第四十五話

「オーク座で上演されてるアリアン、女王も認めた傑作らしいな」

「は?オーク座なんて値段も高いし、下っ端の徒弟の俺らにゃ関係ないだろ」

「でも、エドワード伯爵が釈放されたお祝いで、今はいつもより少し安いらしいぜ、うちの親方が言ってた。アリアンて女神がとんでもなく綺麗で色っぽいらしくてさ」

「つったって所詮男だろ」

「まあ、そうなんだけどな」



 鳴り止まない拍手、観客達の歓声。繰返される日々の中、そのたった数時間に凝縮された夢の世界が終わる時、トーマスはいつも、言いようのない寂しさにおそわれる。だが、同時に訪れる、身震いする程の感動と恍惚は、何度経験しても飽きることはない。

 舞台が終わり、会場が歓喜の余韻に浸る中、トーマスは一人ひっそりと楽屋へ向かう。するとそこには、ノッティンガム伯爵夫人と観劇していたはずのジャンが先に戻ってきていた。


「あれ?おまえ…」

「ああ大丈夫、最初からおまえと新作の打ち合わせがあると言ってあったんだ。近々夫人の主催する晩餐会に招待して頂いたよ」


 ジャンはすぐに、トーマスの懸念を察し答える。今回ジャンが女王陛下に気に入られたことで、エドワードのみならず、ジャンの支援者の人脈はさらに広がった。

 ジャンはそれら新たなパトロンとの交流や根回しにも余念がないが、ジャンが本質的には決して社交的な人間ではないこともわかっているため、時々心配になってしまうのだ。


「だったらよかった、おまえって強かなようで、危うい繊細なとこもあるからさ」

「気持ち悪いこと言うなよ。俺はそんな柔じゃない。それよりおまえ、新作の進み具合はどうなんだ?」


 ジャンの言葉で、自分こそ人の心配している場合じゃないことを思いだす。


「ああ、まあなんとか…」

「エドワード伯爵も期待してるからな、今週末には稽古に入りたいし、明日までに必ず完成させろよ」

「わかってる、とりあえず今日できたところまで持ってきたから読んでみてくれ」


 戯曲の原稿をジャンに渡したトーマスは、真剣に目を通すジャンの様子を、試験の採点結果を待つ学生のような気持ちで見やる。

 ジャンとの合作アリアンは、女王のお墨付きという評判が評判を呼び、最も上演回数の多い人気作となっていたが、オーク座はそろそろ、アリアンに続く新作を求めていた。


 今回約束通り、正式に座付の劇作家になったトーマスは、エドワード伯爵の納得する戯曲を作り、実力を認めてもらわねばならない。

 アリアンは共作とはいえ原案はほぼジャンだったため、次でトーマスの力量が試されると言っても過言ではなかった。


「なんだよ、あまりに自信なさげだからスランプにでも陥ったのかと思ったが面白いじゃないか」

「本当か?」

「当たり前だろう?そもそもこの俺が、面白くもない戯曲を書く人間を、合作に誘うわけがない。もっと自信を持て!」

「ありがとう!おまえにそう言ってもらえると自信が持てるよ!」


 ともすれば傲慢に聞こえてもおかしくないセリフも、ジャンが言うとなんとも様になる。嬉しくて素直に礼を言うと、何故がジャンは、不信な表情でトーマスを見つめてきた。


「…」

「なんだよその顔?」

「いや、おまえさ、前はもっと俺に憎まれ口叩いてたのに最近どうしたんだ?別に俺に媚び売らなくていいんだぞ?」

「は?違う違う!媚びなんて売ってない!」


 どうやらジャンはトーマスが、折角得た安定した職を失いたくない一心で礼を言ってるとでも思ったらしい。トーマスは心外だと否定し、自分の気持ちを真剣に口にする。


「今回色々ある中でさ、俺はつくづく同じ男ながら、お前がエリザベス女王やエドワード伯爵に惚れられるのも分るなと思ったんだよ」

「は?なんだよそれ?」

「だから俺は!おまえの行動力と決断力に本気で感心したんだって言ってるの!

もちろん、元々おまえがやる時はやる男だってのはわかってたけどな、今回は本当にお見事としか言いようがない」


 トーマスのジャンに対する羨望と尊敬は、エドワード伯爵逮捕という危機を脱したことで、ジャンが父親から逃げてトーマスの家に転がりこんできた時を遥かに超え強くなっていた。だがジャンは、トーマスの言葉に首を振って応える。


「いや、褒めてもらえて光栄だが、今回成功したのは俺だけの力ではない。おまえがオーク座の俳優達をまとめてくれていたおかけだ。

現に時間がかかりすぎてエリックを失ったしな。まあ、オーディションで無事ニコラスが入ってきてくれてよかったが…」

「そう!確かにニコラスも悪くない!

