番外 文芸誌「龍」第9号を読んで

 デイケアの文芸の時間に、北見先生から文芸誌「龍」第9号を手渡された。

「読んでおきなさい」と言われた。

 なのでというのは素直すぎるのか、「龍」第9号を読み始めた。この文章は雑なその感想文である。

 順不同なのでご勘弁を。


「はじめに」

 この文章を書き始めたきっかけの「皆さんの感想を待ち望んでいます。」の一文があった。感想だの批評だのおこがましいというか、そんな俺ごときが書くべき事なんかないだろうとは思ったが、これも文章の訓練だと思えば挑戦のしがいがあるというものだ。


「大岡川の桜」

 すごくよく書けてる文章で、本当に素人の作かと疑ってしまった。素直にすごい、ほめる語彙がない自分に苦笑する。文章の構成においての時間軸も無理なくスムーズに読める。空行だけでシーンを構成できているのも見事。いちいち小見出しを入れたくなるのだがこの辺は作者か編者(北見先生)の好みの問題か?書きながら涙を流したであろう闘病の描写は、経験者でしか書けない静かな迫力を感じた。

 告知のシーンは地の文を入れず「 」多めで進行するのが良い。それまでと対比してアクセントになっている。意図的な演出ならお見事だし、無意識なら天才じゃないかと(言い過ぎ)。

 ダメ出しするような事は見つからず。お見事でした。


「はんぺんおじさん」

 次に読んだのは、巻末の「はんぺんおじさん」だった。タイトルに惹かれたのだ。内容はなんて事ないちょっと不思議なおじいさんとの遭遇を描いた話で、「バスの中ではんぺんを貪るおじいさんを見かけました、以上。」で俺なら終わってしまうであろう話を、13ページにも渡って描くという、いやこれ単純にすごいなと思った次第。風景の描写、人物描写、オノマトペ、天丼と、構成も見事。星新一か筒井康隆のショートショートの新作ですかこれは?(褒めてるが褒めすぎかも知れない)別に強烈なオチがあるわけでもない風なのも好き。って好みの話になってしまって批評にならない。


「運転免許の終末」

 オチまで一気に読んでしまった。テンポが小気味いい。途中写真のミリの所だけアラビア数字になってるのが表記の統一という点で微妙に気になってしまったが、重箱の隅をつつくようで申し訳なくなる。

 八十三才の光江さんはこれご本人なのだろうか?モデルとなる別人がいるのだろうか?よく描けてると思った。何度も書くが読んでいて小気味いい。悔しくなる。付記のオチがまた気持ちいい。文章にオチが書ける人が羨ましく思えるのだ。ついつい自分と比較したくなる。改行までが比較的長めという印象を受けた。文体がそれに合っている。センスの問題か北見先生の指導なのか気になった。


「鉢植えのアボカド」

 タイトルが内容を示している。それを12ページもよく描いたなと関心した(上から目線)。オチらしいオチも特になく、この辺は好みの問題だと思われる。地の文と感想がごっちゃになってるからか、ヌルっとした読後感がある。悪くはないが性格が出ているのかなと思われる。こういう文体も「アリ」なのだろう。よく分からんけども。


「父と私」

 この文体で母娘の葛藤を書かず、なぜ父娘にしたのだろうか、母娘だと生々しいからなのか?などと書かれていない事を勝手に読み出そうとしてしまった。いかんいかん。三十三回忌の父との回想。記憶が薄れているかと思ったら意外にしっかり記憶されている様に見えた。小見出しでエピソードを綴っていくスタイル。悪くない。時系列の乱れも特になし。多分書かれていないエピソードもあるだろうなという感覚を得た。どうも俺は「書かれていない事」を読もうとしている癖があるな。入院・死のエピソードも涙を流すというより、三十三回忌の重みからなのか、文章はみっしりしているが比較的あっさりした読後感を得た。オカルトの描写もそんなに怖くなく、まあそういうファンタジーもあるよね実際という感じで、これは作者の性格なのだろうか文体がそうさせているのだろうか?俺の勝手な思い込みなのだろうか?


「故郷三春町の記憶」

 よく調べたなと思う程度に緻密な箇所と、なんかそうでもない箇所があって、ん?と思った。悪印象ではなくフックになったと思う。良し悪しは判断保留。中学校は?高校は?エピソードが気になる。小見出しのフォーカスが時系列から場所や物事に変わってしまったのがその原因か。構成の難しさを感じる。三春町にいつ頃まで住んでいたのかの言及はあったのだろうか?年代を区切っていつからいつまでと言及してくれると、読んで安心感が得られると感じた。この構成も悪くはないが好みの問題だろう(上から目線)。


「5歳の記憶」

 子供の頃の体験をよく思い出して書けたなという感想。東京大空襲から76年も経ってるのが信じられないくらい、鮮明な記憶が残っているのだろう。生きているうちに書き残してほしい。もっと書いてほしいと思うのだが、光景が悲惨すぎてこの分量でも書くのが辛かったろうと察する。

 厩橋界隈がどんな所だったのか、地図で移動距離が見られるといいのかも知れない。何キロ移動したとか何時間移動したかとか、具体的な数字が出てくると把握しやすい気がするのだが、難しいのだろうか?

 

「都会のご近所さん」

 今川焼きのおばさんはAさんではない。ちょっとわかりにくい。

「あそこの五目と赤飯はおいしいよ、買ってみたら」は誰に教わったのか抜けてる気がする。

 今川焼き屋のおばさんとの会話はよく書けていると思う。地の文もイキイキしている。書き手は麻布十番に住んでるのか通いで仕事をしているのかもわかりにくい。会話のテンポが良いだけに引っかかる点があった。悲しい。

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