8章 王の死

 最悪の事態が起きた。

 肝心のミハエルは混乱しきっていて、もはや哀れなほどだった。

 屋敷にたどり着いた時にはブランデーを必要とし、しばらく寝かせなければならなかった。


 すべてのはじまりは、ひっそりと王の一団が海に出発したからだ。


 私の忠告を無視し――というよりヴァージル様をすり抜け、あれからローズは子宝に恵まれるという情報をかき集めた。それこそ南から北から、善し悪しを問わず。

 そのなかで、海龍の心臓を食えば、一晩で子を孕むことができる、という話に惑わされたのだった。

 誰がそんな噂を持ってきたんだ!

 無茶な話にもほどがある。

 心臓を食うことが、ではない。海龍の心臓を貫かずに討伐することがだ!

 話を持ってきたのはローズ自身だという話もある。突然のようにそんなことを言い出したというから、結局噂の出所は不明だった。私も、誰がそんなことを言い出したのかこっそりと調べさせた。山の魔女にもあたってみたが、そのような話は聞いたことが無いとのことだった。となれば、金目当てのほら吹きか。表向きにはおとなしくとも、こそこそと怪しげな情報も集めていたのだろう。なんてことをしてくれたのか。


 そもそも海龍の被害は続くばかりで、討伐隊が結成されることも決まっていた。

 その中にヴァージル様も混じっていたのだ。他ならぬ王が!

 そのうえ、ヴァージル様は最初、視察という名目で兵士を連れていったという。たとえ何かあってもヴァージル様の腕があれば大丈夫だと、兵士たちも思っていたのだろう。

 一団が帰ってきたのは二週間後だった。


 人数は半分に減り、傷だらけで、みな陰鬱な顔をしていた。これから起こるであろう事態に思いをはせることもできず、重い体を引きずって帰ってきた。限界に近く、意識は朦朧としていたという。メイドたちや、騎士団の世話係の女性達も、そんな状況で帰ってきた彼らにどうすることもできなかったのだという。とにかく渡すものがあるからと、彼らは制止を無視して城内に入ろうとした。

 そこをローズに見つかった。

 兵士たちの回復はローズの仕事だったからだ。異変を感じ取ったメイドたちが思わずローズを引き剥がそうとした。


 いまは駄目だ、いや大丈夫、の押し問答の末、彼らがしっかりと抱えた包みのうちの一つが床に落ちた。その中身を見て、メイドが小さな悲鳴をあげて卒倒した。

 ああ、どうしてそのとき、そんな事故が起こったのだろう。


 それはヴァージル様のだった。


 見るも無惨にかみちぎられ、胸から下を海龍に食われたヴァージル様の哀れなご遺体であったという。

 ローズは気も狂わんばかりの悲鳴をあげて、手に負えないほど暴れ回った。その場にいた者たちではどうしようもできず、騎士を呼んできて押さえつけ、最終的に気絶させてベッドに運ぶしか手段は無くなった。

 起きたあともずっとぶつぶつと何事か呟き続けながら、物音に異常に敏感になり、側仕えのメイド以外は誰も近づけなくなった。


 けれど、彼女は忘れていなかった。

 彼女の希望。

 海龍の心臓。

 ローズは臭気をあげる心臓を前に、物怖じして泣きながらもかぶりついたという。ローズ自身も卒倒しそうになりながらかぶりついていて、ミハエルは危うく卒倒するところだった。その代わりに、側仕えのメイドが気絶した。


 ローズはこれで一晩で子を孕むといったらしいが、結果から言うと、子を孕むことはなかった。


 王宮のほうはというと、大変な騒ぎになった。

 一国の王が崩御したのだ。

 一番に頭を抱えたのは、ミハエルと、宰相をしていたヴァージル様の弟君だった。王妃が錯乱状態にあってはどうすることもできない。ひとまず王の崩御は国民に隠す事になった。混乱を避けるため仕方なかったという。残っていた職務を片付けてしまうために、先代王の側室の子である、つまりは腹違いの弟を一時的に呼び戻すことにした。

 手紙を出して、いまは返事を待っているところだという。

 だがもはや抱えきれなくなったミハエルが、うちにすっ飛んできたのだ。


「……王妃の狂気は加速しているのです」


 ミハエルはため息をつきながら言った。


「あの方は、あの方は本当に、以前のローゼリア様なのでしょうか。私には理解できない。せめてお二人の間にお子様が出来ていれば、こんなことには……」

「そんなことをいまさら言ってもしょうがないではありませんか。陛下もいったいどうしてこんなことに……。……なぜ黙っていたのです!」

「……もしも、もしも……、これでローゼリア様が懐妊することがあれば……。たとえ異形の子が生まれたとしても、国王の忘れ形見として国民にその権威と存在を示すことができると……」

「なんてことを……。ミハエル、この事態を招いたあなた方全員に、責任があると思い知りなさい!」


 だがもう遅かった。

 王妃は一見、普段と変わらぬように振る舞うのだという。

 そのくせこんなことを言うのだ。


「そうだった、そうだった。処女が料理を作ればいいのよ、思い出したの、前世ではそういう話だった」


 彼女はそんなことを言って、もういちど海龍の討伐隊を組ませようとした。

 仕方なく、ミハエルは一計を案じた。料理を作るというのならば、もはやなんでも良い。それで王妃の気がおさまるのなら。

 ミハエルは処女の少女を連れてきて、巨大な牛の心臓を料理させた。

 切り刻んで鍋で煮込んでしまえば、バレないと思ったのだ。


 そうしてできた料理は、王妃のもとに運ばれた。

 前回よりは食べやすそうにしていたらしい。

 とはいえ、海龍の心臓でもなければ、そもそも海龍の心臓でも子供はできなかったのだ。


 そうなると彼女は料理をした少女を罵倒し、地下室に監禁してしまったという。

 もはやヴァージル様との子供はできないというのに。

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