第十九話

 アリアン初日公演まであと三日にせまったこの日、衣装も演出も全て本番さながらの通し稽古が行われた。

 エドワード伯爵との大事な会合があり顔を出せないジャンの代行として参加したトーマスは、稽古が終わった後、一人舞台に立ち無人の客席を眺めるロイに声をかける。


「どうしたロイ?」

「この客席一杯にお客さんが入ったら、一体どうなるんだろうなと思って、俺、一回も劇場きたことなかったから」


 オーク座は屋外劇場に比べて収容人数も少なく決して大きな劇場ではない。

 だが、舞台と隣接した平土間と、地面から三階建ての天井付近まで作られた客席やボックス席一杯に人が入った時の光景は壮観で、舞台に立つ者は皆、その景色に魅了されるのだという。


「そりゃ今日なんて目じゃない圧巻の光景さ。特にロイは舞台に立つの始めてなんだから、ちょっとでも油断したらすぐ客の熱量に飲み込まれちゃうぞ」


 トーマスがそう言うと、ロイは無言で固まる。


「でも大丈夫!今日の通りにやれば全然問題ない!」


 慌ててフォローするトーマスの頭を、近くにいたオリヴァーが小突いてきた。


「なに舞台に立ったこともないお前が偉そうなこと言ってんだよ!リリー、こいつの言うことは気にしなくていい。初舞台で緊張しない奴なんていないんだから、深く考えすぎずいつもどおりにやれ。もし何かあっても、俺らが全力でフォローするから心配するな」

「オリヴァーの言う通りだ。最初はどうなるかと思ったが、お前がこんなに根性あるやつだとは思わなかったよ。やっぱり、ジャンの人を見る目は確かだな」


 オリヴァーに同調するように、ダニエルが話に加わってくる。


「よく言うぜ、ちょっと前まで、だから叩き上げじゃない貴族の劇作家なんてダメなんだって、散々ジャンのことこき下ろしてたくせに」

「え?俺そんなこと言ってたか?」


 二人のやり取りを楽しそうに笑顔で見やるロイの様子に、トーマスは心から安堵する。

 初めてここへ連れてきた時はどうなるかと思ったが、完璧とまではいかずとも、ロイの演技はこの短期間で信じられないほど成長した。

 ジャンの強引な決定に不満を持っていた俳優達も、厳しい演技指導に一切反発せず、懸命に努力するロイの姿に感心したのだろう。ロイはいつの間にか、オーク座の俳優達の中に自然と溶けこんでいったのだ。


「でも、初めての通し稽古の日にジャンがいないってのはな」


 だが、そんな和気藹々とした雰囲気の中、冷めた声が投げかけられる。声の主は、アリアンの恋人ハリーを演じるエリックだった。


「いや、ジャンも今日本当はこっちに来たがってたんだ。だけどエドワード伯爵はこの劇団の大事なパトロンだし、そっちを優先しないわけには…」

「別にジャンを非難してるわけじゃない。

それより、悪いけど俺は今日この後用事があるからロイの歓迎会には参加できないんだ。

ジャンが帰ってきたらよろしく伝えておいてくれ」


 ジャンをフォローするトーマスの言葉を、エリックは素気無く遮る。


「…わかった」


 エリックが立ち去った後、思わずため息をつくトーマスの肩を、オリヴァーが慰めるように叩いてきた。


「あいつは昔から群れない奴だから気にするな」

「ああ、ありがとう」


 エリックとも、本当はもう少しコミュニケーションをとれればと思っているのだが、稽古以外でのエリックの態度は常に冷淡で、皆と一線を引いている。


「でもさ、多分エリックのやつ、近いうちにオーク座やめると思うぜ」

「え!」


 と、唐突に放たれたエディの言葉に、そういう性格なのだと納得しかけていたトーマスが思わず声を上げる。

 エディは、ごく普通のパン屋の息子から俳優になったオーク座の代わり種だ。グローブ座での観劇をきっかけに演劇の魅力にとり憑かれ、毎日街頭で、シェイクスピア作品の登場人物になりきって客引きをするようになったエディを、面白い奴だとジャンが気に入り声をかけたのだ。

 自らの発言で場が凍りついた事に気づいたエディは、ブラックジョークさと取り繕うように言ったが、トーマスはエディに顔を近づけ問い詰める。


「本当か?何か思い当たることがあるんじゃないか?」

「おいおいトーマス、そんな怖い顔すんなよ、ただの冗談だって」

「…」


 トーマスがエディをじっと睨みつけていると、エディは観念したように白状した。


「実はさ、俺見ちゃったんだよね、エリックが宮内大臣一座のリチャードバーベッジの家に入っていくの」

「えー!本当かよそれ!すげー!」


 エディの告白に興奮して大声をあげたのは、トーマスではなくオリヴァーだった。


「ああ間違いない、俺彼の大ファンだから時々用もなく家の近所をうろつくんだけどさ、エリックが親しげにリチャードと話しながら家に入ってくの見て思わず嫉妬したよ」


 オリヴァーの反応に気をよくしたエディは急に張り切り饒舌になる。


「お前そんなことしてたらいつか捕まるぞ!