だけど俺は、おまえのハリーがあまりにも良すぎたから、どうしても今のハリーに物足りなさを感じちゃうんだよ!」


 話の流れでニコラスの話になり、トーマスは思わず声を高める。結局ジャンがハリーを演じたのは、御前公演のたった一回だけで、オーク座再開と共にジャンが最初に行ったのが、主演俳優のオーディションだったのだ。

 トーマスをはじめ、オーク座の俳優達は皆、あれだけ演技できるのにもったいないと俳優も続けるよう勧めたが、ジャンは戯曲の執筆と演出に専念したいから無理だと頑なに拒否した。

 数日前、お忍びで観劇に訪れた女王陛下にすら、うまいこと言って誤魔化していたので、ジャンの決意はよっぽど固いのだろう。


「何度も言ってるが、俺はあくまで劇作家なんだ。それに、久々に演じてみてつくづくわかったよ、俺はどうしても、役と自分を切り離すことができない、もうハリーを演じるのは無理だ…」


 その言葉を聞いて、トーマスは不意にギクリとする。実はあの公演が終わってから、目にあまるほど露骨だったジャンのロイに対する態度はすっかりなりを潜め、トーマス自身、あの時は極度の緊張で思考がおかしくなっていたのかもと思うようになっていたのだが…


(ん?役と自分を切り離せないってどういう意味だ?ダメだ、またおかしなことを考えそうになってるぞ、俺…)



「今日も最高だったね!やっぱりあの拍手を浴びる快感はたまらないよ!」


 疑念の迷路に迷い込みそうになっているところへ、舞台を終えた俳優達が楽屋へ戻ってくる。


「おまえクライマックスのセリフ飛んだくせに何言ってんだよ!ロイが機転利かせなかったら本当にヤバかったぞ!」

「いやあ、あの時はリリーのおかげで助かったよ!まさにリリーは俺の女神だ!」

「おまえ調子良すぎ!あとなんでおまえだけリリー呼びなんだよ!」


 ロイの俳優名は、パンフレットには本名ではなくリリーと載せているが、皆内輪ではロイと呼んでおり、新たに入ってきたニコラスだけがリリーと呼んでいた。


「ロイががどっちで呼んでくれてもいいって言ってくれたんだ。逆に俺だけリリーって呼ぶの特別感あってよくない?舞台上俺らは恋人同士を演じることが多いわけだし、ね!リリー!」


 ロイは、微妙に噛み合ってないオリヴァーとニコラスの言い合いに突然巻き込まれ苦笑いを浮かべている。


 ニコラスはイタリア出身の、底抜けに明るい伊達男だ。父親が宮廷音楽家で、楽器は一通り弾けるも俳優になる道を選び、去年まで宮内大臣一座の研修生だった。

 実力者揃いの人気劇団の中、競争を勝ち抜いてメインキャストになるのは至難の技だと感じていたニコラスは、丁度いい機会だと今回のオーディションに臨み、オーク座に入ってきたのだ。

 オリヴァーは、入ってきて早々主演のニコラスに思うところがあるのか、彼に対する当たりがやけに強い。


「ね、リリーじゃねえよ!ロイ、ハッキリ言ってやれ!いくら年下だからって、おまえの方がオーク座に先に入った先輩なんだから」

「いやでも、俺がオーク座にきたばかりの時はニコラスさんの足元にも及ばなかったし」

「確かに、最初の頃のロイは素人丸出しでひどいもんだったよな。それが今じゃハリーのフォローまでできるようになったんだから、大したもんだよ」


 話しに入ってきたダニエルの言葉を聞き、ニコラスは驚きの声をあげる。


「え?てっきり俺リリーはエドワード伯爵の少年劇団出身なんだと思ってた。オーク座来る前どこにいたの?」

「あ、えーと…」


 ロイがどういう経緯でオーク座に入ることになったか知っているのはジャンとトーマスだけだ。困っているロイに、ジャンがすかさず助け船を出す。


「リリーは俺が見つけてきた宝石だ。そう誰彼構わずどこから来たか話すわけにはいかない」

「なんだよそれ!余計気になりますよ!」


 ニコラスが冗談めかしながらも、ジャンに、教えてくださいよと迫ったその時


「ちょっとちょっと!あんた勝手に入ってきちゃ困るよ!」

「どいてくれ!俺はアリアン役の少年の保護者だ!!責任者を出してくれ!話をさせろ!」


 外から怒声が響き渡り、見知らぬ男が強引に楽屋の中へと入ってくる。トーマスが誰だ?と思っていると、その男はツカツカとロイに近づき肩を掴んだ。


「ロイ!おまえロイだろう?なんでこんなところにいるんだ?マンチェスターの親方のところに修行に行ったんじゃなかったのか?こんな女の格好して金を稼いていたなんて、恥ずかしいと思わないのか!」

「おい!恥ずかしいってなんだよ!」

「ジョージ親方…ごめんなさい」


 オリヴァーが男に噛み付いたが、ロイの言葉に、皆驚いてロイを見つめる。


(ジョージ親方って、じゃあこの人が靴職人だった頃の?)


 騒めき出す俳優達の中、ジャンがジョージ親方に駆け寄り丁寧な口調で話しだす。


「申し訳ありません、責任者は私です。ここではなんですので、これから私の家に来て頂いても構いませんか?そこで詳しく事情をお話ししたいので」


 ジャンの対応にいくらか興奮がおさまったのか、ジョージ親方は、先程より落ちついた声でロイに尋ねた。


「ロイ、こいつは信用できるのか?」


 見るからに狼狽えていたロイだったが、その言葉には、はっきりと返事をする。


「はい」

「分かった。あんたの話しを聞いてやる」

「ありがとうございます」


『ジョージ親方は、俺の恩人なんです』


 あれはいつだったか、ダニエルの事を、ジョージ親方に少し似ているんですと、懐かしむように語っていたロイ。

 この人物の出現が、ロイとオーク座の未来にどんな影響を与えるのか、トーマスには全く想像する事ができなかった。

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