第三十二話

一体なぜこんなことになってしまったのか?

 昨日までエリックは、オーク座に残ると決めてくれていたはずだ。彼が女王陛下の御前公演に胸を躍らせていた姿を、トーマスは、はっきりと覚えている。

 しかし今日、時間になっても中々稽古に現れないエリックを心配して迎えに行ったトーマスに告げられたのは、信じられない言葉だった。


『すまないトーマス、俺はオーク座を辞める』

『は?どういうことだ?昨日の今日で一体何があったっていうんだ?』


 エリックは、どんなに必死に頼み込んでも、頑なに理由も話さず拒み続け、トーマスは絶望的な気持ちで、皆の待つオーク座へと戻ったのだ。


「くそ!エリックのヤツ裏切りやがって!」

「一体どうすればいいんだ!あいつがいなきゃアリアンはできない、もうオーク座はおしまいだ」


 俳優達が怒りと失望を口にしエリックを罵る中、ダニエルがオリヴァーの肩を掴み言った。


「諦めるのはまだ早い!オリヴァー、おまえハリーのセリフも全部覚えてるよな、おまえがあいつの代役をするのはどうだ?」

「確かに覚えてるよ、でもそしたら誰がグラウディオンをやるんだ?」

「セリフを減らして、少年劇団から一人入ってもらえばいい!あいつらは若くてもプロだ。グラウディオンも重要な役だが、主演のハリーを突如入った奴に演じさせるわけにはいかない。とにかくグラウディオンの代役ができそうな奴をあたってみよう!」


 本番は明後日。それぞれがこの窮地を切り抜け代役を見つけんと奔走する。だが、どこからも尽く断られ、皆絶望に打ちひしがれ戻ってきた。彼らが失望したのは、断られたからという理由だけではない。自分達が知らぬところで、劇団関係者に怪文書が送られていたのだ。


【エドワード伯爵の罪が確定した。

彼と関わった人間は全員ロンドン塔送りになるだろう。宮廷はエドワードの加担者を誘き寄せ捕らえようとしている】


「なんなんだこれは!」


 オリヴァーが怪文書を丸め、床に叩きつける。こんなものが送られてきた矢先にオーク座の人間が代役をして欲しいときたものだから、エドワードに恩があるはずの少年劇団の親や子ども達まで、皆怖気付いてしまったのだ。

 無論、その怪文書の存在を初めて知ったオーク座の俳優達にも、瞬く間に混乱と不安が広がっていく。

 逆に、ジャンに全てを聞いていたトーマスだけは、この怪文書で、今起こっていることは全てフランシスの差金だと気づき、皆の動揺を鎮めようと口を開いた。


「みんな落ち着いてくれ。これはただの嫌がらせだ。ジャンが我々を誘き寄せる手助けなんてするはずないって、おまえ達もわかってるだろう?」

「だけど代役がいなきゃ俺達はどうにもできない!エリックだって俺らを裏切ったんだ、ジャンだってわからないぞ!」

「いや、ジャンはそんな奴じゃない!」

「そういえば、あいつの父親はエセックスを陥れたセシル派だったよな?だったらジャンも俺らじゃなく宮廷側に味方したっておかしくないんじゃないか?」

「自分の書いた戯曲が公演できなくなるような事するわけないだろ!あいつがアリアンにどれだけ熱意をそそいでたかおまえらだって知ってるだろう!」

「でも…」


 不測の事態に、オーク座の俳優達の心は分裂し、トーマスが一体どうすればいいんだと頭を抱えたその時


「ジャンは俺達を宮廷に売るような人じない!」


 ルカが怒りもあらわに大声で叫び、普段から礼儀正しく、ニコニコと皆の話しを聞いているルカの激しい怒声に、俳優達は驚き静まりかえる。ルカは皆の反応など気にも止めず、トーマスを見つめ言った。


「ジャンに知らせに行きませんか?」

「え?」

「エドワード伯爵が逮捕されている今、オーク座の責任者は彼ですよね?明後日までまだ時間があります。ジャンにこの事を知らせて、一度判断を仰いだ方がいい」


 ルカの言葉に、トーマスも納得する。

 ジャン不在の間、自分がどうにかするしかないと、ずっと一人抱えこんでいたが、いくらなんでも、この危機を解決するのは無理だ。


「だけど俺らジャンの家なんて行ったことないし知らないぜ、トーマス知ってるのか?」


 エディに聞かれ、トーマスは首を振る。


「いや、正確な場所は…」

「俺が場所も行き方も覚えてます。俺に行かせてください!」


 ルカの決然とした口調に、トーマスは目を見張った。


『あいつはおとなしそうに見えて、度胸あるから大丈夫だ』


 ルカの演技が見れるものになってきた時、稽古と本番ではまた全然違うんじゃないかと心配するトーマスに、ジャンが言った言葉を思いだす。


「わかった。その代わり俺も一緒に行く。

ダニエル、俺はルカと一緒にジャンを必ず連れてくるから、その間オーク座の留守を頼む」

「任せとけ」

「俺も行く!」


 と、突然、オリヴァーが話しに入ってきて、トーマスは驚く。


「なんで?」

「俺だってもうじっと待ってるだけなんて耐えられねんだよ!あの野郎に一言文句も言ってやりてえし!」

「いや、行って喧嘩されても困るから」

「しねえよ!とにかく俺も連れてけ!」


 正直、普段から喧嘩っ早いオリヴァーを連れて行く事に不安はあったが、絶対に行くと言い張るオリヴァーを拒否することもできず、ルカとトーマスとオリヴァーは、3人でヘッドヴァン邸へ向かうことになったのだ。


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