栽培 INN
晴れ時々雨
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宿泊したビジネスホテルの床にコンタクトレンズを落としてしまった。私は拘りのハードレンズ愛用者なので代わりの物がなく、眼鏡は寛ぎ用の土瓶の底のようで嫌だから、年代をぷんぷん匂わせるカーペットに這いつくばって探すしかなかった。均衡を取るため紛失した方の目を閉じて床と視線を平行に近くする。寛ぐというより寝るためだけの室内はほぼベッドで占められていて歩き回るようなスペースがなく、そしてそこには見当たらなかったので必然的にベッドの下を覗くことになる。ホコリが全体的にうっすらと積もったベッド下のカーペットに微細な突起があった。あなやと思ったが確信が持てず、思わずつぶった目を開けるもレンズ入りの方とのギャップが酷く見失ってしまった。
振り出しに戻る。一先ず健在なレンズを眼球から外し、土瓶底眼鏡にかけ直して再びベッドの下を覗いた。
そこには土が盛ってあった。
平らに見えていたベッド下のカーペットはそこだけ実は土で、その中央辺りがでこぼこしており、その上に探し求めていた私のレンズ君がいた。すわ、とすかさず手を伸ばし指先にくっつけて取ろうと指で優しく押すようにするとその部分に意外な弾力性を感じ、はて、と思う。
レンズを割らないよう注意を払いつつおかしな感覚を確かめるためにその部分を繰り返し押した。
ぶにゅぶにゅしている。
するともこりと土が隆起して、指との間に挟まったレンズが割れそうな雰囲気を醸し出し始めたので慌てて回収した。
土が付いてはいるが洗えばどうにかなる。ハードレンズは水道で幾らでも洗えるという利点が特に気に入っている。それにしてもあの感覚はなんだったのか。レンズを反対の指に移し替えもう一度弾力を確認する。
そこはさっきよりも飛び出ていて、なんというか丸みを帯びた三国連峰みたいで、ちょっと土をどかすと、いわゆる人間の鼻だった。
峰々の麓を掴みたくて次々に土を払う。現れたのは、湿った泥で汚れた老人の顔だ。顔?おいおい。
死んでるのか寝てるのか判別がつかなかったが取り敢えず硬直はしていないようだ。半端な弾力があり続けている。ぶよぶよだ。
こちらからは老人の横顔が見えていて、鼻だの頬だの無遠慮に突つきまくった。すると鼻腔から生暖かい風が通り、乾き始めた土を吹き飛ばした。
「すまんが少々手加減をしてくれんかね」
皺の寄った口角ががさがさと動き、乾いた痰の絡んだしわがれ声を絞り出した。
お茶でも如何かと勧めると、廃トンネルに反響する亡霊のような声をありがとうと響かせ、しかし今は遠慮するよと付け加えた。
口を2、3度くちゃくちゃさせて何か喋ろうとするのでそれを一旦制止し、救出したレンズたちを保存液に漬けに洗面所へ向かった。
話に拠れば老人はここで栽培されているということらしかった。
今は顔とそれに続く上半身しか残っていないようだが埋まっている背面からいつしか伸びた根がベッド下で細胞分裂をしながら必要な水分と養分を微量ずつ吸収して延命しているという。
ほぉ〜。思わず唸った。
このホテルは客の入りが安定しており、ルームキーをさして電源を確保し室内の温度と湿度を利用して水分を作り出し土壌の潤いを保持しているようだ。よく分からないが老人曰く、なんだかうまぁくいっている、のだそうだ。さすがに光合成はしないらしい。泥を被っているが色白の方だろう。だから死人に見間違えても致し方ない。
それだと閑散期は大変ですねと言うと、まあね、冬眠みたいなもんだよとこたえる。
しばらく沈黙が流れ、何か閃いたように老人は私に聞き返した。
「何でも聞きなされ。怒ったりせんから」
そうですか、じゃあ。
「もし死亡したらどうなるのですか」
失礼かとも思ったが気になることといえばこれだし聞いてもいいと言うんだから聞いた迄だ。
「生きとし生けるものはやがて全て土くれに還るものじゃよ」
ふぉふぉふぉ、と顔周りの土をばさばささせながらどこか誇らしげだった。
さて寝るとしますか。そうじゃな。
丸出しになった老顔にほぐれた土を丁寧にかけ直し、私は年長者の上で大人しく全身の力を抜いて布団を顎まで上げた。
栽培 INN 晴れ時々雨 @rio11ruiagent
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