現在Ⅱ『明白な痕跡』
私は腹立たしい気持ちを抑えながら、アナのもとに向かう。一方、アナは何故か興奮した様子で「早く来て来ておねえちゃん!」と私を急かす。
もしくだらない理由・・・例えば、冷蔵庫の食材を見ながら「これ美味しそうだから帰りに同じの買おうよ!」とでも言うものなら、ぶっ殺してしまおうと心に誓った。
「おねえちゃん、これ見て!」
アナが冷蔵庫の中を指さす。
やはり想像通りかと思ったが、しかし、指さすところにあるのは、アナが好きそうな派手な色のスイーツや上等な霜降り肉なんかではなく、ただの平凡なスーパーの袋だった。
「・・・コレが何なんだよ。ただのビニール袋だろ」
「いやいやおねえちゃん、この中を見てよ!」
言われた通り見てみると、中にはジンジャーエールが六本ばかり入っていた。例のごとく博士の好きな銘柄のジンジャーエールだった。
「・・・これは私が今日買ってきたやつじゃないのか?」
アナは違う違う、とかぶりを振った。
「おねえちゃんが買ったのはこっちだよ」とアナは左手に持ったビニール袋を見せてきた。
アナの動きに合わせてジンジャーエールがガチャガチャと擦りあう音を鳴らした。なるほど確かに私が買ったものだ。それに四本セットを買ったから、六本もあるのはおかしい。
「つまり誰かがすでにジンジャーエールを買ってきているのよ!」と鼻息荒く言う。
「・・・くだらない。どうせライカが買ってきたんだろう」
博士の飲むジンジャーエールは全てライカが用意する。
博士は水やお茶なんかよりジンジャーエールをよく飲むので、頻繁に補充をしなくてはいけないということは知っていた。
「いいや、ライカさんの性格を考えてみて。あの人がこんなに雑にビニール袋ごと冷蔵庫に突っ込んだりしないよ。あの人は部屋も完璧に清掃したがる几帳面な人なんだから」
私は、んん、と少し唸った。
アナの言うことは大概くだらないが、今回だけは少し説得力があった。言われてみれば確かに、ライカというやつはそんな感じの人間だ。ビニール袋ごと冷やすような大雑把な性格ではない。
私は一先ずビニール袋をジュースごと取り出して観察をすることにした。ビニール袋に印字されている店名は、珍しくもないどこにでもあるスーパーのものだった。そして袋の中には例のジンジャーエール。これも珍しくはない。このスーパーでも取り扱われていてもおかしくはない。ジュースのラベルもこれといった違和感は無い。
それと、あとは支払いの時に貰ったであろうレシートぐらいしかないが・・・。
「「・・・・・・って、レシートだ!」」
私とアナは同時に声を張り上げた。私たちは頬と頬がくっつきそうになるほど密着しながら、食い入るようにレシートの文字を頭から読む。
「おねえちゃん、これ隣の県のスーパーで買われたんだよ・・・」
アナがごくりと唾を飲み込んだ。
アナの言う通り、レシートに記載されてあるスーパーの所在地は、隣のY県の住所であった。私は急ぎ足で再び博士のもとへ戻った。
「おい!」
「ん?まだ何かあるのかい?」
すでに作業に戻っていた博士が、露骨に面倒くさそうに返事をした。
「ここに最近誰か来たか?」
「・・・最近?」
博士は作業を止め、目線をあげて記憶を遡っている。
「・・・特に私でも知っている奴だ。答えろ、早く」
「んー。ああ、昨日来たな・・・。そういえば」
「・・・誰が来たんだ?」
私は焦る心を抑えながら、平静を保とうと努める。
「・・・それは教えられないなあ。なぜなら、僕には守秘義務があるからね」
「・・・なんだって?お前が教えられないのは奴らの居場所と検査の日程だけだろうが!ここに誰が来たかなんて隠す必要はないだろ!」
「駄目だ。なぜなら僕には守秘義務があるから」
博士はキッパリと繰り返した。
「・・・守秘義務、だと?」
「守秘義務」
「そんなもの」
「守秘義務だ」
そして会話が途切れた。
私は言葉を失った。
いや正確には、ある疑念が心の中で渦巻いたせいで、言葉が紡げなかったのだ。
博士が頑なに拒否をしていることに明らかに違和感があった。
博士は別に口が軽いわけではないが、ここまで強く拒否するのは私が知る博士の性格上、ありえない。
飄々としていて、研究以外は不真面目な男だ。ライカに言われたことさえ、まともに聞かない男だ。誰かの秘密なんてものを意固地になって守るような男じゃない。
おまけに機械のような単調な会話の繰り返し。それはまるで人為的に思考を縛っているような感じがする。そうして私は思いついた。
こいつは――――『洗脳』されている、と。
思えば、私を阻んだあの精神プロテクトも変だ。
ライカに守られていると言ったが、それもどうも嘘くさい。
基本的に超能力を使いたがらないライカが他人の思考を、ましてや身近にいる博士の思考を縛ったりするとは考えにくい。
だから、あの精神プロテクトは他の精神系の能力を持った誰かが、博士を洗脳した際に一緒につけたに違いないのだ。推測だが、それは恐らく昨日来た奴がした可能性が高い。
「・・・精神系の超能力・・・思いつくのは一人、だけだな」
「アナ、行くぞ」と私はすぐにアナを呼んだ。
「え、もういいの?何かわかったの?」アナは驚いた様子で駆け寄ってくる。
「・・・ああ、もう十分だ。それより時間が惜しい。さっさと行くぞ」
「・・・ふうんそうなんだ。よくわかんないけどおっけーれーす。博士、アナたち帰りますねー!」
アナが大きく手を振りながらそう言うと、呆気に取られた様子の博士は、作業をしながら「何だったんだ?」と小首をかしげていた。
「・・・それで、どこ行くの。おねえちゃん」
バス停までの道すがらアナが尋ねてきた。
「・・・取りあえずはレシートに書かれてあるスーパーに行く」私はさっきのレシートをひらひらと振りながらアナに示した。
「じゃあ今からY県まで行くのね。やったあ、おねえちゃんと旅行だ!」
「・・・んなものじゃないよバーカ。これは開戦の狼煙みたいなもんだ」
「・・・のろし・・・?」
「準備が出来ました。さあ、戦いましょう。っていう合図だよ」
アイツのな、と付け加え、私はあの日のことを想う。
あれから一年の時が経つけれど、私の中の時は止まったまま、一向に進んでいない。
そう、あの日から、私は一つも前になんか進んでいなかった。
そして今日、ようやく凍った時が動き始めようとしていた。
私は息を吐く。そして呟く。
「・・・まだお前が憎いよ、ハル」
その言葉にあの日の憎しみを乗せて、全てが始まった一年前を思い出す。
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