第四十四話

 アリアンとハリーが、息せききって階段を駆け下りてくる。


「ここまで来れば、もう大丈夫だろうか?いや、あいつらはきっと君を自分のものにするためにどこまでも追いかけてくるだろう!

すまないアリアン、君をこんな目にあわせてしまって」

「ハリー謝らないで、あなたのせいじゃない。

私の弟グラウディオンが、あなたに呪いをかけたからこんなことになってしまったの」

「なぜ君の弟はそんなことを?

ああだめだ!あの男が君に口づけしようとした光景を思い出しただけで怒りに震える

王子だろうと王だろうと関係ない!例え相手が神であっても、君を奪おうとする者に、僕は全力で逆らい抵抗する!」


 いつ捕まってしまうかわからない、切迫した状況だというのに、アリアンの表情は喜びに満ちている。


「ああハリー!どれだけこの時を待ちのぞんていたか。あなたが私を自分の恋人だと宣言し、あの男達の元から連れ去ってくれた時、私の胸は歓喜に震え、あなたが私を蔑ろにしてた事など全て記憶から消しとんでしまったわ」

「アリアン許してくれ!僕は呪いにかかっていた時すら、心の中でずっと、君を愛していると叫んでいた。だが、君は私の娘なのだという偽りの記憶が僕を臆病にさせていた。

呪いが解けた今、僕は君にはっきりと告げることができる。アリアン、どうか僕と結婚してほしい!君なしでは生きられない!心の底から愛しているんだ!」


 ハリーの情熱的なプロポーズを、アリアンは感極まった様子て頷き受け入れる。


「私も、あなたを愛しているわハリー!

 私は今日から、あなたの妻よ」


 しかし、二人が手をとり永遠の愛を誓いあおうとしたその時、アリアンを我が者にしようと追っていたチャールズ王子が二人の前に現れる。


「アリアン!君は私の妻だ!今すぐその男から離れ私の元へ来い!」

「嫌です、私の身も心も、全て私の夫ハリーのもの!」

「なんだと!おまえはこの国の王子である私を愚弄する気か!おのれ!今すぐその男を捕らえ殺してやる!」


 そう叫ぶや否や、チャールズ王子は剣を振りかざし、武器を持たないハリーに切りかかる。


「やめて!」


 アリアンが叫び、ハリーを庇おうとチャールズの前に立ちはだかったその瞬間、チャールズの身体が後ろに吹き飛び、そのまま気絶して動かなくなった。


「アリアン!」


 後からやってきたグラウディオンが、チャールズ王子に魔法をかけ気を失わせたのだ。


「剣を持っている相手に、あなたはなんて無茶な事をするんですか!我々は不老不死だが斬られれば血は流れ痛みも感じる!なのに…

あなたはそれほどまでに、この男を愛しているのですか?」

「グラウディオン、何度も同じ事を言わせないで。私はハリーを愛している。ハリーのためなら、例えこの身を傷つけられても構わないのです!」


 アリアンの言葉に、グラウディオンは力なく項垂れる。


「もうわかったでしょう、グラウディオン」


 と、天上から地上へ響き渡るように、地母神ダナの声が聞こえてきた。アリアンも、ハリーも、グラウディオンも、驚愕の表情で天上を見つめる。


「お母様!」

「グラウディオン、私達は、二人の愛が本物であると認めざるおえない、諦めてこちらに戻ってきなさい」


 ダナに従い、グラウディオンは俯いたまま階上へ登っていく。そして、再びダナは、アリアンとハリーに語りかけた。


「アリアン、私はあなた達の結婚を許し、ハリーに不老不死の力を与えます」

「ああ、ハリー!」

「アリアン!」


 喜び手をとり合うアリアンとハリーを、地母神ダナが窘め言葉を続ける。


「ただし、不老不死の力を持つと同時に、ハリーは永遠の眠りにつくことになります」

「なんですって?どういうことなのお母様」

「姿形は似ていても、神と人間は似て非なる物。天上に行けば、私達と同じように生きる事はできない。その代わり、ハリーは人間のように老いることも死ぬこともなく、あなたの側で眠り続ける。あなた達は永遠に離れることなく一緒にいられるのです」

「そんなの嫌よ!だったら私は、天上になど戻りたくありません!」


 アリアンは、地母神ダナの言葉にショックを受け青ざめる。


「アリアン、私はあなたに何度も言ったはずです。あなたは月の女神、人間として生きていくことは許されない。あなたが地上に降りた日から、天上の神々は皆、人間の男にうつつを抜かすあなたに激怒している。

