歪生徒会の映えある未来に

梔子

01.ヤバ高生徒会へようこそ。

 64平方メートルの教室。ほぼ均等に並べられた机と、清潔な空気。俺の踏み入れたこの場所は、高校内のどの教室とも違う異質な空気が漂っていた。


「待っていましたよ、真近くん」


 目前で笑顔を振るい俺の手を握るのは入学式以来、久しく視界に入れるこの学校の顔。一度も会話したことがないのに、やたら距離感の近いこの女性こそ、矢場高等学校生徒会長である。


 いやこの生徒会長様のバグった距離感の話は今はどうでもいい。問題なのは “何故俺がこの学校の生徒会に入ることになってしまったのか” だ。


「ヤバ高生徒会へようこそ。学校発展のため、共に頑張りましょう」


 可能ならば今すぐに逃げ出したい。何故なら、ここヤバ高の生徒会は、 “ヤバイこと” で有名だから。











 1話…ヤバ高生徒会へようこそ。











「何をやっているんだい?」


 ようやく見慣れた一年二組の教室。その一番隅の席で縮こまるように座っていた俺は不意にかけられた声にすぐに反応することはできなかった。太陽が切なげな声を上げながら少しずつ地面へと吸い込まれていく。この時間にもなれば教室には人の気配も消え、いつもなら存分に孤独を味わえるのだが、どうやら今日は思い通りにさせてはもらえないようだった。


 イヤホンを外して顔を上げる。すると教室中にモノクロが広がり、その中心にはどういうわけか担任の教師が存在していた。そこには表情がない。理解を超えた、あまりに強大に主張された虚無に引っ張られそうになりながらも、それを必死に拒むように顔を伏せる。


「別に何も、音楽を聴きながらSNSを見ていただけです」


 視線を逸らし、わかりやすく拒絶してみる。しかしどういう魂胆か、この教師は中々俺の元から離れない。いっそイヤホンでも付け直せばどこかへ行ってくれるだろうか。


「君、いいね」


「え?」また急に話しかけてくるものだから間抜けな声が出てしまった。彼を見ると、今度は優しい笑顔を浮かべている。先ほどまでの虚無が嘘のような、いや、虚無を覆い隠し無かったことにしたかのような残酷で鮮やかな笑顔。


「どうやら僕は君を気に入ってしまったらしい」


 年齢の読めない顔がどんどんと色付く。短い髪も、淵の太い眼鏡も、そこらに転がる椅子や机も、太陽に照らされトワイライトカラーに染まり上がる。


 夢か現か、灰色だった世界は教師を中心に華やかさを取り戻した。


「決めたよ、真近くん。君は今日から生徒会員だ」


 教師はそう言うと俺の手を取り、掌を上向きにさせるとそこに見覚えのないバッチを乗せた。横向きに飛んだ矢の後ろに何かの花が描かれたデザイン。攻めてるなぁ、と思いつつ俺はそのバッチをポケットに……


「待って? ねぇ待って。いくらなんでもこの展開はおかしいでしょ。生徒会って、そんな簡単に決められるものじゃないでしょ。よくわかんないけど、投票とか? いいの?」


 自分でもビックリするくらい言葉がスラスラと出てきた。友人のいない俺にとって他人との会話は久しいはずなのだが、よくもまあ噛まずに言えたものである。あと、途中で敬語を使い忘れていることに気づいたが、勢いもあり後には引けなかった。


 対して教師の反応は薄い。笑顔のまま微動だにしていない。いや全く堪えていない。


「生徒会に関する全決定権は僕にあるから安心してよ。さあ早速、生徒会室へ行こう」


「おい、本当に待て引っ張るな。おかしい、絶対におかしいから!」











 という流れがあり、今に至るわけである。


「ご存知かとも思いますが、私は生徒会長の霧津正華(キリツセイカ)です」


 たった今決めました、みたいなノリで連れてこられた割には生徒会長が部屋で俺を待っていたり、ツッコミどころばかりなのだが、わざわざご丁寧に挨拶を仕掛けてくるこのお嬢を見ていると、何を言う気も失せてしまう。


