どうでもいい君とどうでもいい私のどうでもよくない物語
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スプーン
「背と腹、どっちだと思う?」
君が話しかけてきたのは中学三年の三学期、給食の時間だった。
「え?」
どうして今更。
卒業まであと一ヶ月もない。
もうすぐ桜だって咲く。
なのに、ホントにもう、どうして。
どうして?
何故は色濃く記憶に残る。濃いピンク。
桜というより、梅。梅の香りとともに、鼻と目がうずうず春の訪れを感じる、私にとって最も嫌な季節のはじまり。
なのに、どうして。
「だから、スプーンだよ。ふくらんでる方とくぼんでる方と、どっちが背で、どっちが腹だと思うかって話」
風変わり。
嫌われたり好かれたりとまちまちだけど、君はある種、クラスで不動の地位を築いていた。
いじめっ子が目をつけなかったのも、誰にでも話しかける中村が君とだけあまり話さなかったのも、君が変わっていることを君がまるで気にしていなかったからだ。
誰だって空気は読むものだよ。なのに、君だけは。どうして。
「……スプーンに背も腹もないと思うけど」
銀色が描く滑らかな曲線に、蛍光灯の光が反射した。
ふくらんだ面をのぞき込むと、クラス全体がまるまる飲まれて、反対側のくぼんだ面をのぞき込むと、逆さまな私の顔が銀色を覆い尽くした。
背や腹があるものか。
そうだ。要するに、私たちは君を恐れていた。
「ふーん。背に腹はかえられぬ、ってやつか」
「いや、違うと思うけど」
なんとなく、中村がこっちを見た気がした。というより、クラスの意識が私たち二人に向いているのを察せずにはいられなかった。
はっきりと視線を向ける人はいないのに、急にクラスがしんと静まり、二人の会話に耳をそばだてているのだ。
ああ、気まずい。
「じゃあ、おなかとせなかがくっつくぞー、ってやつ?」
なのに君は、唐突にはしゃいで見せた。
どうして。
クラスの気配から逃れるために、スプーンの背(もしくは腹)を、矯めつ眇めつ見た。相変わらずのっぺりと伸びた歪んだ顔。スプーンの向こうの君も同じように、じっとスプーンを見つめていた。
銀色のなめらかな曲線の向こうで意識だけがこちらを窺う。無数の見えない視線を感じる。君だけが異彩を放つ。普通。平凡。平均。通常。人並み。その他大勢に含まれても差異だけが浮き立って光る。
多くを映す鏡のようなスプーンの曲線は、歪んだ私も映している。
ふと、スプーン越しに互いの目が合った。
「あ、やっと見た」
君の声はその瞬間、私にしか届かなかった。私だけが聞いた君の声。クラスの気配が消えた。
そう信じたいだけかもしれない。
誰も君の声を聞いていなかったことだけは確かだと思う。思うだけかもしれない。
けど。
「なにが?」
「やっとこっち見た。ずっと自分と睨めっこしてた」
「いや、そっちだって」
君は首を横に振って笑った。
笑みに覗く八重歯はスミロドンのように鋭くて、噛まれる痛いだろうと、そんなことを考えていた。
桜の季節には、まだ少し時間があった。
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