私も、もうこれ以上神々の怒りを鎮めるのは不可能です。あなたが天上に戻らなければ、海は荒れ狂い、大地は干からび、やがて破壊神がこの世界を滅ぼしてしまうでしょう。

そうすれば、貴方の愛するハリーの存在も消滅する。貴方は自分の欲望のために、世界が滅びても構わないというのですか?」


 アリアンは祈るように天上を見上げ、地母神ダナに問いかける。


「どうすれば…一体どうすればハリーは、永遠の眠りにつくことも、人間達と共に滅びることもなくいられるのですか?」

「簡単なこと、貴方が1人天上に戻り、月の女神として再び夜の世界を照らせばいいのです。

そうすれば神々は怒りを鎮め、ハリーは地上で生きていけるでしょう」

「…」


 ダナの言葉に絶望し、瞳を閉じたアリアンは、やがて決意するように唇を開き言葉を発する。


「分かりました。私は一人で天上に戻ります。

さようならハリー、どうか私がいなくなっても、出会った時と同じように、あの山の頂で、ずっと私を見つめていてね。私も、遠く離れた天上から、あなたを照らし見つめ続けるわ」


 ハリーから離れ、一人階段を登っていこうとするアリアンを、ハリーは追いかけその手を掴む。


「アリアン、なぜ君は一人で全て決めようとするのか?神よ!どうか私をアリアンと共に連れて行ってください!」

「何を言っているの?私と共にきたら、あなたは永遠の眠りについてしまうのよ?」

「構わない!愛する君の側にいられるなら、僕は幸福に包まれ永遠の眠りにつくことができるだろう。君のいなくなった世界で生きるなど、地獄に落とされたも同然だ!

お願いだアリアン!君は僕のプロポーズを受け入れてくれた!妻と夫は、永遠に分かつことなく共にいるべきだ!どうか僕も天上に連れて行ってくれ!アリアン!」


 ハリーは涙を流しアリアンの足元に跪くと、母を欲する子どものようにアリアンの身体に縋りつく。


「ハリー」


 アリアンは、ハリーに顔を上げるように促すと、ハリーの頬を両手で掴みこみ、その額にキスをする。


「顔をよく見せて、ハリー。もう一度、私を愛してると言って。永遠の眠りについてしまう前に、あなたの瞳も、声も、全て私の心に閉じ込めてしまいたいから」

「アリアン、僕の願いを叶えてくれるのか?

愛してるアリアン。あなたは私の妻、私の半身。

僕にも君の顔をよく見せてくれアリアン!

この目蓋が永遠に開かなくなる前に、最後の口付けを」


 ハリーは立ち上がりアリアンを抱きしめ、深く永いキスをする。

 二人はそのまま身体を寄せあい手を握り合うと、ゆっくりと階段を登っていき、階段途中の踊り場から階下を見下ろした。


「ハリー、私はここから、山の頂でじっと月を見上げる貴方を見ていたの。毎晩のようにあなたが月を見つめる理由が知りたくて、私は地上におりたち、そして、あなたの琥珀に輝く美しい瞳に恋をした。ねえ、ハリー」


 だがハリーはアリアンの声に答えない。天上に辿り着くと同時に、ハリーはゆっくりと身体を横たえ、永遠の眠りについたのだ。

 アリアンは膝まずき横たわるハリーの頭を抱き抱えると、その顔に愛しげに触れる。


「これで良かったのですかアリアン?

彼は確かに永遠の命を得た。だが、あなたを見つめる事も、愛を囁くことも二度とない」


 グラウディオンの声に、アリアンは答える。


「私は幸せよグラウディオン。ハリーの身体の温もりは、永遠に失われず私の側にある。

私は目覚める恋人を待ちわびる乙女のように、ハリーの寝顔を見つめていられる…こんなに幸せなことはないわ」

「では、なぜ泣いているのですか?」


 アリアンは涙を流したまま、静かに首を振る。


「理由など、わからない…

見て、ハリーの寝顔。とても幸せそう。

一体どんな夢を見ているのかしら?

