第9話

「あー……今日くらいゆっくり寝かせてくれよ……」


 早朝。

 大河と祭のコンビに叩き起こされたかと思えば、カイルは大河にホウキを押し付けられて神社の境内を掃除していた。

 疲労もまだ癒えていないというのに。

 恨みがましく祭と大河を睨み付けるが、そもそも背中を向けて調子外れな鼻歌を歌う祭には届いておらず、大河は無視だ。

 ふらふらと近くの階段に腰をかければ


「おい」


 と大河に声をかけられ、さっさと掃き清めろと命令される始末。


「疲れ果てて寝たかと思えば早朝に叩き起こされて、何でオレが掃除なんかしなきゃなんねェんだよ」

「居候なのだから手伝いは当然だ。パパ上からも強制参加のお達しが来ている。終わらんだろう」


 カイルが来る前までは、二人でちゃんと終わらせていたのだろうに。

 悪態をついてカイルは怒りのあまりホウキを折った。

 清々しいばかりに、ホウキの折れた音が青空に響く。


「あ~あ。ホウキ真っ二つだ~。カーくん、いけないんだー。大河~。カーくんがまたホウキ折っちゃったぁ~」


 楽しそうに笑いながら大河に報告する祭。


「アホっ子は黙ってやがれ! クソ……」

「アホは貴様だ。昨日に続いてホウキを折った。後で新品を二本、買ってこい。自費でな」


 二度目の悪態をついて、カイルは手元のホウキを見る。

 本当に自分は何をしに来たのか。

 振り返り神社を仰ぎ見た。

 朱塗りの社殿。

 この中に、間違いなくゴーストはいるはず。

 祭はともかく、神である大河や古狐の神が清浄な空気の中に混じる妙な空気に気付かないはずがないだろうに。

 本当に気付いていないのか。

 それとも匿っているのか。

 もし後者であったのなら、自分は―――退治しなければならない。


「カーくんカーくんっ」

「んだよ」

「お掃除終わったし、朝ごはんにしようよっ。すぐに大河が作ってくれるからっ」


 階段に座り込んでいたカイルを、祭はグイグイと引っ張る。

 大河は集めたゴミを袋に詰め込みホウキを片付けて神社の裏手側へ向かった。

 祭もまた、カイルを引っ張りながら大河の後に続く。

 裏手側の縁側には大河がすでに用意していたらしいエプロン―――ではなく割烹着と三角巾。

 着物の袖は邪魔にならないように紐をかけ、長い黒髪を一つに纏めなおす。

 それだけで出来る奥様、という姿である。


「なぁ……パンとかポタージュとかねーの?」


 祭に抱き着かれて振り回され、げっそりとした面持ちでカイルは大河に問う。

 だが彼の返答は短く


「予定はない」


 とのこと。

 もし食べたいのであれば、自費で買ってきて自分でやれ、と。

 冷たいことこの上ない。


「大河って、いい奥さんだよねっ。美人だし、カーくんもそう思わない?」

「あー。そうだなー」


 投げやりに答えると、祭は


「カーくんもそう思う、だって!」


 と大河に伝えている。


「祭。俺は男だから奥さんとは言わない。それより『パパ、朝だよっ。起きてくれたらおはようのチューしてあげるっ』と言ってパパ上を起こしてきてくれないか?」


 真顔で祭に言うと、祭は頼まれごとをされたことが嬉しいのか、笑顔で頷くと


「パパ~。パーパぁ!」


 元気に神の部屋へと走っていった。

 大河はカイルの視線を感じて振り返る。


「真顔でそのセリフはねェだろ……」

「笑顔で言うのならいいのか?」

「いや。テメーが笑ったら逆に怖ェよ」


 そうか、と大河は返事を返すと、今度はカイルに何やら渡した。

 カイルは手渡されたものを広げて首を傾げる。

 どこをどう見てもエプロンだった。

 数度、エプロンと大河の姿を視線が行き来する。


「朝食の用意も強制参加だ。貴様に拒否権は微塵もない。働け。疫病人」

「はぁ!? 掃除だけじゃなくて料理まで手伝えって言うのかよ! 疫病人じゃねェし!」


 行くぞ、と首根っこを捕まれ、カイルは大河に引きずられるが拒否をして近くの梁にしがみついた。


「少しくらい休ませろよ!」

「いいから俺の言うことを聞いて手伝え。パパ上に逆らったら休む所ではなくなるぞ。俺とて人間一人ごときどうなろうが知ったことではないが、馬車馬のごとく休みなく働かせるつもりは一応ないつもりだ」

