第五十八夜 愚痴

 また、Eさんはこんな話もしてくれた。


 霊媒師として活動するようになってからはこの世の者と、この世ならざる者の違いはすぐに見分けることができたという。それは一般的な感覚とは違って、いわゆる第六感的な部分で察知できるらしい。目で見た感じではまるで生きている姿とほとんど同じではあるが、その纏っているオーラのような空気感が、生きている者のそれとはまったく異なるのだ。私(安城)もいくつか摩訶不思議な体験をしてきてはいるが、Eさんの言うような違いというのを明確には区別することができない。それはきっと修業によるものなのだろう。

 Eさんがとあるお祓いの依頼を受けた時のことである。その依頼というのは家の中から奇妙な物音が絶えないというもので、実際にその現場を視察してみてみると、Eさんはひとりの女性の霊を見たという。亜麻色の長い髪をうなじのところでひとつに束ね、優しい印象を受ける小さなたれ目にはどろんとした黒みがゆらゆらと燃えている。ああ、これは強い怨念がある。Eさんはひと目ではっきりと感じ取った。

「お嬢さん、あるいはお嫁さんが最近亡くなりませんでしたか?」

 Eさんがそういうと、依頼主の中年の女性はキッと顔を強張らせた。

「あの女が憑いているというんですか?」

「あの女?」

「いえ……息子の嫁です。自殺したんです。半年前くらいでしたかね」

「ああ、そうでしょう。首に痣が見えます。ロープか何かで首を絞めて亡くなられた……」

「その通りです。そんなところまで見えるんですか!?」

 依頼主は驚きを隠せない様子で思わず口に出した。

「ええ、見えますよ。というか、彼女が全部教えてくれています。あなたが彼女にしたことも全部……」


 その首を吊って自殺したとされる女性が訴えかけてくる内容は次の通りである。

「姑が! あのクソ女が毎日毎日私のすること全部に文句を言ってくるの! 毎日よ? だから同居するなんて嫌だったのよ。主人に相談しても取り合ってくれないし、それくらい我慢しろの一点張り。はあ? ふざけんじゃないわよ。なんで私が我慢しなきゃいけないわけ? まずはあのババアをどうにかしなさいよ! 初めは私もそういうものだと思って耐えてきたけど、もうたくさん。なんにもせずにゴロゴロしてるくせに、その身の回りの世話をしてあげてんのは誰よ? 私でしょ? 感謝の言葉のひとつだってない。そのくせ『あらまだやってないの?』だって。あーなんか思い出してたら腹立ってきた。殺す、殺す、殺す……」

 Eさんはその流れ込んでくる激しい恨みつらみを、当事者である依頼主にそのまま伝えることはあまりに酷だと思い、こう諭した。

「お嫁さんはあなたの行いに怒っています。もうその辺のことは既におわかりでしょうけれど。ですから、私の方ではお祓いすることはできません。あなたのこれからの行いによって彼女を成仏に至らしめてあげてください」

 依頼主の女性はそのまま泣き崩れた。きっと改心してくれることだろう。それを間近で見て、亡くなった彼女も許してあげることができればこの上ない。霊媒師が術をもって無理やりお祓いすることは本来好ましくないのである。Eさんはその家を後にした。


 その夜のことである。Eさんが部屋で眠っていると、突然腹のあたりがギュッと押しつぶされるような重みを感じたという。ちょうど布団の上に何かがのしかかっているようなそんな感覚である。Eさんが恐る恐る目を開けると、そこにはあの首を吊って自殺したお嫁さんが正座して座っているのである。金縛りで身体は少しも動かない。強い念力がかかっている。Eさんは必死に振りほどこうと苦心していると、ふとその女が再び口を滑らせた。

「あのクソババア、結局口だけなんよ。反省してるとか、ごめんなさいって口では謝っても、微塵も心がこもってないの。ねえ、聞いてよ。普通お煎餅食べながら謝らないでしょ? いや、あのババアはそれするのよ。だいたいさあ――」

 女の愚痴はそれから一時間近く続き、ようやく言い終わった後にはすっきりしたような顔をしてすっと消えていった。

「どうやら幽霊になっても、愚痴を誰かに聞いてもらいたくなるらしくて……」

 それから数年経った今でも、たまにその女は夜な夜な愚痴を聞いてもらいたくてEさんのもとを訪れるのだという。

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