番外 遊びの果てに

二月二日水曜日

 俺が社会復帰のために通っている病院のデイケアで、フィットネスという時間がある。そしてバランスボールでキャッチボールをしている最中だった。

 その時ボールをとりそこなった。一瞬だけ激しい痛みを感じたが、突き指だろうとたかをくくっていた。右手の小指は紫色に腫れ、触ると痛みを持っていた。

 嫌な予感はしていたが、当日は特に治療などもする事もなく帰宅して就寝した。ボールを投げてきたYさんには、特段の悪感情は持っていなかった。キャッチボールの取りこぼしは不幸な事故くらいに思っていた。

 Yさんは少年のような成人男性だ。その半生も興味深いがここでは割愛する。病院のデイケアでマスコットのような愛すべき存在になっている。

 素朴な疑問として、バランスボールでキャッチボールなどという危険な行為をなんでしていたのだろうか?小指を怪我するまでそれほど危険だとは思ってなかったのだ。

 それはトレーニング用品であってキャッチボールの用途には適していない。それを俺は身を持って体感したのだ。まあやるもんじゃないねと。

 話を元に戻す。小指を突き指しただけで、やる気が削がれ、趣味の日記を書く事もままならず、その日は早々に寝てしまった。


二月三日木曜日(怪我の翌日)

 右手の小指は触ったら痛いので、極力小指には触れず、紫色の変色していたがなんの処置もせず、Sクリニックの訪問看護があるために、一日中自室にいて出かける事はなかった。

 痛い痛いと嘆いているばかりで、病院へ行くなどという事を思いつかない。一方で、もしこれで骨が折れていたら手術とかあるのかなとか、どのような手術になるのだろうか、術後の処置はどうなるのだろうかと考えていた。

 どれも深く考えるとノイローゼになりそうなので、一瞬で忘れ去ってしまったけれど。あとになってあの日にH整形外科に行っていれば良かったなと後悔している。


二月四日金曜日(怪我から三日目)

 朝から病院のデイケアがある日だが、H整形外科に寄って、それからデイケアに行こうと思っていた。(実際にはデイケアには行かず休んでしまったが。)それはやはり骨折していたという事が判明してのショックが大きかったからだ。

 朝一でH整形外科に行ったものの、予約外のために待たされ、診察とレントゲンが終わったのは一一時をすぎていた。診察では問診の後に「写真(レントゲン)を撮りますね」とH医師に言われた。出来上がった写真のなかで、小さく右手の小指の第一関節の骨が折れていた。ぽつんと小さく骨が浮いているような映像だった。

 見事に骨が折れていた。そうだろうとは思っていたが、骨折だったショックは大きかった。

「うちでは手術ができないので、病院を紹介します。S病院はご存知で?」とH医師。

「はい。四年前に胆石症で入院しました」と俺。

 S病院は大きく、設備も整った総合病院である。

「そうしたらK先生を訪ねてください。紹介状を書きますので待合室でお待ちください」と俺はH医師にうながされ、診察室を後にしたのであった。

 渡されたチラシを見ると、S病院のK先生の診察日は水・木の週二回。

 ああ!二月三日木曜日にH整形外科で骨折の診断をされていたら、そのまま同じ日にS病院の外来へ行けたかも知れない。そうすれば、もう少し手術の日程が早まったかも知れない。そう思うと悔しくて仕方なかった。

 心温まったのは、レントゲン画像と骨折した旨を、パソコン経由で短文投稿サイト(ツイッター)に投稿したら、お大事にという言葉をもらった事だ。「小指の骨くらいで大げさな」と俺の中にいる父親が言ってきたが無視した。


二月七日月曜日(怪我から六日目)

 骨折を理由に、病院のデイケアをサボっていた。ここでやっと風呂に入った。右手の小指に添え木をしているので濡らす事は厳禁だ。右手首から先をおおう様にビニールを二重にして、布テープで封をした。左手のみで器用によくやるねと自分で自分をほめた。

