第21話 先輩、ごめんなさい
こんな日は何となく、業務が終わってもすぐ家に帰る気にはなれなくて。オレはデスクに座ったまま、何をするでもなく時間を過ごしていました。
今日の任務の報告書を仕上げてしまおうかとも試みたけれど。思考は勝手に、目の前の報告書とは別のところへ歩き出してしまいます。
火炎魔法におそわれて、儚げに揺らいで見えたエイミリア先輩のお背中。オレはあの時、動くことすらできなかった。……まあ、オレが何かをしなくても、先輩の魔法『コクーン』であっさり解決でしたけど。むしろ何かしていたら、邪魔になっていただけかもしれませんけど。
でも、そのあとも。
子供に治癒魔法を使わなかったことを責められて、オレはそばにいながら何も言えなかった。ずっと一緒に行動していて、わかっていたはずなのに。あれはエイミリア先輩が正しかったと。……まあ、オレが何かを言っていたら、よけいに事態を悪化させていただけかもしれませんけど。
はぁ……。オレって、本当に役立たずです。いつも妄想の中では、都合よく先輩をお助けしているのに。
これはオレが新人だから? それとも単に、オレの出来が悪いのでしょうか。
「そうなんだよなー。オレも去年の今頃は『先輩たちみんなスゲエ!』って思ってた。なのに自分が2年目になってみたら、この程度かよって」
オレが脳内一人反省会を繰り広げる一方で、少し離れた席では2年目の先輩たちが集まって話していました。
「僕も……。今日ホント、全然ダメで。研修あと半年で終わるのに、こんなんで大丈夫なのかな」
コーガさんまで? オレからすれば、じゅうぶん凄かったですけど。ヴァンパイア・バットへの攻撃だって、子供が飛び出して来たから
「そう、ホントそれ。あたしも先輩の指示待ちになっちゃっててさ。いい加減、自分で判断して動けないとダメだよね」
アンセラ先輩だって、サラマンダー仕留めていたし、一般市民の方たちの移動介助だってテキパキしていたのに……。
「オレやコーガなんて、来年にはチューターかもしれないんだよな。どう、指導とかできると思う?」
「いや、ムリ! できる予感がしない」
重い空気で、黙り込んでしまった先輩たち。
そんな、困りますよ。それよりずっと何もできなかったオレは、どうすればいいんですか。
たいして戦力にならなかったし。魔術への対処法なんて見当つかないし。正しいことも言えないし。あれだけ練習していた治癒魔法すら、かけるのをためらってしまったし。
おまけに、目の前の報告書は1ミリも進まない……。
ああ、ダメだ! さっきから思考が
ここは一旦、檻から出ましょう。
休憩室に立ち寄ると、こちらでは1年目女子コンビ、ルーウィリアとハンナが反省会中のようです。
「え、そんなこと言われたの?」
「そう! 血が苦手な人なんていくらでもいるじゃん? それを、騎士のクセにとかさあ……。あんたらは血みどろ大好きなサイコパスかっての!」
「戦闘部隊の人たちって怖いね。そもそもこっちは戦闘がメイン業務じゃないのに」
……えっと、こちらは反省というより、
今日はいつもと違って戦闘部隊の人たちとの絡みもが多かったので、そのぶんみんな、いろいろ言われたりして。こうして持ち帰ったストレスを解放している場面にも、今日はよく出くわします。
任務で使った武器を返却に行ったら、武器庫にトルファウス先輩とカーリア先輩が二人きりだったんですけど。頭ナデナデしながら愚痴を聞いていたのが……あれはちょっと、入りづらかったですね。
「でもさあ、今日実際任務に出て思ったけど、やっぱり先輩たちってすごいわ。魔獣とか怪我人とか、的確に判断するんだもん」
「うん、わたしも思った! 来年には、あんなふうになれるのかなあ……。あ、コーディくん、お疲れさま。まだ帰らないの?」
みんなも来年には、さっきの先輩たちみたいなことを言っているのでしょうか。
「お疲れさま。うん、オレも今日、全然だったから……。反省というか、復習を」
そう、オレの目的地は休憩室ではありません。
先輩をお護りする
まずは今日遭遇した魔獣の特徴をおさらいして――ウォー・バットとヴァンパイア・バットの違いとか。ああ、それから第3部隊の騎士の怪我。あの傷口が青く染まっていたやつも、どんな毒なのか気になっていたんですよね。
それと、あとは……、やっぱり、魔術防御についてですかね。
ようし! 具体的にやることが見えてきて、やる気も出てきました! 早く調べに行きましょう。
えっと、まあ、本音を言えば……。
エイミリア先輩はこういう日には、あの場所にいらっしゃることが多いので。もしかしたら、今日も……なんていう打算も、ちょっぴりあったりなかったり、です。
書庫について最初に目に入ったのは、意外な人物でした。
入ってすぐの広い作業用テーブルについていたのは、アイリーン先輩。オレを見つけるなり「あっ!」と声を上げかけて、右を見て、それからまたこちらを向いて手招きします。
その陰に隠れるようにして、ホライゾンブルーの髪――エイミリア先輩が、右肩にもたれかかっていらっしゃったのです。
え、もしかして、眠って……おられるのでしょうか……?