ああエリックいいな!俺すっげえファンだもん、この間のリチャード三世お前も見た?」

「見たに決まってるじゃん!」


 無邪気に盛り上がるオリヴァーとエディを尻目に、トーマスは一人真剣に考えていた。

 宮内大臣一座といえば、あのシェイクスピアが座つきの劇作家を務めている名門中の名門だ。リチャードバーベッジはそのほぼ全ての作品で主演を張る名優であり、彼の圧倒的存在感と演技力は他の追随を許さず、彼に憧れる俳優は後を絶たない。


 エセックス伯の盟友サウサンプトン伯がパトロンだったため、一時期反逆に加担した嫌疑をかけられたが、宮内大臣一座の関係者が皆証拠不十分ですぐに解放されたのは、市民から絶大な人気を誇る劇作家や俳優を逮捕するのは、市民の反感を煽り危険であると宮廷が判断したからだと言われている。

 しかし、それほど影響力を持つ劇団の主演俳優がエリックに会うというのは、一体何を意味するのか?


(引き抜きか?)


 宮内大臣一座が、多数の作品を何公演も抱える俳優達の負担を減らすため、若手俳優の育成に力を入れだしたという話を最近耳にしたが、主演級の俳優を育てるには時間と労力が必要だ。そうなると、他劇団で主演を張っている人気俳優を即戦力としてスカウトしようと考えるのは、ごく自然なことに思える。


(だが宮内大臣一座に行ったら、エリックだって今までの様に主演を張ることはできなくなるぞ)


 数多くの劇団がひしめくなか、エドワード伯爵とジャンの尽力で頭角を現してきたものの、オーク座はまだ駆け出しの劇団だ。

 エリックはここでは頭一つ抜けているが、宮内大臣一座でも、すぐに重要な役を与えられるとは限らない。


(でも、あのリチャードバーベッジが直接会って話しているということは、かなりいい条件を提示されてると考えたほうがよさそうだな)


 ジャンから前金を半額貰っておいて、アリアン公演目前に突然主演を放り出し宮内大臣一座へ行くなんてことはないだろうが、トーマスは、今後の心算だけはしておかなくてはと腹をくくる。


 あのリチャードバーベッジの元で演技を学べるというのは、俳優にとってこの上なく魅力的な話だ。俳優だけではない、数いる劇作家にとっても、自分の作品が宮内大臣一座で公演されることは、大きな夢の一つなのだ。

 だが、ジャンと共にオーク座に深く関わっていくにつれ、トーマスの夢は別のものに変わっていた。


(俺は、ジャンと一緒にオーク座つきの劇作家になって、この劇団を、宮内大臣一座と並び立つ劇団にしたい)


 俳優達と共に舞台を作っていくという経験は、トーマスに新鮮な喜びを与え、トーマスはいつの間にかこのオーク座に、深い愛着を持つようになっていたのだ。



「おーいトーマス!何ボーっとしてんだよ、早く行こうぜ」


 先ほどまでリチャード三世の話題で盛り上がっていたオリヴァーとエディが、いつの間にか話を終え、トーマスに声をかけてくる。


「ああ、わるいわるい」


 俳優達が、ロイの歓迎会と称した飲み会に勢い込んで向かう中、ロイだけが足をとめ、心配そうにトーマスに尋ねてきた。


「どうかしたんですか?」

「ああ大丈夫、なんでもないよ、それよりロイはパブに行ったことあるか?」

「初めてです」

「そっか。みんな飲みたいだけのくせに、お前を口実にしちゃってごめんな」

「いえ、すごく嬉しいです」


(エリックのことは、ジャンが帰ってきてから相談しよう)


 ロイと他愛のない会話をしながら、トーマスはそう決め、先に出て行った俳優達に追いつこうと早足で歩き出す。

 今はただ、好きな芝居と、共に酒が飲める仲間がいる幸福をかみしめながら、まだまだ未知数なオーク座の未来に、胸を躍らせていたかった。

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