 風呂にはいつもスマホを持ち込んで、八〇年代の歌謡曲を流すなどしているのだが、右手が封印されているので音楽なしの風呂だった。右手が使えないで左手のみでシャンプーするのが不便だったが、それよりも音楽が聞けない方がはるかに不満だった。防水は完璧ではないから、なるべく右手を使いたくないのだ。身体を洗うのも左手一本では難しかった。

 一方で、短い髪型だったからまだマシなのであって、これが長い髪型だったらシャンプーが地獄になっていただろうな、なんて事も感じていた。


二月九日水曜日(八日目)

 S病院に行ったのは今回が初めてではない。四年前に胆石症で入院手術した。

 その時のお腹と背中が突き抜けるような、死を予感させるような、激しく重い痛みと吐き気からしたら、今回の俺はまるで観光にでも行く気分でいた。実際、右手の手術は胆石症で二回(腹腔内視鏡手術と開腹手術)に比べたら楽勝であったのだけれども。

 この日は検尿、血液検査、心電図、右手のレントゲン、診察と長丁場だった。右手の小指の痛みはあまり気にならなかった。ただ、待ち時間が退屈なため、苦痛に感じられた。

 病院の待ち時間があるだろうと持って行った本を読むつもりだったが、待つ事と周囲を観察する事で精一杯だった。

 K医師は人あたりのよさそうなさわやかな青年だった。似ている俳優は思いつかない。くせっ毛で眼鏡はなし、ひげもなし。丸い顔が穏やかそうな印象をうけた。神経を使う仕事だろうに、どこに元気を隠し持っているのだろうという印象をうけた。

 さっそくレントゲンを見つつ、今の症状がマレット変形(槌指)と言う事や、手術が必要な事、手術は来週の二月一五日火曜日に決まった事を説明された。命に別状がない手術なので、あっさりした印象をうけた。とは言っても、手術の危険性についての説明をするのであった。曰く血栓の危険がある、アレルギーで重篤な場合命に関わるとかで、散々脅されるのであった。俺の聞く態度がお気楽そうに見えていたのだろうなとは思う。

 俺はまず、手術の日程がすぐに決まった事に大喜びだった。今日すぐに手術はないよなあと思っていたのだ。


二月一四日月曜日(骨折後一三日目)

 手術の前日だ。PCR検査のためにS病院へ行った。

 二階中央付近にある検査室は、病院が改装される前には喫茶室だった。それに気づいて看護師に「懐かしいですね、この部屋は以前に喫茶室だった場所じゃないですか」などと話しかけてしまった。

 検査結果は無事陰性だった。陽性だったら連絡があるらしい。でも連絡がなかった。


二月一五日火曜日(骨折後一四日、手術当日)

 眠れなかった。不安だったからなのかはよく覚えてない。多分、昼間寝すぎただけじゃないかと思う。

 昼に日帰り手術だが、朝早くにおきてしまった。胆石症の手術より軽いとはいえ、手術そのものには興味津々で興奮していた。二度寝をしたりしていた。興奮ついでにエッセイを一本書いてしまった。

 手術は昼の一三時にはじまり一四時半に終わった。

 直接患部を目にすることはできなかったので、右手の小指に何が行われたのかさっぱり分からなかったが、二日後に処置した時に分かった。

 指にドリルで穴を開け、そこにワイヤを入れて指を固定するのであった。

 手術当日は「今この瞬間を余すこと無く記憶しとかないと損だ」という気分でいた。胆石症の入院手術の時は、全身麻酔で病室で気を失い、ナースステーションの隣の観察室で目が覚めたので、手術室の光景など見る事がなかったからだ。

 その気概の割には大した事を覚えてない。やたらと空気が清浄だったという事しか覚えてない。それと患者に配慮しているからだろうか、手術台が適度に暖かく、居心地がやたらと良かったことを覚えている。手術中にリラックスして眠くなったのだ。右手は麻酔され、土木工事さながらドリルで指を削る音が聞こえている。