「一応だろ!? もうすでに馬車馬のごとく働かせられてるっつーの!」

「いいから手伝え! 一応、貴様のことを考えてやってるんだ!」


 結局、龍神の力か、カイルは台所へと連行されたのであった。

 台所は珍しかった。

 最新の調理器具が整っていながら、隅には古いかまどもある。

 一人で使うには広すぎる台所だ。

 手伝えと言われたものの、何から手伝えばいいのか分からずにキョロキョロとカイルは台所を見回す。

 その間にも大河は朝食の用意をしている。

 大きく立派な木棚からお膳や器などを出して炊飯器の炊き立てご飯を軽く混ぜる。

 続いて味噌汁を作り始める。

 手際の良さに、カイルは魅せられたように大河を見つめていた。


「おい」


 大河に声をかけられ、カイルはハッと我に返った。


「ってオレはノーマルだっ」

「ぼーっとしているかと思えば何を訳の分からないことを。これだから人間は理解できん」

「テメー今鼻で笑いやがったな!? 殺す。やっぱテメーは三分の二殺し決定だ」


 指差し怒鳴るカイルの言葉を右から左へと聞き流し、大河は冷蔵庫からパックを一つ取り出してふたを開けてカイルに差し出した。

 その匂いに、カイルは顔をしかめる。


「……何だ? この腐ったような臭いのする豆は」

「納豆だ。食え。ネギと梅干のみじん切り、ウズラの卵を一つ落として混ぜるとさらに美味い。つまみ食いのことはパパ上には内緒だ」

「食えるか! この素面天然ボケ! どういう話の流れでこんな物出す所に行き着くんだよ!」


 彼は人間が理解出来ないと言ったが、カイルとて彼が理解出来ない。

 龍神だからという以前に、思考が。

 大河曰く、暗に手伝えと言ったつもりらしい。

 伝わらなかっただろうかと納豆を見ながら小首を傾げる大河に、カイルは眩暈と軽い頭痛を覚えてうずくまった。

 何度も言うが、非常識だ。

 人間界にどのくらい長く存在しているのかは分からないが、この神社は何もかもが非常識である。

 おそらく、今のはこの国の人間でも手伝えと言っていると解釈できないだろう。


「そこでうずくまるな。それより、その台の上に置いた黒い椀に味噌汁を入れてくれ。刻んだネギは俺と貴様の分だけだ。間違っても、祭とパパ上の椀には入れるなよ」


 カイルにそう指示を出すと、大河は漬物を切り、ご飯を茶碗に盛る。

 疲れて果ててはいたがカイルはのろのろと動き出すと言われた通りに味噌汁を椀に入れて内二つの椀にネギを入れた。


「おい。貴様は箸が使えるか?」

「んなもん知ってても使ったことねェよ」

「そうか」


 返答するや否や、大河は引き出しからカイルのものらしいお膳にスプーンとフォークを置いた。

 一瞬、苦笑したように見えたのは気のせいだったのだろうか。

 彼なりの気遣いらしい。

 何とも人間らしい龍神だ。


「貴様は俺と貴様の分のお膳を運べ。……? 何をニヤニヤしている。気持ちが悪い」

「いや。本当、祭が言った通り良妻だな」

「俺を女扱いするな。怒るぞ」

「もう怒ってるじゃねェか。び・じ・ん・さん」


 美人さん。

 その言葉に、大河の無表情の顔に、眉だけが吊り上がった。


「貴様とは決着をつけなければならんらしいな。貴様の言葉を借りるのなら、俺が貴様を三分の二殺しにしてやる」

「ふははははは! 龍神とはいえひよっこが天才のオレに敵えばな!」

「杖がなければロクに魔術も使えん貴様など、まだまだひよっこの俺でも、赤子をひねるようにたやすい」

「おー。じゃあやってみるか?」

「やってみろ。即座に、貴様を返り討ちにしてやろう」

「さらに返り討ちにしてやらぁ!」

「ふん。馬鹿め。返り討ちにされた後では返り討ちにもならんな」


 そんな言い合いをしながら、カイルと大河は部屋へと朝ご飯を運んだのであった。

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