ああ、なんて貴重な光景! ここへ来た甲斐があった!
あ、いえ、オレは勉強をしに来ただけです、勉強を。でもまずは、この御姿をじっくり目に焼き付けてから。
「ちょうどいいところに来た、コーディ。ミリアのデスクから、緑色のクッション持って来てくんない? わかる? K小隊入って、右側の……」
「あ、はい!」
緑スライムくんの定位置なら、バッチリ把握しています。日頃のパトロールの成果ですね。
オレは静かにその場を離れると、ダッシュでK小隊まで往復して、緑スライムくんをかっさらって来ました。
右腕を封じられているアイリーン先輩は、左手のジェスチャーと口パクでオレに指示します。
え? そこで3回まわってワンしろ?
あ、違います?
ああ! テーブルの上を、片付けてってことですね!
オレも激しいヘッドバングで了解の意を伝えます。
あれ、この至近距離だから、べつにジェスチャーを大きくする必要はなかったですね。つられて、つい……。
おっと、アイリーン先輩が、またジェスチャーで何か伝えようとしています。
え? これが……こっちで? ……いや、あっち向いてホイ? 今ですか!?
「違う! それはあたしのだから、一緒にしないで、こっち!」
結局、ヒソヒソ声で指示を飛ばし初めて。そうなるともう、今までの努力は何だったのかって感じで、スムーズに事が運びます。たぶん、顔面と脳の体操にはなりましたけど。
そうして書類や文具を除けてテーブルが開けると、スライムクッションを適切なポジションに設置し、ついに大詰めを迎えます。
穏やかに眠るエイミリア先輩を起こしてしまわないように。気を付けてください、アイリーン先輩!
あっ、今ちょっと動いた!? いや、大丈夫みたいです。
ああ、どうしよう。オレも手をお貸ししたいですけど……、どう手を貸したらいいかわかりません。何しろ国宝級の精密機械ですから。取り扱いが難しいのです。
いや、わかりますよね? 察してください。
女性の上体を、前に傾げて、机に寝かせるんです。オレが手を貸すというか、手を出せる余地なんてないんですよ!
オレは緑スライムくんのポジショニングに専念し、ハラハラしながら見守っているうちに、無事に移動完了です。さすがアイリーン先輩。その上腕二頭筋、眩しいです!