 誰か側にいて話相手になってくれないだろうか?そのくらい暇を持て余していた。小指の骨折くらいで大げさな手術になるんだと考えていた。

 手術後に自室へ戻って、局所麻酔が切れた頃が骨折よりつらかった。手術した箇所が燃えるように熱く痛いのだ。そりゃドリルで穴を開けて、ワイヤを通してあるのだから痛くて当然なんだと思った。二日後に処置として包帯を取り替えた時に初めてそれを見たのだ。


二月一七日木曜日(骨折後一六日、手術後二日目)

 手術後はじめての包帯交換の処置日である。処置をするため病院へ行ったが、包帯をとった右手の小指から二本のワイヤがひょろりと顔を出していた。そこになんとも言えない機械と人間の一体感さ、ワイヤの無機質と小指の有機体の奇妙な融合具合に妙ちきりんな感動を覚えた。

 思わずスマホを左手に持ち、右手の手術箇所を記念撮影をしてしまった。

 正直な感想を言うとグロテスクだった。一方で自分の身体の一部だからか、異物感はあるものの愛おしいとすら感じた。


三月二三日水曜日(骨折後五〇日)

 小指の手術後三七日目。手術から一ヶ月以上が経過していた。

 ついに小指からワイヤを抜いた。抜く時は一瞬の出来事だった。痛みはなかった。考える時間を与えられなかった。抜いたワイヤは持ち帰る事もなくゴミ箱へ捨てられてしまった。胆石症の時のように小瓶に入れて戦利品として観察したかったのに。

 右手の小指には、ワイヤを抜いたばかりの穴がまだ空いているので、おおきな絆創膏を貼り、四日後まで絆創膏を取るなと厳重に指示された。なのでおとなしくそれに従った。


三月二七日日曜日(骨折後五六日目)

 小指の手術後四一日目。ついに絆創膏が取れた。早速、垢まみれになっていた右手を石鹸でこれでもかとこすり洗った。

 それから横浜駅の西口でランチ会食をした。近代文学作家の十返肇の自伝「最初の季節」を借りるためだ。お孫さんとたまたま一五年来の知人なのだ。「まさか田上さんが文芸サークルに入ったり、ブックカフェで近代文学に目覚めたりするなんて私には予想が付きませんでしたよ」なんて言われてしまった。

 俺だってなんで今こんな事、つまり文芸サークルに入ったり、そこで小学生の頃からあたためていた友人の野糞の話を披露したり、それ以上に面白い話を書けと発破をかけられたりするなんて思ってもみなかった事だからだ。もちろん右手の小指の骨折もだ。なんでこんな事になったのだろう?


四月二三日土曜日(骨折後八三日目)

 小指の手術後六八日目。

 この文章を書いている。初稿、二稿を全ボツを食らってすさみ、凹んでいたのを、ブックカフェへ行き、コーヒーと読書をして回復したのだ。ついでに三回目のワクチン接種もした今の俺は無敵な気分だ。

 右手の小指は完全にはもどらないようだ。まだ先端が赤らんでいて色が戻らない。小指をそらす動作ができなくなった。一ヶ月固定したら曲げ伸ばしに影響が出るのだろうなと、嘆き悲しんでも仕方ない。命に別状はないのだ。後遺症でいくらか保険金が入るのか?入らないのか?悔しいがまだ先の話だ。

 現金な話だが、通院一日で一〇〇〇円で移動交通費込みだそうで、保険があるにしても、風呂に入るのがやたらとめんどくさかったとか、コーヒーを入れる電気ケトルすら持ちづらかった事に対して何か金銭が入る事はなさそうな気配である。そういう日々に対して金銭でのケアがなされないのはそういう契約なのだろうけど、感情的に割り切れず切ない話だ。

 遊びの果てに骨折して手術までするとは、未だに納得の落とし所が見つからずにいるなあ。まだ五月の連休明けと七月に診察が残っており、完治はまだしばらくかかりそうだ。

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