私も、あなたの夢の中に行きたい。

ハリー、愛しているわ、永遠に…」


 最後のセリフと共に、アリアンが目を瞑るハリーの寝顔に口付けをする。




(終わった)


 劇場の舞台とは違う不慣れな場所で、完璧に演じ切った俳優達に尊敬の念を抱き感動しながらも、トーマスは、神妙な表情で微動だにしない観客達に不安を覚える。


(だめだったか…やはり最後は二人が幸せに暮らすハッピーエンドの方が良かったんだろうか)


 しかし、失望し俯いていたトーマスの耳に、一際大きく手を叩く音が聞こえてくる。顔を上げ目に入ったのは、目に涙を浮かべ俳優達に拍手を送る女王陛下の姿。それが合図のように、観客達も一斉に手を叩き、会場いっぱいに拍手の音が響き渡った。

 観客達の拍手に導かれるように、俳優達全員が階段下中央に集まってくる。


「皆様、最後までご観覧頂きありがとうございました!私達の作品を観て下さったこの会場にいる全ての方々に、心より感謝致します。

そして何より、偉大なる女王陛下の前で公演を行えた事は、私達にとって身にあまる光栄であり、陛下のご厚意を、我々は生涯忘れることはないでしょう!」


 ジャンは熱のこもった挨拶の後、俳優一人一人の紹介を始め、彼らの嬉しそうな笑顔に、トーマスも自然と顔が綻ぶ。

 全員の紹介が終わると、ジャンがこっちへ来いとトーマスに手招きをしてきた。なんだ?と戸惑いながら近寄るトーマスの手を強引に掴み、ジャンは自らの隣に並ばせ声を上げる


「そして、彼の存在がなければこの舞台を公演することは叶わなかったでしょう。私と共にこの戯曲を執筆し、舞台の完成に尽力してくれたトーマスブラウンに惜しみない拍手を」


 裏方でしかないはずの自分に拍手を送られるという、初めての経験に感動していると、徐に女王が席から立ち上がり、トーマス達の方へと歩いてくる。ジャンがエスコートに向かおうとしたが、女王は首を振り、ジャンをその場に留めさせた。

 女王はジャンの目の前で歩みを止め、トーマスは必然的に女王との距離が近くなり、心臓が全力で走った後のように早まっていく。


「皆ご苦労だったな、素晴らしい、真に迫る演技だった」


 女王陛下に労いの言葉をかけられ、俳優達は感極まり喜びを噛みしめる。


「ジャン、それに、トーマスブラウン、おまえも共に作ったのか?中々面白い戯曲だったぞ」


 不意に女王陛下に自分の名前を呼ばれ、トーマスは、これが現実であることが信じられなくなった。女王陛下の口から自分の名が語られる、そんな尊い経験を、まさか自分がすることになるなんて…


 ここに両親がいてくれたら、どんなに喜んでくれただろう。

 トーマスが劇作家になると告げた時、母は泣き、父は烈火のごとく怒り反対した。お金が入ったら必ず仕送りすると約束し、どうにか説得したが、少ない報酬の中、両親に稼げているように見せるには生活を切り詰めるしかなく、ジャンに金を借りることもしばしあった。

 だが、女王陛下の言葉には、そんな惨めな思いを全て消しさる力がある。


「陛下、ありがとうございます。約束通り、エドワード伯爵釈放の口添えはして頂けますか?」


 女王陛下のオーラと言葉に、夢見心地で頭を下げるのが精一杯なトーマスを尻目に、ジャンが本来の目的を口にする。女王陛下は深く頷き、ジャンに応えた。


「安心しろ、エドワード伯爵は釈放だ」

「陛下!ありがとうございます!」


 ジャンは感謝の意を告げ、差し出された女王の手の甲に口づけをする。ジャンの礼に満足気に微笑んだ女王は、観客の方に向き直り、舞台近くに座っていたセシルに告げた。


「ロバート、エドワードは無実だ。わかったな?」


 有無を言わさぬ女王の言葉に、セシルは恭しく頷き、女王の命令を受けいれる。


「…陛下の仰せのままに」


 その言葉と同時に、俳優達から歓声がわき起こった。


「やったぞ!これでオーク座は再開される!」

「女王陛下万歳!」


 トーマスも心からホッとし喜んだが、ふと、この事態の仕掛け人であるジャンの父親が反論してこないか心配になり、フランシスの方を見やる。

 しかしフランシスは何も言ってはこず、その表情は、なぜか満足気に笑っているようにも見え、トーマスはそら恐ろしさを覚えた。


「次はオーク座へ観劇に行きたいものだな」

「是非!エドワード伯爵も喜びます」

「いや、行く時はおまえにだけ知らせあれがいない時にする、調子に乗られても面倒だからな」

「陛下、そんなことおっしゃらずに、エドワード伯爵にも一度会ってあげてください」


 だが、ジャンの父親を見て感じた不気味な不快感も、女王陛下とジャンの会話で薄れていく。


(大丈夫!俺達は勝ったんだ!不条理に奪われそうになっていた夢を、自分達の手で取り戻したんだ!)


 トーマスはフランシスから目をそらし、誇らしげな俳優達を見つめる。

 幸福に満ち溢れたその光景を目に焼き付け、自分の中に湧き上がる歓喜を深く心に刻んだ。

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