だけど……それでも起きないなんて、よほど疲れていらっしゃるのでしょうか。
「魔術って、けっこう消耗するらしいんだよねぇ……」
サラサラの長髪がエイミリア先輩のお顔にかかるのを、そっと払いながらアイリーン先輩がつぶやきました。
オレも、治癒魔法なんかを夢中で練習してしまった後は、頭がクラクラすることがあります。オレのつたない魔術でもそんなだから、今日の任務であれだけ
それに……たぶん、魔術のことだけじゃなくて。
先輩の右手はまだ、ペンを握っていた名残のように、親指と他の四本指が楕円を形作っていて。少し弛んだその輪っかの中で、ペンは所在無げに転がっていました。
アイリーン先輩がそっと抜き取って、テーブルに横たえます。
その下の紙にはびっしりと、先輩の、美しくて、けれどよく見ると可愛らしい文字で、何やら書き込まれていました。
「寝たら忘れちゃうからって……。ここまで書いて、力尽きたみたい」
睡魔と戦った痕跡なのか、最後の最後だけ、にょろっと少しばかり引き伸びたような文字になっています。
「あー、でも助かったよ。じゃああたし、しばらく外すけど、あとで回収に来るから、そっちは放っといていいからね。あんたも早く帰んなよ」
アイリーン先輩はグンと大きな伸びをすると、さっさと書庫から出ていってしまいました。いや『回収』って……。
それに、放っておくなんてことオレにはできません。
でもこのままお側についていたら、不審者でしょうか? むしろ犯罪者? でもこんな無防備な状態でお一人にするなんて……。え、オレがいるほうが危ないですか?
グルグルとまた思考の渦に陥って、オレの貧弱な頭脳はすぐに限界を超えてしまったのでしょう。結論の出ないまま、いつの間にかストンと先輩のお隣に座ってしまっていました。
しまった、これじゃ犯罪者街道まっしぐら!?
いやでも、こんなチャンス滅多にないですし。あ、チャンスってべつに、ヘンなことしようっていうんじゃないですからね。お隣に座る機会のことですからね。念のため。
言い訳を探して
そっとのぞき込んでみると、そこには救助した人たち、その負傷状況、そして討伐した魔獣など……今日の任務中にあったすべての詳細が、たぶん時系列でずらりと並んでいました。
ところどころ、記号のようなものもあります。セミナーなんかで習う公式な略称ではないので、たぶん、先輩オリジナルの書き方ではないでしょうか。
『忙しくても、報告書に必要な項目は記録なり記憶なりするもの』
なんて、以前おっしゃっていたけれど……もしかしてコレ、全部覚えていたんですか?
紙面いっぱいに敷き詰められた文字たち。それを見ていると、オレはなんだかすごく、悔しくなってくるのです。
こんなに、頑張っているのに。
先輩は、ただ魔術がすごいだけじゃない。いろんなことを知っていて、いつでも最善が判断出来て。それでも、
休憩時間も惜しんで、終業時間をとっくに過ぎても仕事していて。こんなになるまで、頑張って。忙しいのに、オレたち後輩には時間も手間も惜しまず丁寧に指導してくださる。今日の任務中だって。
それなのに……。
昼間に聞いた、心ない言葉たち。思い返すだけでオレの心は
オレでもこんなふうに思うのに、本人が何も感じてないなんてこと、ないですよね?
そうして、終わりのほうまで読み進めたときのことです、
「あっ!」
思わず声を上げてしまって、オレは慌てて口を押えました。
出てしまったものは引っ込められないけれど、幸いにも天使の眠りを妨げることはなかったようで。すぅすぅと、小さく上下する肩を見て安堵したオレは、手元の紙に目を戻しました。
最後に救助した母子の名前。その横に何度か出てくる記号が、自分のイニシャルじゃないかと気づいたのです。右端には二人合わせて矢印、オレのイニシャル、そして⑧。オレが第8部隊に引き継いだことを表すのではないでしょうか。
そして、それを見て思い出したのが……。
入隊して最初の魔獣討伐で、マルコスさんを負傷者リストに登録したのはオレでした。
あの時、まずカストロス先輩に治癒をかけてもらって、その内容でリストに登録して……その後、エイミリア先輩にみていただいたのに、オレはリストの内容を更新していなかったのです。
あの治癒、カストロス先輩の功績になっていたけど……あれって、オレのせいだったんだ。
すぐにでも謝りたかったけど、そのために先輩を起こすのは忍びなくて。
オレは寝顔をそっと盗み見ながら「ごめんなさい」と囁くしかありませんでした。
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