第5章 氾濫する記憶 1
電車がやって来て目の前で止まった。
扉が開く。
乗客が降りてくる。
スズラカミは電車に乗った。
毎日同じ様な生活をしていると思った。
いい加減よしてくれ。
俺は何処に向かってるのだろうか?
また赤い雨が降っていた。
赤い水滴が窓につく。見る度に今いる世界はとても住めたものじゃないという考えが頭の中を巡っていく。一般大衆の中では崩壊は近いと噂されている地球。無理やり科学技術によって生き延びているに過ぎない。そう囁かれていた。
ところが日本、いや世界の政府関係者はそんな事は一切告げない。ただ、外出が困難になり、生の体験が出来ないならエクスを使って擬似体験しろとしか言われていなかった。
電車を降り、改札でマイクロチップ内の電子マネーでお金を払う。赤い雨を弾くコーティングされた傘をさす。
今日は自動歩行技術に頼りたい気分ですらなかった。
以前からスズラカミはなぜこの世がこんなにも酷い世界になったのか、そして、何故他の人々は誰もそんなことを気にせずにいるのか考えたことがある。
一つ思い当たるのは15年前、ファラス博士がマスメディア、政府、一般市民ら大勢を集めて世界に同時多発的に会見、演説をしたことから始まった気がした。
ファラス博士が発表した研究結果の題名は「運命の定め」
これにより生まれた時の周りの状況や家庭環境、親族の遺伝子が個性や頭の良さに影響を与えることが決定づけられた。
「運命の定め」と定められた理由は、人は与えられた時から、本人が自分の運命自体を選択できないからだ。
どれだけ愛想良く人と接することができるかや知力は人によって違う。記憶スピードを競走させることの個人が出来る努力は限界があり、越えられない壁が存在するという。
ファラス博士はこのことをSNSやメディアで大々的に報じた。
「運命の定め」が世間を賑わせたその年ぐらいからだろうか。そして大気汚染により化学物質が空気中を漂い、2時間以上外に出て空気を吸うと呼吸困難になる現象が今まで治ることなく続いている。
このことが重なり精神不安が広まり、自殺率が2020年の1000倍になった。
一方で世界中の政府は既に施策段階にあったマイクロチップを脳内埋め込む企業の実験を政策として巨額の金を投資し完成させた。
定められた運命によって人間、特に子供の頃に人生をコントロールできないことが世間一般に広まった世の中を変える為、政府は教育革命に乗り切ったのだ。
そこで政府と企業は生まれ育った環境に左右されずに誰でも正しい教育、経験が出来る様にした。企業の犬として育てられる様に12才以上の人間にマイクロチップ埋め込みを義務化したのだ。
エクスによる経験を義務化し、正しい授業、以前まで出来ていた外出することによる経験、短期記憶能力といった人生を有利に進める為に必要なものが、マイクロチップと通じることで個人の能力の差を無くすことが政府の目的だった。
その後エクスとマイクロチップは企業を通じて発展していった。マイクロチップによりエクスを保存することが出来る様になった。
誰もがエクスにより自分に合った教育を受けることが出来る。いつでも何処でもゲーム感覚で正しい知識を学ぶことが出来る様になった。
このことにより、学校で学問を競争させ、順位付けさせるシステムそのものが無くなった。
教育革命によって脳にマイクロチップを埋め込む事で「運命の定め」による脳のパフォーマンスの差はほとんど無くなった。しかし、精神的な問題は残った。それはマイクロチップやエクス自体が機械であり感情がないところである。
マイクロチップの埋め込み自体スズラカミは否定的だった。だがそのことは周りに言えなかった。メディアではマイクロチップの埋め込みのメリットを大々的に報じていた。当時は反対者はごく少数しかいなかったので周りの歓迎ムードに押し切られていた。そして何よりもマイクロチップの埋め込みは義務化されていたので大多数の周りの人は素直に受け入れていた。
スズラカミも最初は違和感が合ったもののやがて気にしすぎかもしれないと受け入れた。
やがて自分の元に政府からマイクロチップ埋め込みの案内状が届いた。今日は朝から脳の中に埋め込みの手術をしにいかなければならない。
マイクロチップの情報を得ようとテレビを付けた。
ニュースキャスターが喋っている。
「マイクロチップ埋め込みの際には必ず全身麻酔によって眠ってもらい、その間に脳の中にマイクロチップを入れるという手順です。ですので、皆さんが不安に思ってるであろう手術中の痛みなどはございません。また、先行で受けた人の感想も見ていこうと思います。それではこちらです」
