るのを提案して、眠ってもらった。もはや、人を助けるという状態ではなかった。200メートルぐらいの小さな山だったはずなのに、もはや森林限界を越えてかなり高いところまで来ている感覚がある。ただ、高所独特の空気の薄さは感じられない。

 全員が倒れこんで眠っているなか、自分はひとりで窓の外を眺めていた。この景色は、もはや日本の山のものではない。外国の、それも相当な高所の景色だった。


「眠らないのですか?」


 オリガ。コーヒーが差し出される。


「本当に、ずっとここに?」


「はい。もう半年ぐらいでしょうか」


「火事や雪崩は?」


「少しだけ。命の危険を感じるほどではありませんでした」


 かなり聡明で、落ち着いた雰囲気のある女性だった。どこか達観したような雰囲気もある。

 死にたいのだろうなと、思った。この山にこもって、死を待つのか。

 気になることが、ひとつあった。


「レンジを、使っても?」


「ええ」


 窓のそばから離れ、台所へ。

 電子レンジ。

 入れて、コーヒーを温める。

 やはり、思った通りだった。携帯端末を取り出して、測る。

 台所の窓。

 なにか、光った。

 コーヒーをその場に置いて、小屋の外へ出る。銃をポーチから取り出そうとして、今は任務中ではないことを思い出した。ナイフ程度しか持っていない。

 光。

 光だった。ただの、光。しかし、電源や反射ではない、円い光。人の頭ほどの大きさ。


「これは」


 触れようとして。消えた。

 そして、引き戻される。

 匂いで、女性だとわかった。一緒に登ってきた女性。ふたり。


「今の光は?」


「光?」


 見ていないようだった。それよりも、光が見られるのをきらったような動きをした。

 女性ふたりをなんとかしてなだめ、オリガを連れて山を降りることにした。

 強引にでもオリガを降ろす予定だったが、あっさりとオリガは下山に応じた。

 小屋を出てすぐに。山火事と雪崩と崖。絶望的な状態。崖の端まで追い詰められた。


「全員。シートや身体を覆えるものを使って、ここから飛び降りろ」


 そう、指示した。断崖の下は、見えない。

 ひとりずつ、あきらめたように飛び降りていく。オリガ。火と雪崩のほうに突っ込もうとしたので、抱いて引き戻し、崖の下に落とした。

 そして、自分も飛び降りる。そして、落下しながら時間を数える。200メートルの降下なら、何秒か。

 すぐに湖。飛び込んだ。時間は、5秒にも満たない。怪我するほうが難しい高度。他の人も、全員無事らしい。

 すぐに湖から上がり、通信が回復した携帯端末で緊急連絡。すぐに哨戒機からパラが降下し、崖下に落ちた人間を全員救助した。


「ひとり、いないな」


 最初に助けを求めた、雪まみれで焦げていた人が、いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る