「はじめまして、真近狂人(マヂカキョウト)です。一年二組の。全く状況が理解できていないんで説明から入ってくれるとありがたいです」


「ふふ、狂った良い名前ですね」


 良い名前、と言う部分が蜃気楼と化すような、狂った褒め言葉に愛想笑いを返す。名前に対する反応とか本当にどうでもいいので、説明をしてほしい。


「さて、では生徒会の活動について説明しますね、まず……」


「いやそれよりもまずは……」


「何ですか、生徒会はアルバイトじゃないのでお給料は出ませんよ」


「そうじゃない!」


 霧津は口に手を当て、くすくすと小さく笑った。その際、揺れている黒髪が太もものあたりまで伸びていることに気づき、少しだけ引いた。こんなに髪が長い人は初めて見た。


「冗談ですよ。真近くんって面白い人ですね」


 するとその瞬間、朱に染まっていた世界が闇に落ちた。どうやら、先生の勧誘から始まったあらゆるいざこざの間に、すっかり日は沈んでしまったらしい。それはそうだ。時間は俺たち生物の意思とは関係なく進み続けるのだから。


「さて、今日はもう帰りましょうか。詳細は後日ということで」


「待て、生徒会に入る前に聞きたいことがある。答えを得られるまで俺は入会する気はない」


 俺の言葉に冗談がないことを悟ったのか、霧津もどこか真面目な表情を浮かべる。長い睫毛が揺れ、通った鼻筋から影が伸びる。美しい切れ目からは濁りなき正しさが伺え、紡がれた口元には誠意が見える。俺はここで初めて、彼女の顔面がかなり整っている事に気付いた。


「もちろん生徒会にまつわる事なら何でも答えますよ。あなたが何故生徒会に選ばれたのかもね」


「それ、今教えてもらえないか?」


 反射的に言葉を返してしまう。今回のことはそれ程までに不可解だったのだ。中学生の頃からずっと、今まで何の変化もなく、ただただ学校生活を過ごしてきた。それが今日、急に生徒会強制参加イベントに駆り出されてしまったのである。これは異常でなくて何が異常だろうか。


「少し長くなるので後日の方がよろしいかと」


「そうだよな、わかった……」


 淡々と告げる霧津。だが今の彼女の言葉で、並ならぬ複雑な事情と、俺の加入が計画的に行われたものだったことがわかった。それだけでも今日は良しとしておこう。


「それと真近くんが生徒会に入ることは決定事項な上に、既に入会は済まされています。その件に関しては拒否権がないので悪しからずお願いします」


「もう入ってんのかよ! え、書類はどうなってるの?」


「あんなの形式上の物でしょう、必要ないですよ」


 いや内申のためにも、その形式が一番大切なんだが。しかも結局ここまでなんの説明もないまま終わったし。


 俺の最初で最後の高校生活。波乱万丈が予想される未来に、不安と絶望だけが加速した。











 暗闇は当然のように再び光に照らされ、人類は今日も今日とて活動を余儀なくされる。平日が五日も続く我が国のシステムにより、俺も学校へと足を運ばざるを得なかった。


 前日の生徒会での騒動が、俺の体に果てしない疲労と重力を与えるのだが、それでも知らん顔で陽は昇るのだから残酷なものだ。既に味方は存在しない。早々に諦めるのが聡明な判断と言えた。


 人々が活動をすれば時は自然と進み、トワイライトはもう一度世界に寄り添う。その時間帯を学生は放課後と呼び、その時間になってしまうことこそが俺にとっては悩みの種となっているのだが、それはいとも容易く訪れてしまった。太陽を見上げると、俺を見下ろしながら薄ら笑いしているように見えた。


