第55話 いつも押してるから引いてみた

「ねえねえ、莉斗りと君」


 6時間目後のショートホームルームが終わってすぐ、彩音あやねがニヤニヤとしながら話しかけてきた。

 そんなに面白い話でも持ってきたのだろうか。莉斗がそう心の中で呟きながら振り向くと、彼女はいつもは持っていないカバンを見せてくる。


「今日、このまま泊まりに行ってもいい?」

「え、泊まる?!」

「ちょ、声大きいよ!」


 慌てて彼の口を塞ぎ、周囲の様子を伺った彩音は、誰もこちらを見ていないことにホッとため息をついた。

 それから『ちと屈め』とジェスチャーをすると、莉斗の耳元に口を寄せて囁く。


「私たちの関係、秘密なんだからね?」

「わ、分かってるよ。つい、びっくりしちゃって」

「一回泊まってるし、もう慣れっこでしょ?」

「そんなわけないよ……」


 あと20回くらい繰り返さなければ、きっと平常心で過ごせるようにはならないだろう。

 彼にはそれくらいお泊まりというものに耐性がない自信があった。


「じゃあ、お泊まりはやめとこうかな〜?」

「え、それは……」

「だって莉斗君嫌なんでしょ? 彩音さん、嫌がることはしたくないからなぁ」


 莉斗からの言葉を引き出すために、あえてそんなことを言っているのはバレバレ。

 しかし、分かっていても不安にはなるもので、彼は立ち去ろうとする彼女の姿に我慢できず、気が付けば腕を掴んで引き止めていた。


「い、嫌じゃないよ?」

「いやいや、無理しなくていいよ」

「無理してない。来て欲しいから……」


 彼の言葉に彩音は頬を緩める。ここまで言わせてしまえば、あとは手のひらで転がすだけ。

 今の莉斗になら何を命令したとしても、泊まりに行くことを条件にすれば聞いてくれるだろう。


「じゃあ、ちょっと向こう行こっか」


 彼女はそう言って彼を教室から連れ出すと、この時間帯の人通りがほとんどない場所まで連れて行った。


「3回まわってワン」

「はっはっはっ……ワン!」

「よく出来ました、えらいえらい♪」


 まるで飼い犬を愛でる時にするように、わしゃわしゃと両手で撫で回す彩音。

 もはや完全に忠犬と化してしまった莉斗は、そんな彼女に差し出された人差し指をじっと見つめた。


「莉斗君、舐めて?」

「……?」

「お泊まり、しないよ?」

「っ……あむっ」


 ただの人差し指、されと人差し指。その細くて綺麗な指は、一瞬の間に莉斗の口内へと飲み込まれる。

 そして彼は命令通り舌を動かし、丁寧に丁寧に指全体を綺麗にしていく。その間、彩音は悩ましい声を漏らしながら体を反応させていた。


「はぁはぁ……。莉斗君、もういいよ」


 十分満足した彼女はそう言って莉斗犬を離れさせるが、彼は「くぅん?」と寂しげに鳴いて何かを伝えてくる。


「もっと舐めたいの?」

「……」コクコク

「じゃあ、続きはお家にしよっか♪」

「わん!」


 彩音は喜ぶ莉斗犬の首を優しく撫でてあげた後、「賢いわんちゃんにはご褒美も待ってるから、ね?」と呟いて舌なめずりをした。

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