会場の外でインタビューアーが通行人にマイクを向けている場名に切り替わった。
「本当にあっという間でした。何も違和感なく終えることが出来て本当に政府は信頼できると感じました。」
笑顔でそう答える通行人にスズラカミは吐き気を覚えてTVを消した。やっぱりメディアを見るのはマイクロチップ埋め込みの後にしよう。そう思って会場に向かった。
会場に着くと既に多くの人が列を成していた。ロボットが人々を扇動している。政府によって作られた人型のロボットはスズラカミと同じぐらいの身長だった。ロボットからの声が耳に響く。
「こちらが列の最後です。順番を守ってお並び下さい」スズラカミは言われた通りに列に並んだ。
やがて前に進み列の中盤ぐらいになると再びロボットの声がした。
「皆さん、列からはみ出さずに並んで下さい。怖がる必要はありません。今日は機械と人間が融合する歴史的な日ですから。この日を大いに喜びましょう。」
スズラカミはその声のする方に目をやった。さっき会ったロボットと同じ形をしていた。繰り返し同じ言葉を喋っている。
いずれ人間もアレになるのだろうか。スズラカミは不安を覚えた。もう後ろにも人がいる。後悔しても遅い。不快な気持ちを押さえ込むようにして前に進んだ。
すると会場の出口の方でマイクロチップを埋め終わった人がロボットに連れられて出てきた。会場のほぼ全員がその人の方を向いた。その視線に気づいたのか埋め終わった人がこっちの方を向いて笑顔で手を振ってきた。
スズラカミはいよいよ気持ち悪くなった。咄嗟にこの会場から逃げ出そうと思った。列からはみ出すために一歩踏み込んだ。後ろの人に肩が当たる。後ろの女性が驚いた様子こちらを見た。
「うっ…。」
「すみません。」
それだけ言ってスズラカミは走った。前後左右に人々が並んでいる。その中を突っ切っるように人々を両手で押して無理矢理出て行こうとした。
「痛っ。」
「ちょっと何するのですか?」
当然、周りから異常な行動だと思われた。だがそれよりもここから出て行こうと思う気持ちの方が強かった。こいつらは何も分かって無い。所詮は政府の言いなりのモルモットでしか無い。俺は違う。俺はこいつらと一緒にはなりたく無い。
人々の群れを手でかぎ分けて逃げた。向こうに光が見えた。一層力を入れた。
やがて人々の影から抜けた。
スズラカミは足を止めた。
人々の列の外。それは別世界ではなかった。この列の周りにはいつの間にか大量の人型のロボットが周りを囲んでいた。
「くそっ」
スズラカミは勢いをつけてロボットの群れにタックルした。だがびくともしない。
逃げられない。
手を掴まれそのまま拘束された。
カチッ。
両手を取られて手錠をつけられた。そのまま強制的に歩かされた。そして会場の別ルートにロボットによって連れて行かれた。白い通路を通って行きその奥にある部屋に着いた。そこにも数体のロボットがいてスズラカミを連れてきたロボットと共にベッドに縛り付けられた。
身動きが一切取れなくなった。そして目線の先の上にちょうどモニターがあった。そこから同じくロボットの顔が映る。
突然モニターの両脇の天井が開いた。そこから白い機械で作られた手が出て来た。その手はスズラカミの視界を覆うようにして顔に手を乗せた。視界が暗くなった。
「ようこそ。こちら側の世界へ」
そこからの記憶は無かった。気がついた時には会場の外に連れ出されていた。近くにいたロボットに相変わらず両手両足を拘束されタンカーのようなもので運ばれていた。
「睡眠薬から目覚めたか。お前にもマイクロチップを埋め込んだぞ」
俺はどうやら無事にマイクロチップを入れ終えていた。俺はこれからどうなるのだろうか。今の状況はお世辞にも安全とは言い難い。
「お前みたいな奴が一番危険だった。だからこそ政府がしっかりと管理しなければならないのだ」
人々の列の外のロボットが囲んでいる地帯で降ろされた。両手両足が解放された。
スズラカミは自ら乗っていたタンカーを降りた。
ロボットの群れが道を開ける。
その先には今までと同じ生活の風景があった。
「これでお前は終わりだ。これからは好きに生活できるぞ」
お前ら政府の監視の下でな。そう心の中で吐き捨ててスズラカミは会場から去った。
記憶はそこで途絶えていた。気づいたらまた玄関の前まで来ていた。
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