「あら真近くん、来てくれたんですね」


 生徒会室には霧津さんが既に待機しており、俺の姿を確認するなり読んでいた本を閉じる。今日は掃除当番だったので俺が少し遅れての登場になってしまったのだ。


「こんにちは霧津さん、後から気づいたんですけど昨日俺、途中から敬語抜けてましたよね。申し訳ないです」


 そう、いくらツッコミどころが多すぎるからといっても、礼儀を損なっても良い理由にはならない。彼女は三年で、俺は一年。そこには明確な二年間の差があり、それは敬意を表するに値するものなのだ。ましてや相手は生徒会長。無礼など言語両断である。


「そんな、気にしないでください。私はあなたが生徒会にちゃんと出席してくれている、この事実があるだけで幸せなのです。何なら敬語なんて今後も必要ありませんので!」


「いやそれは生徒会長としてどうなんだ!?」


 しまった、また敬語が抜けてしまった。まあ本人も良いって言ってるし不意に出てしまったものはもういいか。


「失礼しました。それより霧津さん、今日は俺を生徒会に引き入れられた理由、教えてくれるんですよね?」


「おいちょっと待て!」


 俺でも霧津でもない野太い声が聞こえて、俺は辺りを見回した。すると教室の最果てにたった一人、俺たち以外の人物が紛れ込んでいるのが見えた。


 短い髪はワックスでガチガチに固めてあり、制服のボタンは本来の役割を果たせず、存在を持て余している。ブレザーの中に着ている派手な色のパーカーや太陽に煌めくシルバーのピアス、俺は彼を形容するに一番相応しい言葉を知っていた。


「ヤンキーだ……」


 生徒会室に入り込んでしまった迷子のヤンキー。彼のせいで生徒会長と一般生徒とヤンキーという謎の組み合わせが生まれてしまった。しかし生徒会長とヤンキーの絡みというものは見てみたい気もする。対極にあるこの二つを合わせたらどんな化学反応が起こるのか、非常に興味深い。


「俺を無視して話を進めるとは随分勝手じゃねぇかよ。なぁ、正華」


「別に無視してるわけじゃないわ。物事には順序があるのよ基也くん」


 だが期待外れにも彼らは知り合いのようだ。いかにも仲の良さそうな問答を目の前で見せつけられて、俺は少しだけ落胆する。


「でも確かに、紹介もされずにいるのは居心地が悪かったわよね。真近くん紹介しますね。彼は生徒会副会長にして元ヤンの薩陸基也(サツリクモトヤ)くんです」


 絶対元ヤンの基也って言いたいだけだろ。しかもこの男、生徒会の人間なのかよ。


「てめぇが新しく入ってきたとかいう輩か。霧津から面白ぇやつが入るって聞いた時はどんな奴かと思ったが、こんな弱そうなチビだとはな」


 嘲笑うような明らかに見下したような態度に、霧津は不満げな声を上げる。


「ちょっと、せっかく新しく入ってきてくれた人になんてこと言うのよ。少しでも居心地を良くしてあげるのが私たち上に立つ者の役割でしょ?」


「うるせぇな、そもそも俺は生徒会副会長なんて柄じゃねぇんだよ。鹿馬の馬鹿が勝手に決めやがった事だろうが」


 だから鹿馬の馬鹿って言いたいだけだろ。鹿馬(シカバ)先生は俺の担任の先生で、生徒会における全権利を持っている謎多き人だ。事実、俺も強制的に生徒会へ入れられたわけだし、実権の件は嘘ではないのだろうが。


「さて、少し長くなったけどやっと色々と話ができそうですね」


 誰も何も納得のいっていない中、まとめに入ろうとする生徒会長、霧津正華。しかしだからといってそこに異議を立てるものはいない。無音を把握した彼女はそのまま言葉を続けた。


「まずは改めて、生徒会へようこそ真近くん。あなたの望む答えは今日ここで、全て私が答えてあげます」


 歪な生徒会と、その面々たち。獲物を狙う蛇のようにしつこく絡みついてくる逃れられない運命。でもそれは、今まで無感情の中に生きてきたこれまでの人生よりもずっと刺激的で楽しそうなものだった。


 生徒会長と一般生徒とヤンキー。俺の時計の針はここから動き出した。

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