第五十七夜 洗礼

 Eさんは中学生になった翌年からはその秩父の家を訪れることは避けるようにしていた。あの仏間を見るのが恐ろしかったからである。あの奇怪な体験を親に言うこともできず、誰にも明かすことのできない秘密を抱えることになった。

 仏間の出来事から四年後、Eさんが高校生に上がったくらいの時に秩父の祖母が亡くなった。もう八十歳を超えていたから寿命を全うしたのだろう。自宅で眠るようにして看取られたという。葬式にはEさんも参列することになり、それは厳かに営まれた。

 その日の夜、一家は自宅のアパートに到着し、Eさんが寝入ろうとしたとき、遠くの方で誰かが自分の名前を呼ぶ女性の声が聞こえた。似たような経験を思い出し、身がすくむ。その声というのは誰の声とも判別しがたい、少なくとも母のものではない。夢だ、夢だと思って布団をかぶってぶるぶると震えていると、今度は枕元から声がする。

「ほれ、顔を上げんさい。わしじゃ、婆じゃ」

 その声は紛れもなく亡くなった祖母のものだった。死者の声が聞こえるなんて到底あり得ることではない。Eさんは無視してひたすら何も見ないようにしていた。

「まあ、それでもええわい。いいかよく聞け、四年前、あんたは仏間で何か見ただろう? あれは先祖の霊じゃ。どうせわしか爺さんの声に呼ばれたんじゃろうが、アレに認められるということは素質があるということ。つまり、わしの声が聞こえてることがその証明じゃ。これから二十歳を超えた瞬間から不思議なものが見えることになるだろうから、いまから言うひとのもとへ訪ねなさい。役に立つことを教えてくれる。わしから言えることはそれだけじゃ」

 そう言って、とあるお寺を伝えるとふっと気配が枕元から消えた。Eさんは後日そのお寺を訪れ、修業をし、成人してからは霊媒師として活動することになった。


「そのお寺に関することは私の口からはお伝えすることはできません。ちょっと、まあ、そういう規定があるものですから……」

 Eさんはそれ以上のことは教えてはくれなかった。

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