1、疫病 (4)

 山が深くなると巨木が増え、厚い仕切り板のような板根が山道に張り出してくる。山道は板根を迂回しているが、山の斜面の足場が狭いところや、岩や別の木に挟まれて迂回できないところでは、時に胸の高さほどもある板根を乗り越えなければならなかった。


 何度か板根を乗り越えると、岩場が増え、周囲の木々が低くなってくる。


 目印の大岩に行き着いた。


 ここからさらに登り続ければ灌木かんぼくだけとなり、それも無くなって岩だらけの斜面を進むと山頂のクプトゥ湖に至るが、そこまで行くには二日以上かかる。季節や天気によって三色に変わると言われるクプトゥ湖だが、トゥーイは一度しか行ったことはなく、その時は濃い緑色だった。


 大岩の横から山道を外れ、樹林へ分け入る。左手に松明たいまつを持ち、右手の短刀クリスで頭上の木々の枝から垂れ下がる蔓草つるくさや、足元の大きすぎる羊歯しだを払いながら進む。倒木が多く足元が悪いが、さほど進まないうちに月の明るい場所に出た。


 小さな丘のような岩場で、周囲を木々で囲まれているが、そこだけは大きな木がなく、岩の隙間に低木や草が生えているだけだった。昔の台風で倒されたのか、丘と周囲の樹林の境には、腐った倒木が何本も重なっていた。


 松明たいまつを消して、目が慣れるのを待ってから岩場を歩き回り、痛み止めの薬草『サラピシュ』の花を探した。


 月明かりがあるので、目が慣れれば岩場全体が見渡せた。松明たいまつがあると近くのものはよく見えるが、遠くは見通しづらい。


 草木の少ない場所なので、しばらく歩きまわると、すぐに群生しているサラピシュが見つかった。昼間は蜜柑みかん色の花が咲くが、夜は萎れて、くすんだ黄土色になっている。


 花は探す目印で、薬になるのは花ではない。花が枯れると茎の先端にぷくっと膨らんだ実が生るが、薬になるのはそっちだ。


 トゥーイは何百個も実を集め、皮を剥き、平らな岩の上にのせ短刀クリスで細かく刻んだ。丸みのある石を探して、刻んだ実をすり潰す。青臭いような焦げ臭いような匂いがする。


 丹念に潰していると、やがてねばねばしてくるので、それを指ですくって水牛の角の薬入れに詰めた。その上に油紙と怪我用のチドメグサの葉を畳んで載せ、丸く削った柚木チークで栓をした。


 作業が終わると、少し気持ちに余裕ができた。


 岩に座り月を見上げて、途中の山道で見つけた芭楽(グアバ)をかじった。あまり甘くなかったが、水気と酸味が心地よかった。



(村を出よう)



 先祖から受け継いだ田畑と家を捨てることになるが、隔離の小屋にずっといたら、自分やノイも〈水蛟みずちの呪い〉にかかってしまう。


 たぶん村を出ても、誰も追ってこないだろう。村の人も、目の前で死なれるより、本当はそれを望んでいるに違いない。


 コティは歩けないけど、荷車で川まで運んで、そこから舟で下ればいい。


 田畑と家を譲ると言って、叔母の家に荷車と舟を用意してもらおう。


 コティは反対するだろう。責任感の強い兄だから、「田畑を捨てるなんてとんでもない!」って怒るにちがいない。


 川をずっと下っていけば大湖ノンハップがある。湖の向こう岸に天幕テントを作って、そこに住もう。そして兄がいなくなったら、ノイを連れて……。



(なんて酷いことを!)



 コティが死んだ後のことを考えている、自分の冷たさに震えた。


 両手で顔を覆う。



(誰か助けて……、父ちゃ……母ちゃ……)



 薄紅色の睡蓮すいれんを見ながら家族みんなで暮らす。叶うはずのない甘い夢を思い浮かべる。


 ノンハップ湖には、この時期たくさんの睡蓮すいれんが咲いているはずだった。

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